わが国が変圧器の製作を開始したのは明治の中期で、海外技術の模倣からスタートした。それから40年で一流国の技術と互角のレベルに達した。
戦後、荒廃の中からスタートしたが、電力需要の伸張に伴って、変圧器の高電圧化、大容量化が追求され、部分放電の解決等、海外に遜色のない技術を身に付けた。さらに、1970年代後半から大きな問題になった流動帯電事故を独自技術で解決する等、日本の変圧器技術は世界の先端を歩むに到っている。
万博出品変圧器
現存最古の変圧器
変圧器1939年
(No.013)
火力発電及び地熱発電用タービン発電機技術の発展について、主に明治時代中期に始まる黎明期から今日までを概観している。
最初に黎明期の、海外技術の影響を受けて発展した日本の発電技術について述べ、以下、第二次世界大戦終了まで、戦後復興の時の技術発展に触れ、発電機の大容量化を支えたサポート技術について記述している。
国産第1号機タービン発電機
水素冷却タービン発電機
直接冷却ロータコイル
(No.017)
半導体事業において日本は嘗て世界を席巻したが、これを可能とした要素技術のひとつが露光技術である。
1970年代の初めまではマスクをウェーハに密着させて露光するコンタクト・アライナー方式であったが、やがて近接して露光するプロキシミティ・アライナー方式へ、さらに縮小投影方式を採用したステッパへと進んでいった。
現在ではステッパ時代も終わり、スキャナーが主流の時代になっている。この技術の流れの中で日本企業は常に世界をリードしてきた。
日本の得意とする精密技術が生かせたことが大きいが、それだけではなく、露光装置の開発には軽量高剛性のエンジニアリング・セラミックス、エンジニアリング・プラスチック、などの材料技術に加えて、高速・高精度の駆動技術、精密計測技術などの総合が必要であった。
ステッパー
ウェーハ
コンタクト露光装置
(No.022)
日本の原子力発電は1967年の東海発電所の全出力運転で膜を開けた。現在では米、仏に次ぐ世界3番目の設備容量を有し、プラント容量、運転性、信頼性、運転稼働率、安全性においても世界トップクラスを誇っている。
国、電力会社、メーカーが一体となって取り組んだ成果である。本編では、原子力発電プラントについて調査し、その関連で、タービン発電機技術進展の経緯と革新的な技術・製品についても触れている。
日本初商用原発
美浜発電所
原子炉の燃料
(No.023)
1891年に京都の蹴上でわが国初の事業用水力発電所が発電を開始したのに続き、多くの水力発電所が建設されたが、これらの発電所で用いられた水車は殆どが輸入品であった。
大正年代に入り、1千kwを越える水車が国産できるようになり、昭和初期の、現在の北朝鮮での大規模な発電所建設に際しての国産品採用により大きく技術は進展した。続く鴨緑江の水豊発電所の建設の際には10万kw以上の単機容量としては世界最大の水車を製作できるに到った。
戦後の電力復興はまず水力によってなされることとなり、電源開発叶ン立に伴って大容量水車が発注され、わが国の大容量水車製作技術は大きく伸びた。現在では揚水発電、可変速揚水発電の分野で共に世界をリードする技術を誇るに到っている。
黒部第4ペルトン水車
国産初立軸フランシス水車
現地溶接ケーシング
(No.031)
電池は、化学エネルギーを電気エネルギーに変換する装置である。昔は主として懐中電灯用の電源として一般人の目に触れることが多かったが、今日ではあらゆる電子機器の電源として欠くことのできないものである。
本論文では一次電池に限定して、その技術開発史について述べている。歴史の長いマンガン乾電池、これと互換性のあるアルカリ乾電池について、その黎明期から超高性能時代までを論じた後、電子機器の多様な進歩に伴って発展した各種ボタン電池、リチウム電池などについて触れている。
ルクランシェ電池
亜鉛粒SEM
空気電池
(No.036)
プロセス制御という語は一般にはなじみが薄いが、「プロセスの操業状態に影響する諸変量を、所定の目標に合致するように意図的に行う操作」というものである。基本的な制御はフィードバック制御であるが、その原点は1778年にワットによって発明された蒸気機関に取り付けられた遠心調速機(ガバナ)で、回転数を制御するのに使われた。
近代に到っては、1922年にミノルスキーによりPID制御の原理が発表され、1936年に空気式PID調節器が作られた。その後、アナログ電子式計装システムに移行し、さらにマイクロプロセッサの進歩があって1975年に分散型制御システムが開発された。
現代ではプロセス制御技術は石油精製、化学、鉄鋼、紙パルプ、電力などあらゆる産業分野で不可欠になっている。
ワットのガバナー
差圧伝送器
