現在の生活になくてはならない塩ビであるが、工業化されたのは1930年代にドイツと米国においてであった。
日本では日本窒素肥料が1937年に研究に着手し、1941年に工業化した。ほぼ同じ時期、古河理化試験所や横浜護謨製造でも研究・製造されたが、戦争により中断された。
戦前の重合は乳化重合法であったが、戦後懸濁重合法を確立して国際的に肩を並べるに到った。
本論文では、このほかに超大型重合器、乾燥機、モノマー合成技術、特殊塩ビ樹脂等の発展を含む、塩ビの戦前、戦後の技術史について記している。
最初の塩ビ重合器
第1号塩ビ樹脂
硬質塩ビプレス機
(No.004)
2000年度の調査では、塩ビ製法技術の歴史についてのものであったが、本調査では塩ビの具体的な製品についての歴史を記述している。
塩ビ製品には大別して可塑剤を多く配合した軟質分野と、これを使用しない硬質分野がある。前者は電線被覆、レザー、床材、ラップフイルム等であり、後者はパイプ・継手、建材・窓枠材等である。
電線被覆は1949年に米国から装置を輸入して製造が開始され、軟質フイルムは1951年に量産が開始されている。硬質塩ビパイプは1951年に始めて試作された。また、射出成形は戦前に輸入装置により取り組まれていたが、戦後本格的な取り組みが開始され、最初の製品として塩ビパイプの継手を生産するに到った。
初期の塩ビ電線
ISOMA射出成形機
初期の射出成形機
(No.007)
塩素と苛性ソーダ、この現代にとって不可欠の二大基礎化学材を生成するソーダ工業には電解法と非電解法があるが、本論文では電解法に焦点を当てて、その技術発展の歴史を記述している。
戦後の石油化学勃興の中で、電解法の中でも水銀法の比率が高くなっていったが、水俣病の原因が有機水銀にあることが判明するに及び、無関係の無機水銀を使用しているにも拘らず、水銀法は批判に曝された。マスコミや漁民の圧力の前に屈する形で、行政指導の下、イオン交換膜法の開発に取り組み、世界で初めてこれに成功した。ここに技術開発史上有名な事例が誕生することとなった。
水銀法電解槽
水銀法用電極
イオン交換膜法電解槽
(No.029)
石鹸(Soap)の語源はサポー(Sapo)の丘から来ているという。この丘では昔、羊を焼いて神に捧げる儀式が行われていたが、このときに滴り落ちた羊の脂と草木の灰がその場で固まり堆積した。古代ローマ人がこの丘の土でものを洗うと汚れがよく落ちることを発見した。
本論文では、明治初期に始まる石鹸時代から、合成洗剤の時代に入り、世界的のも注目される無リン化洗剤、コンパクト洗剤を創出したわが国の洗剤開発の歴史について、その技術的背景と共に述べている。
ゼオライト
鹸化釜
木綿繊維
(No.033)
この世に塗料がなかったならば、と考えるとどうであろう。街の建物、行き交う車、全てが無色、風景は全く殺風景なものとなり、人心もざらつき、或いは沈んだものとなりかねない。
しかし、塗料には人の目を楽しませる以外にもうひとつ、ものを保護するという重要な機能がある。塗料なしではあらゆるものが錆付き、腐食してしまう。
このように重要な働きをする塗料は基本的にバインダー(素材表面に膜を形成する成分)、顔料、添加剤、有機溶剤、水などで構成されている。本論文では、塗料の基本的な性格を決定付ける重要な構成要素であるバインダーを中心として、塗料の技術史を纏めている。
余部鉄橋
現存最古の塗り見本
フッ素樹脂塗装
(No.060)
タイヤと言えば自動車の一部品で、どちらかと言えば脇役しか与えられていない感があるが、その技術は実に奥が深い。単に荷重を支える、ばねとして働く、駆動/制動力を伝える、車を操縦しやすくする、といったタイヤとしての基本的性能を満たす、という観点からはタイヤ技術はすでに完成の領域に近づいているといえる。 しかし、環境に配慮し、より安全に、より快適に走るためにはさらなる技術開発が必要で、あくなき追求がなされている。
本報告書では、タイヤ技術を、黎明期、成長期(技術導入、国産化期)、成熟期(モータリゼーション期)の三つに分け、成熟期をさらに新規材料時代、構造変更時代、ラジアルタイヤ時代の三つに分け、ラジアルタイヤ時代をさらに三つに分けるという、分かりやすく且つ説得性のある時代区分の下に、その発展過程を興味深く論じている。
日本初の自動車タイヤ
ゼロ戦タイヤ
ランフラットタイヤ
(No.066)
塗料と同様、染料は色彩を提供することにより、人の生活に潤いを齎すものである。
染料の分類は化学構造、染色対象物の両側面から行われるが、本論文では、対象物として木綿繊維・紙、アクリル繊維、羊毛・絹・ナイロン繊維、ポリエステル繊維、プラスティック等を挙げて、それぞれに対応した染料についてその特性と開発史について記述している。
また、着色力について、イエロー系、レッド系、ネイビープルー系の各染料について、化学構造式とともに説明している。近年は応用範囲がエレクトロニクス分野に拡大しており、むしろ開発の主戦場はこの分野に移行している。
