ハ、焼ノ、真吹、灰吹といった語に通じた人はそれほど多くはないであろう。全部江戸時代の銅精錬に関連したものである。
人類と銅のかかわりは古く、6000年以上の歴史を有している。わが国では、8世紀のはじめに自然銅が発見されてからであり、このとき最初の貨幣である和銅開珎が作られた。
江戸時代には世界の主力銅生産国となり、輸出国でもあった。明治になって、近代化のために銅鉱山を官営とし、外国人技師を招聘して技術の確立に努めた。
20世紀に入ってパーキンスにより浮遊選鉱法の大発明がなされ、それまで低品位鉱として捨てられていた鉱山が注目を浴びるようになり、つぎつぎと開発された。
戦後の銅精錬にエポックを齎したのはオートクンプ社の自溶炉技術である。現在銅生産は世界の40%、わが国の60%が自溶炉方式に依っている。
電解精製アノード
真吹法
銅溶鉱炉
(No.020)
缶詰は携行が容易な保存食として重宝されているが、そのはじめはナポレオンが各地を転戦した際に、兵食として美味しく腐らないものを政府に要求し、これを受けたニコラ・アペールが10年を費やして開発した瓶詰めにあるという。この技術を基に、イギリスで缶詰が実用化された。
このときから錫を材料とするブリキ缶が使われていたが、1960年頃になると錫の供給不足が問題となり、錫に依らない材料の開発が求められるようになった。このニーズに応えて開発されたのがわが国のTFS(Tin Free Steel)で、缶詰業界にとっての救世主となった。わが国の独自技術として世界に誇れる技術である。
1700年代のブリキ製造
サニタリー缶の巻締機
日本初のトーヨーシーム缶
(No.037)
チタンは強度が高い割りに軽量であり、耐腐食性も高いことから航空機産業、化学工業等に不可欠の素材となっている。身近なところではゴルフシャフトや歯科の材料としても重宝されている。日本は世界の全生産量の30%を生産しているが、品質の高さでは世界でも一級である。
本論文では、18世紀末から19世紀初頭にかけて鉱物学的に注目され始めたチタンが、19世紀終盤に分離され、20世紀中ごろから漸く研究が盛んになったチタンの技術史について、チタンの父と言われるクロールをはじめとする研究者のエピソードを交えながら興味深く纏めている。
タービンブレード
チタン外壁
チタン精密鋳造品
(No.052)
戦後の荒廃の中から出発した日本の鉄鋼業は30年を経て世界に技術を発信するリーダー的存在にまでなった。その陰に優れた計測・制御技術があったことは、一般人にはあまり知られていない。とりわけ1975年から1995年にいたる20年間はIT技術を活用した計測制御によって、日本の鉄鋼業を大きく飛躍させ、海外への技術供与の件数も増大した。
本論文では、非接触計測、in situセンサ等を採用した計測技術、DCS、PLC等の制御技術、圧延機電動機の交流化といった関連技術を豊富に挙げながら、それらの総合になる鉄鋼業の計測・制御の歴史について考察している。
日本初の熱管理センタ
初期の炭素量測定器
(No.053)
「鉄は国家なり」と言われた時代があった。世の中の全てのものが直接鉄から作られるか、間接的に鉄の介在を得て作られており、現代の人間生活は鉄なしには成り立たない。
わが国の製鉄業は1857年に大島高任が釜石に洋式高炉を建設してから本格的に始まった。第二次世界大戦による蹉跌はあったが、その後世界最高の技術を確立した。今日では世界最大の生産量を誇る中国も、わが国の指導なしにはここまで到達することは不可能であったであろう。
本論文は、このような鉄の技術史の中で、製造の最も上流に当たる高炉技術について触れている。
田中製鉄所の高炉
コークス炉
ステーブ温度分布
(No.061)
近代的なワイヤロープは、金属鉱山用に開発された。わが国では小栗上野介が作った横須賀造船所に於いて、幕府の艦船用綱索として繊維ロープを製造したのが最初である。その後、国内メーカーが鋼索ロープ事業に進出し、構成の簡単な交差よりの普通よりに始まり、ラングより、フラット形、平行より、と次第に技術を確立して行った。戦前は大砲の保護用としてガンワイヤーなども製造された。
戦後のワイヤーロープ応用で最も注目されるのは本四架橋等のつり橋用であるが、その他にも、道路の保護用施設でガードレールにない特性を発揮し、見えないところでは岸壁の固定用とし使用されるタイロープなどがある。
叩きダイス
ロックドコイルロープ
若戸大橋
(No.076)
鋳物技術は5000年の歴史を有し、社会の隅々にまで浸透している幅広い応用分野をもつ技術である。特に自動車産業では、鋳物生産量の60〜70%が使われている。
