2004年度の「産業用ロボット」、2005年度の「サービスロボット」に関する調査の魁を為すものであり、この論文を読んで予備知識をつけた上で上記の2論文を読めば理解しやすいであろう。
最初の章は産業用ロボットの機構、制御、コンポーネント、動力源について、関連企業の製作したロボットを具体例に挙げながら時代を追って説明している。
第2章では製造業における加工、搬送、組立ロボットについて、第3章では建築、保守・点検などの非製造業で使用するロボットについて、これも具体例を挙げながら記述している。
その他、極限作業ロボット、国家プロジェクトについても触れている。
AIBO
ユニマン
清掃ロボット
(No.009)
国立科学博物館の委託を受けて、農水省OBが委員会を組織し、稲作に関わる農機具の発展について調査した。
調査対象器具を動力、耕起、移植〜田植、管理、刈取り、脱穀、乾燥、調整、その他(わら打機、縄ない機等)に分けて調査した。これら種々の機械器具の発展により、戦後の時機だけを見ても人の稲作10a当たりの作業時間は、1952年の196時間から1994年の46時間へと1/4以下に激減している。
同委員会は歴史上重要な器具として56個を選定している。
稲作労働時間
(No.010)
ここでいう「産業用ロボット」とは工場の中で使用される製造業用ロボットを指す。米国で誕生した産業用ロボットは日本で本格的な発展を遂げ、今やわが国は世界一のロボット大国となっている。この発展の過程で、小型組み立てロボットの定番となったSCARAロボットのような大発明もわが国でなされた。
産業用ロボットの発展にはマイクロプロセッサの導入と電気サーボ技術の発展が与って大きいが、もうひとつ逃せない観点としてロボットに対する日本人特有の親近感があると筆者は分析している。
川崎ユニメート
Motoman-W
SCARAロボット
(No.012)
ここでいう「サービスロボット」は工場の中で働く「産業用ロボット」以外の、一般社会で使用されるロボトの総称である。後者が工場のあらゆる分野で大幅に採り入れられ、ロボットなしでは製造業が成り立たなくなっている現状に比すれば、前者は未だ確たるマーケットを形成するに到っていない。しかし、可能性としては無限のものがあり、夢を抱かせるに十分なものがある。とりわけ子供時代に鉄腕アトムをヒーローとして育った日本人にはロマンをかきたてられる分野である。
一方で、産業用ロボットが構造化された作業環境で働くのに対して、サービスロボットはあらゆる環境での作業が想定され、これに対応する上での技術的ハードルは高い。本論文では原子力や海洋当の極限環境でのサービスロボットのほか、公共・社会インフラにおける種々の応用についても述べている。
探傷ロボット
検査ロボット
無人放水車
(No.016)
日本は自販機大国と言われる。少しデータは古いが(2006年度末)で全ての自販機を合わせると約430万台が普及しており、そのうちの半数以上が飲料自販機である。
このように自販機が普及した背景には、世界一安全と言われる治安のよさがある。当然のことながらこのような状況に恵まれて、検銭機構をはじめとする自販機の種々の要素技術が日本で発展した。技術の発展が社会情勢の影響を強く受けるということの好例である。
国立科学博物館の未来技術遺産にも登録された噴水型自販機の誕生の由来や日本独自のホット飲料自販機の開発など、飲料自販機の興味深い発展史が綴られている。
自働郵便切手売下機
酒自販機
ジュース自販機
(No.026)
「硬さ」は大は鋼鈑から小は半導体の絶縁膜に到るまであらゆる産業分野で、物性を知る量として重要視されている。にも拘わらず通常の物理量とは異なるため、その定量化には研究者が苦労し、工夫を重ねた。
本論文ではブリネル、ショア、ロックウェル、ビッカーズ(含ヌーブ)の4種類の硬さ試験機について、その歴史的変遷について論じている。
「硬さ」という通常はあまり注目を浴びることのない性質について、産業の縁の下の力持ちとして欠かせない存在であることを明らかにした点で注目に値する論文である。
てこ式ブリネル硬さ試験機
ビッカース硬度計
ビッカース圧子
(No.054)
圧力は日常生活でもよく体験するものであるが、その大きさを測る圧力計に注意を向けることはあまりない。ガスボンベや電車の運転室などで見かけることがあるが、実はこの圧力計、社会の隅々のあらゆるところで用いられている。爆発事故等を防ぐためにも印加された圧力を知る必要があり、そのための圧力計の重要性は言うまでもない。
圧力計には歴史的にみて重要な、液柱形、重錘形、アネロイド形の三つの圧力計とエンジンインジケータの4種類があるが、本論文ではアネロイド形の中で、特に弾性素子にブルドン管を用いたものについて、その技術史について記述している。
デジタル圧力計
重錘形圧力計
ブルドン管
(No.062)