電子写真用の有機半導体、トナー、インクジェットプリンター用インク、リライタブル・ペーパー、液晶といった分野で開発が盛んであるが、その基礎技術は染料の開発で培われたものである。
本論文ではこれらについても概観するとともに、その開発史について触れている。
ジーンズのインジゴ染料
CD-R、DVD-Rのピット
(No.069)
今やデジカメの時代となり、銀塩写真フィルムは忘れ去られようとしているが、曾てはこの分野の技術開発とビジネスに多くの人々がロマンを追い、生き残りに命を賭けた。
20世紀の後半に到るまでは、この分野はコダックの独擅場であった。学術的価値の高い多くの技術開発を成し遂げた。しかし、80年代以降は日本メーカーが追い上げ、肩を並べ、いくつかの技術開発において抜き去る場面が生じた。二重構造粒子や、第4の感色層などはその例である。
本論文では、この間のことを、開発のエピソードも交えながら興味深く記述している。
フジカラーF-U400
フィルム断面の
電子顕微写真
第4の感色層技術
(No074)
今日では、建材、自動車、航空機にまで幅広く使われるようになった接着剤であるが、その歴史は古い。わが国では縄文時代に、狩猟用の弓矢や槍を天然アスファルトで固めていたし、奈良・平安時代には布を漆で塗り重ねていく技法が確立していた。
本論文では、上記の接着剤のほか、膠、でんぷん、天然ゴムなどの天然素材の接着剤に次いで、フェノール樹脂系の接着剤に始まる各種の化学合成になる接着剤の開発史を記述している。さらに構造用接着剤や環境規制に対応した接着剤についても論じている。その中には、日本発で、世界に誇り得るイソシアネート系接着剤も含まれている。
ストラディバリウス
ガラスビーズ工法
ハニカムパネル
(No075)
現在の農業には農薬が不可欠である。作物によっては、農薬なしには、減収どころかそもそも収穫までたどり着けないものもあり、その数も一つや二つではない。一方では、農薬に対する負のイメージは根強く、マスコミは「農薬まみれ」などという言葉で大衆の不安を助長している。
本論文は日本の農薬のルーツから説き起こし、近代、戦中戦後における技術開発と筆を進め、最近の農薬開発までをカバーしている。このような、時代を追った開発とは別に、農薬の開発において世界有数の実績を持つわが国の農薬開発について、日本発の20種類の農薬の開発プロセスを記しながら、その特徴について論じている。
「家伝殺虫散」の薬方
棒状香取線香
有機合成農薬
(No.077)
デジカメの普及に伴って、印画紙の市場は急速に縮小してきた。パソコンに取り込んで、見たいときに開いてみる、という行動が定着しつつあることに起因していると言われている。廃れつつある商品であるが、その最盛期には如何に実物に忠実な色を再現するかということに多くの技術者が心血を注いだ。その中で世界に誇る日本の技術も生まれた。
本論文では、銀塩カラー印画紙の色再現原理について述べた後、カプラーの発展を中心に、その技術発展史を論じている。日本独自の現像システムであるミニラボもかなりの紙幅を割いている。
国産初カラー印画紙
単分散塩化銀乳剤
世界初デジタルミニラボ
(No.084)
イオン交換樹脂という物質は日常生活の表舞台に現れることはほとんどない。しかし、実はこれなくして現在の社会は成り立たないほどの不可欠の物質なのである。その応用範囲は半導体製造や原子力発電に必要とされる純水の製造、医薬品の原料や分離精製、酵素の固定化、砂糖をはじめとする食品の製造と分離精製と、極めて広い産業分野にわたっている。
本論文では、イオン交換樹脂の動作原理にはじまり、製造技術、応用技術についての歴史的展開について論じている。この中で著者は随所で日本の技術開発の強みの源泉にも触れており、技術革新事例の分析資料としても興味深い。
イオン交換樹脂
構造模型図
従来樹脂と
均一粒径樹脂
ウラン濃縮用
イオン交換体
(No.087)
石油化学から産み出される各種の基礎製品は社会のあらゆるところで重要な役割を果たしており、石油化学工業はまさに現代の基幹産業といえよう。石油化学は米国で1920年代に始まったが、石炭化学や木材化学など従来の量産型化学産業と並存して有機工業製品を提供する一分野であった。1950年代に石油化学は伝統ある欧州の化学技術との融合が進み、化学産業の基幹的な地位を占めるに至った。日本でもその時期に石油化学が本格的に始まり、それ以前の化学工業の基盤を活かして積極的な技術革新で石油化学の進歩に大きな貢献を果たすと同時に、高度経済成長を支える産業へと成長させていった。1970年代以降、環境問題やオイルショックなど石油化学への逆風は強まったものの、日本の石油化学は独自の技術開発によって新たな変貌を遂げている。
エチレンとベンゼン
エチレンからの
主要製品
1950年代日本の
主要高分子
(No.094)