LNGプラント中央制御室
(No.043)
洗濯の歴史は古く、メソポタミア時代に洗濯の様子を記した粘土板があることからもそのことを伺うことができる。近代に到って、バット、ドリー、プランジャーといった洗濯用の道具が現れ、金属製やガラス製の洗濯板や大型の絞り機が登場した。
17世紀末には英国で手動式洗濯機の特許が取得されている。その後、シリンダー型洗濯機やアレキサンダー、ブラックストーン等による発明があったが、最初の電気洗濯機が米国のハレー・マシン社からソアー・ブランドで発売された。
わが国では、昭和5年に東芝の前身である東京電気がハレー・マシン社から技術導入して国産第一号の電気洗濯機を完成させた。戦後は三洋がトップをきって噴流式洗濯機を開発し、わが国の洗濯機開発の口火を切った。
以後、渦巻き式、自動一槽式、二槽式、自動二層式の開発を経て、全自動洗濯機、ドラム式に到る洗濯機の開発史の中で、我が国は世界に伍して来た。本報告書はこの間の歴史をわかりやすい筆致で記している。
国産1号洗濯機
わが国初の噴流式洗濯機
わが国初撹拌式自動洗濯機
(No.068)
蛍雪の功なる言葉があるように、照明は人類にとって大きな課題であった。明るい照明を得たことにより、文明は飛躍的に進んだと言えよう。
白熱電球は百数十年の歴史を持つものであるが、今なお使われているなじみの深い光源である。あまりにも身近な製品になったために、現在では白熱電球の技術開発に多大な力が注がれていたことは想像し難いが、初期の頃は多くの試行錯誤、研究開発がなされた。
フィラメントであるタングステン線が垂れ下がる現象を回避するための結晶学的研究、封着線に使用するジュメット線の発明、ゲッターの発明のほか、タングステン線の蒸発を防ぐために少量のガスを封入し、ガスの振る舞いを仔細に調べてガス入り電球を完成させたラングミュアーの基礎的研究があった。
また、ラングミュアーは熱損失を少なくするためにフィラメントをコイルにしたが、これを発展させた二重コイルフィラメントや、内面つや消し電球の発明には東芝が貢献した。
スワンの電球
エジソン電球110V
藤岡式電球
(No.070)
発電所でつくられた電気はどのようにして工場や家庭などの需要地へ運ばれるのであろうか。よく目にする鉄塔に張られた送電線で運ばれてきた電気は市街地に入ってからは地下に埋設された電力ケーブルで所定のところに送電される。電力ケーブルは、一般人には目に触れることのないものであるが、数十万ボルトの高電圧で電気を運ぶ線路の長手方向に、数十kmに一箇所の欠陥も造らないほどの信頼性を要求される高度な技術をベースにしている。
本論文では、このような電力ケーブルのうち、OFケーブル、POFケーブル、CVケーブルについて、技術の発展過程を論じている。
日本初OFケーブル
6分割OFケーブル
CVケーブル
(No.80)
エアコンは今日の生活になくてはならない家電製品であると言えるが、ルームクーラーと呼ばれた冷房専用機が徐々に日本の家庭に入り始めたのは、1960年代後半のいわゆる「3Cブーム」のころである。日本には四季の変化があり、夏は高温多湿で、冬季にはかなり寒くもなる。また家屋の広さや構造の違いによって、エアコン機器の設置の条件が欧米とはかなり異なる。さらにエアコンは他の家電品に比べて消費電力が大きい。エアコンの普及に際し、このような制約を克服する技術開発が日本メーカーによって積極的に行われ、特に製品形態としての「壁掛セパレート」は、デファクトスタンダードとも言える世界的な標準型として定着した。本報告ではエアコン技術の発展を「スペースセーブ」、「省エネルギー性能」、「爽快性技術」の3つの領域に分けて捉え、それぞれの進化と技術開発の流れを、マーケティング特性を絡めながらまとめた。
壁掛けエアコン
圧縮機の内部構造
ヒートポンプ用四方弁
(No.99)
電力系統とは需要家に電力を供給するための、発電から配電までを統合したシステムのことをいい、日本では10の電力会社がそれぞれの電力系統を保持し、沖縄電力を除く9つの電力会社の系統が緩やかに連携されている。電力系統技術とは安定した電力供給を目的として、構成・運用・制御等を通して電力系統を実装するための工学的技術である。日本における電力系統技術は、1960年頃から米国で開発されたものを基に本格的な開発が始まった。本報告書では電力系統発展の歴史に触れ、本格的な技術開発の契機となった大規模な停電事故の事例を挙げて、電力系統技術開発の系統化を試みた。また我が国独自の電力系統とその特徴、将来に向けての課題にも考察を加えている。
1975年の東京電力の電力系統
東京電力新榛名変電所1,000kV実証試験設備
東北電力中央給電指令所
(No.117)