建設現場で忙しく働いている機械類、そのほとんどが油圧ショベルである。その応用範囲は極めて広く、大きさでは家庭菜園用のものから800トンを超える鉱山採掘用まで、用途別では掘削から超高層ビルを含む解体用、林業用、さらには地雷処理機まで様々な大きさ、用途のものがある。油圧ショベルは1960年代の初めに技術導入により国産化されたが、その後の日本の技術の発展は目覚ましく、80年代後半にはすでに世界シェアの70%以上を占めるに到った。 2000年代に入ってからは80%以上に達している。この間、世界中のショベルカーの稼働状況をGPSによって把握したり、同じくGPSにより盗難防止のシステムを開発したり、独自の技術開発で常に世界をリードしてきた。また、近年に到っては環境負荷軽減への圧力が強まる中、この面でも世界をリードしている。
解体用ハイリフト
世界で最も大きい大型油圧ショベル
双腕型油圧ショベル
(No.088)
小さい頃にプラネタリウム施設を訪れ、宇宙と星の世界に魅了された読者も大勢おられると思う。夜空の星の動きを精密に再現しようとして古くから色々な試みがなされてきたが、20世紀初頭に多人数が一度に鑑賞できる投影式の装置がドイツで開発され、その後のプラネタリウム発展の原点となった。日本においても科学技術の教育・啓発を目的に、輸入品によるプラネタリウムが1920年代に設置・公開され、その後、国産化に向けた様々な開発を通して、優れた機能・性能を有するプラネタリウムが生み出されていった。プラネタリウムの原理や仕組みの説明から、国産化に至る様々な経緯と開発の歴史、および最新の宇宙型プラネタリウムに至るまでを技術の系統化として解説している。
チコ・ブラーエの天球儀
小型プラネタリウム S-3型
宇宙型プラネタリウム GSS-U型
(No.115)
衣服等可撓物の接合を行う縫合には人類の歴史において数千年の間手縫いが用いられてきた。新しい縫合方法が発明されたのは縫合が機械化された19世紀に入ってからであり、これを実現した機械がミシンである。ミシンの縫合方法には「本縫い」と「環縫い」があり、現在に至るまでそれ以外の新しい縫合方法は出現していない。本報告書ではミシンが19世紀に登場してからどのような変遷を辿ったのか、ミシン技術がどのように進化してきたのかについてを述べる。特に、ミシンが日本に伝来した時からの歴史を振り返り、日本のミシンが世界のミシン市場を席巻した現在、その礎となった貴重なミシン技術を再検証し、将来、日本のミシン技術の目指すべき方向性を考察する。
規格統一ミシンHA−1型
鈴木製作所オーバーロックMS−1
ジャノメ家庭用コンピューターミシン
(No.126)
放電加工は電極と工作物との間に微小な放電を繰り返し発生させ金属を溶融し除去する加工である。その特長は難削材の加工を得意とする点で米国では航空宇宙産業の特殊部品等の加工に使用されたが、日本では主に金型部品向けに普及し、1980年頃には日本が世界シェアの過半を占めるまでに成長した。本報告書ではその頃までに確立した放電加工機の基盤技術である加工用電源、軸送り機構、数値制御装置等の開発史を述べる。また新しい半導体素子を適用した高速加工電源、リニアモータ駆動の高速軸送り機構、加工ノウハウを知能化した適応制御などを例としてその後2015年頃までの発展を述べる。さらに報告書の最後に、将来の用途拡大が期待される高付加価値な部品の加工を目的とした特殊な放電加工機についてをまとめた。
放電加工の発明者ラザレンコ夫妻(1943年)
三菱電機放電加工機DM-250(1967年)
放電加工で製作されたモータコア金型
(No.132)
演劇に人工光源を用いたのは16世紀末の油灯やろうそくからで、石油ランプを経て19世紀にガス灯へと発展した。さらに白熱電球の発明により光を演出の要素として駆使し得るようになった。
日本では1911年帝国劇場にジーメンス社の金属抵抗器式調光装置が導入されたが、国産化は1925年第三期歌舞伎座からである。さらに1934年東京宝塚劇場に多分岐式調光変圧器が設置されて以来、我が国の舞台照明は変圧器方式となった。その後1958年アメリカで開発されたサイリスタ調光装置が日本でも実用化され、1961年NHKスタジオ、1963年日生劇場を皮切りに全国で設置されていった。近年舞台照明器具はLEDに変わりつつあり、近い将来調光器がなくなり全ての照明器具の調光やカラー制御を制御信号によって行う時代が来るであろう。
江戸時代の顔見世興行の図「富十郎道成寺の舞台」
第三期歌舞伎座に納入された調光器と同型の調光器(1925年)
日生劇場のサイリスタ調光装置(1963年)
(No.137)
日本がハワイ島マウナケア山頂に建設した単一鏡で世界最大口径の8.3メートルすばる望遠鏡が撮影した画像は1999年1月29日に新聞等で初公開された。ほぼ同時期にヨーロッパ南天天文台が口径8.2 メートルVLT望遠鏡4台を、アメリカ、イギリス、カナダ等6か国で成る国際GEMINI望遠鏡プロジェクトが口径8.1メートルGEMINI望遠鏡2台を完成させた。これらは3つの国・機関が最遠の宇宙の姿の探索と未知の天体現象解明のため競い合った技術のオリンピックであった。
この報告書では前半で天文学と望遠鏡との関係や発展の歴史を振り返り、望遠鏡の大型化の推移を述べる。後半ではすばる望遠鏡を中心に3つの8メートル級望遠鏡開発チームが最先端技術により数多くの難問をどのように解決したのかをひも解く。
すばる望遠鏡
すばる望遠鏡の主鏡支持システム(能動光学系)
アメリカの新聞に掲載されたすばるのオリオン星雲の画像(1999年1月29日)
(No.139)