「門司電気通信レトロ館」 に対する検索結果 : 152

情報所有館 : 門司電気通信レトロ館 

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和文タイプライター

電報の受付用に使用されていたタイプライター。すべて「カナ文字」で印刷。1950年(昭和25年)から1991年(平成3年)まで活躍し。「かな・漢字」が印刷できる受付機が開発され役割を終えた。製造年:1955年。製造会社等:中島精密工業株式会社。


LT52型送信機

1962年(昭和37年)から電報の中継交換用の送信機として使用。テープにさん孔された符号を電気パルスに変換して、送出する装置。製造年:1978年。製造会社等:黒沢通信工業株式会社。


KP52型電鍵さん孔機

1962年(昭和37年)からで電報機器として使用。鍵盤のキーを押すと、そのキーに相当した印刷電信符号をテープにさん孔する装置。キーの切替によって、鍵盤送信も可能。製造年:1982年。製造会社等:新興製作所。


SJ54型印刷受信機

1962年(昭和37年)から使用。印刷電信符号電流を受信し、それに該当する字号を自動的に印字する装置。製造年:1979年。製造会社等:新興製作所。


51号N80回線磁石式交換機

磁石式手動交換機。発電用ハンドルのついた磁石式電話機から発信の際、ハンドルを回して交換台の表示器を動作させ、有紐コードをジャックに差込み対応し、呼び出し相手のジャックに有紐コードを差込み信号を送り接続する交換台。通話終了後に有紐コードの抜き取り等、すべて手動で行なう交換台。本交換台は1978年(昭和53年)まで、天草・栖本郵便局で使用。製造年:1970年。製造会社等:九州電気通信工作所。


A形自働交換機

1926年(大正15年)東京・京橋分局で運用開始。電話の需要増大に伴い、交換手を介さずに正確で迅速な接続と通話秘密が保てる交換機。最初はイギリスのストロジャー式交換機をを導入。機能的には、電話機にダイヤルが装備され、ダイヤルパルスによって駆動・回転するスイッチ(セレクタ・コンネクタ)をダイヤル桁ごとに展開し接続するステップバイステップ(SXS)方式交換機。1929年(昭和4年)国産化開始。製造年:1969年。製造会社等:東京電気通信工作所。


H形自働交換機

1926年(大正15年)横浜電話局で運用開始。最初はドイツ製のジーメンス式自動交換機をを導入。機能的にはA形交換機と同様のステップバイステップ(SXS)方式交換機。1934年(昭和9年)国産化開始。本交換機は1957年(昭和32年)門司局において導入された交換機を1966年(昭和41年) モデル化したもの。製造年:1966年。製造会社等:富士通信機株式会社。


6号SA市外台

有紐の手動交換台で100番通話、コレクトコール、クレジット通話、船舶通話、列車公衆電話等の交換作業をオペレーターが行なっていた。  また、本交換台は、非常緊急用の受付台であったことから、新交換台に移行した後も非常緊急通話確保のため2000年(平成12年)まで使用された。製造年:1960年。製造会社等:日立製作所。


C460形自動交換機

1967年(昭和42年)茨城・水海道局で運用開始。C400形自動式交換機を基に中小局用に開発されたクロスバ式自動交換機。本交換機は1974年(昭和49年)から1994年(平成6年)まで福岡県嘉穂郡筑穂町の筑穂交換所で約4,100加入の交換接続に活躍したクロスバ交換機。製造年:1971年。製造会社等:日本電気株式会社※見学要予約。


C400形自動交換機

1966年(昭和41年)東京・西大森局で運用開始。それまでのクロスバ交換機から大幅に経済化を図った大局用の市内交換機で1交換装置、約6万端子の収容を可能とした交換機。本交換機は1974年(昭和49年)から1993年(平成5年)まで福岡県甘木市の甘木交換所で約1万加入の交換接続に活躍したクロスバ交換機。製造年:1974年。製造会社等:日本電気株式会社※見学要予約。


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