このような鋳物技術の中で、本論文では鉄鋳物を中心として、主に幕末以降の技術史をまとめているが、主な内容としては、原材料の鉄源、溶解炉、鋳型などについて、個々の技術の変遷を軸にして議論を展開している。
甑(たたら)の操業
可鍛鋳鉄の継手
鋳鉄製の大砲
(No.081)
小型の電子機器から自動車や航空機まで、今日の工業製品にとって金属を接合する溶接技術は不可欠のものである。19世紀後半に実現されたアーク溶接は、優れた適応性や経済性から現代においてもあらゆる産業分野で主要な地位を占めており、日本の産業の興隆にアーク溶接技術の進化が大きな役割を果たしてきたことは間違いない。 本報告では1〜2章で溶接技術の概要、アーク溶接の原理や特徴について述べ、3章以降でアーク溶接技術の発展と日本における技術開発についてまとめた。アーク溶接技術を構成する溶接機、溶接電源、溶接棒など要素技術についても発展過程を追った。
アーク溶接
初のティグ溶接
航空機XP-56
(US Government)
溶接電源とロボット
制御装置
(No.096)
日本における近代的な製鉄業は西欧からの技術導入で始まり、数々の試行や技術開発を経て世界一の技術を有するまでに成長を遂げた。製鉄といえば先ず高炉を思い浮かべる方がほとんどではないだろうか。しかし銑鉄を得る高炉の性能は、鉄鉱石と一緒に投入されるコークスの品質・性能に大きく依存していることは意外と知られていないようにも思える。高炉におけるコークスの役割の説明に加え、製鉄技術と軌を一にして発展してきたコークスの技術について、導入期からの技術発展を次世代コークス炉への展望も含めてまとめた。
野焼きコークスの原型
釜石コペー式
コークス炉
SCOPE21
大分第5コークス炉
(No.097)
金型とは工業製品の部品を大量かつ安価に作るための、主に金属製の「型」である。プレス型、プラスチックの成型用金型、鍛造用金型、ゴム・ガラス用金型など多くの種類が存在するが、金型の精度と耐久性は部品の品質を左右する非常に重要な要素であり、経験と技術が蓄積されているといっても過言ではない。昭和30年代後半から家電用モーターの需要が急拡大し、モーターの大量生産に向けてモーターコア用打ち抜き金型の開発が本格化した。本論文ではモーターコアに使用される電磁鋼板の打ち抜き型に関して、ワンスロットずつ抜いていく初期の金型の製作法から、順送り金型等への進化の過程を述べるとともに、プレス機器内で薄い鋼板をプレスと同時に数十〜数百枚積層する金型システムの開発について触れている。電気自動車の拡大が予測される今、これら金型技術の発展はますます重要になってくるものと考えられている。
ノッチングプレス
モーターコアの
代表的な切り起こし
超硬順送り金型
(No.109)
戦前の日本のアルミニウム工業は航空機用材料の生産が中心であり、その開発の中で発明された世界最強の超々ジュラルミンは零戦の主翼に採用されて性能を飛躍的に向上させ、太平洋戦争初期に華々しい成果をあげた。米軍は不時着した零戦を調べその主翼に超々ジュラルミンが使用されていることを見出し、米国アルコアに類似の合金7075を作らせた。これが戦後の代表的な航空機用合金となり現在でも使用されている。このことから超々ジュラルミンが7075の産みの親と言える。本報告書ではアルミニウムの発見から超々ジュラルミン開発に至るまでの合金開発に焦点を当て、日本の航空機用アルミニウム合金開発の系統化調査を行った。そして戦後世界の航空機と材料開発の発展との関係も明らかにした。
UACJに保管されている英国で撃墜されたツェッペリン飛行船の骨材
零式艦上戦闘機二一型
零戦主翼と超々ジュラルミンが採用された主桁前桁の断面図
(No.130)
産業革命以降、大量に利用された鉄鋼は「完全無欠」ではなく破損、損耗の事例が相次いだ。鉄鋼の信頼性向上には機械工学の発展が鍵であり新たに弾性論から材料力学が発展した。その後「遷移曲線」と呼ばれる耐破損性の整理が定着し「耐き裂性」の基本的考え方が提案され、疲労では「ヴェーラー線図」という耐破損性の評価手法が見出された。これらは信頼性向上技術として特筆すべき前進であった。日本では戦前、脆性分野での独自の知見もあったが、疲労のような分野での知見は経験的理解でしかなかった。戦後になると1950年ごろには欧米とほぼ同じ地平に到達し、それに続く半世紀で大きく発展してグローバルリーダーの地位を占めるに至った。その中で本報告書では脆性破壊、高サイクル疲労、大気腐食、高温クリープについてを詳述する。
Vierendeelトラス橋の崩落(1938年)
鉄鋼の大量生産を導いたベッセマー転炉(1855年発明)
稼働中のクリープ試験機が並ぶ実験室(NIMS)
(No.134)