「所沢航空発祥記念館」 に対する検索結果 : 52

情報所有館 : 所沢航空発祥記念館 

前の10件 (31-40/52)    次の10件

ノースアメリカンF86D

昼間戦闘機F‐86Aセイバーの実用化に引き続いて、これを徹底的に再設計して作り上げた全天候型で、単座全天候戦闘機という画期的な一つの部門を開拓し高度なレーダー電子システムを実用化して、その戦法を確立した点でも特筆すべき機体である。即ち警戒監視レーダーとの連携によって、全天候要撃戦闘の型を完成したことに最大の特色があり、供与を受けた航空自衛隊にとっても、近代的防空先頭を会得できたことは重要であった。自衛隊からの貸与。年代:1958


ミルMi‐8PA

旧ソ連のミル設計局が開発した大型の輸送ヘリコプターで、1965年からアエロフロートに就航した。旅客型、高官輸送型、救難型、貨物型のほか軍用型もある。本機は1980年に朝日ヘリコプター(現・朝日航洋)が旧ソ連から輸入した機体である。後部にハマグリ型の扉とローディング・レールが付いており吊り下げ能力3トンを活用して重物量輸送に活躍した。日本ではただ1機のみ使用された。1993年の当館の開館と同時に朝日航洋から寄託され、1995年に寄贈された。年代:1961


川崎ベル47D

世界最初の大量生産型ヘリコプターに発展したベル47D‐1を川崎重工業が組み立てたものである。本機体は陸上自衛隊が使用していたものである。自衛隊からの貸与。年代:1953


富士ベルHU‐1B

1956(昭和31)年に初飛行した中型タービンヘリコプターの傑作、“ベル204型”を改良した機種で、1961(昭和36)年から量産された。あらゆる用途に対応できるように設計されており、戦場での軽武装攻撃、補給品の輸送、患者護送、遭難者の捜索・救助などが可能であった。1962(昭和37)年には陸上自衛隊でも採用が決定したため、富士重工業(株)がライセンス生産を開始し、1972(昭和47)年までに91機生産した。展示機はこの時つくられた機体で、災害派遣などで活躍していた。この後も改良を重ねながら生産され続け、ライセンス生産機、民間機を含め1万機以上が世界中で活躍している。自衛隊からの貸与。年代:1961


川崎バートルKV‐107‐2

バートルV‐44の発展型として、タービン・エンジン化すると共に胴体をまっすぐにして、後部にパイロンを設けて後部ローターを高く取り付け、パイロンの両側にターボ・シャフト・エンジンを各1基取り付けて、キャビンの容積を飛躍的に大きくし、胴体の最後部を貨物の搭載卸下用の傾斜扉として、車両や大型貨物の取り扱いを容易にしている。また水密構造の胴体と燃料タンクを兼ねた後部のスポンソンにより水陸両用の運用を可能にしている。日本では川崎航空機(現・川崎重工業)がライセンス生産した。自衛隊からの貸与。年代:1962


ヒューズTH‐55J

ヒューズ社は、1955年に単純な構造と簡易な整備性を狙った超小型複座ヘリコプター(ヒューズ269)の開発を始め、翌年9月に初飛行した。このヘリコプターは民間用として販売されたほか、1964年に米陸軍に初級練習ヘリコプターTH‐55Aとして採用された。日本では陸上自衛隊が1972年に採用し、日本飛行機(株)が1976年までに38機を納入した。本機は陸上自衛隊航空学校明野本校に配属されていたものである。自衛隊からの貸与。年代:1972


セスナ170B

セスナ・エアクラフト・カンパニー製作の単発機である。本機は日本の民間航空が再開された1957年の翌年4月、日本の民間航空会社が購入し飛行訓練、遊覧、宣伝、撮影等に使用された。1976年に所沢市の国産航空専門学校の所有となり航空整備士養成に使用されていたが1994年12月9日に当館へ寄贈された。年代:1953


ウルトラライトプレーン

1994年に当館へ寄贈されたものである。


パイパーJ3C‐65

パイパー・エアクラフト・コーポレーションの前身のテイラーエアクラフト社が1936年以来生産してきた軽飛行機で、1941年に米陸軍の連絡・観測機としても採用され、大量生産された。本機は1941年製で1983年に福岡市在住の安藤幸男氏が米国の農夫から購入してフロートをカナダから(エド社製)、エンジンをメキシコから取り寄せる等、丸6年の歳月をかけて水上機に改造したものである。1989年に水上飛行機として登録され、愛称は「アルバトロス2世号」であった。1998年11月5日に安藤氏から埼玉県に寄贈された。年代:1989


YS‐11胴体部分構造垂直落下試験用供試体

2000年2月に北海道・丘珠空港でオーバーラン事故を起こして用途廃棄となったエアーニッポンのYS‐11機(JA8727)が10月に解体され、胴体部分の一部がJAXAの垂直落下試験の供試体となった。試験終了後の2005年にJAXAから当館へ無償譲渡された。


前の10件 (31-40/52)    次の10件