「日産ヘリテージコレクション」 に対する検索結果 : 318

情報所有館 : 日産ヘリテージコレクション 

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ダットサンスポーツ

このダットサンスポーツが登場する前年、1951年(昭和26年)5月に、直列4気筒860cc・20馬力の新エンジンを積んだ新型乗用車(DB-2型)と新型トラックが発売されました。そして、翌1952年1月、DB-2型と同じ強力なパワーユニットを搭載したシャシーに、太田祐一氏のデザインした斬新なボディを載せたダットサンスポーツ(DC-3型)をリリース。スマートなエクステリアのデザインと、最高速80km/hを誇る軽快な走りが好評を博しましたが、1954年(昭和29年)までの50台という限定生産でしたので、希少価値の高いスポーツモデルです。後のフェアレディ、フェアレディZへと続く、ダットサン(ニッサン…年代:1952


ダットサン デラックスセダン

戦後初の乗用車であるダットサン・スタンダードセダン(DA型)のバトンを受け、1948年(昭和23年)3月に登場したデラックセダン(DB型)です。スタンダードセダン(DA型)は、シャシーやエンジンは戦前の設計を引き継ぎ、ボディのみ生産しやすいように直線基調のデザインに変更していました。このデラックスセダン(DB型)は、シャシーこそDA型からのキャリーオーバーですが、ボディをアメリカ的で斬新な流線型スタイルに一新しています。デビュー当初は、エンジンもDA型と同じ722ccでしたが、1950年(昭和25年)9月登場のDB-2型になると、シャシーを補強し、860cc・20馬力に排気量を拡大。さらに、…年代:1953


オースチンA40 サマーセットサルーン

1952年(昭和27年)に日産自動車は、イギリス、オースチン社と技術提携を結びます。戦後はGHQにより乗用車生産が制限されていましたが、1949年(昭和24年)10月に乗用車生産が解禁され、国の日本の自動車産業をもり立てていこうという意図もありました。また、ダットサンは小型車であったため、ひとまわり大きい乗用車を生産する必要もありました。そして、1953年(昭和28年)4月からA40サマーセットサルーンのノックダウン生産を開始。オースチン社を提携相手に選んだ理由は、当時アメリカ市場で輸入車ナンバーワンだったからでした。4月4日に鶴見オースチン工場で1号車がオフライン、5月8日には都内で通産大…年代:1953


プリンス セダン デラックス

日産自動車は1966年(昭和41年)にプリンス自動車工業と合併しますが、プリンス自動車工業の富士精密工業時代に発売されたのが、プリンスセダンデラックスです。1952年(昭和27年)3月に発表されました。明仁親王殿下の立太子礼にちなんで“プリンス”と命名され、その後“プリンス”は社名、ブランド名、そして自動車販売店(ディーラー)名として残っていきます。1954年(昭和29年)、東京日比谷で開かれた第1回全日本自動車ショウ(後の東京モーターショー)で当時の皇太子殿下(今の天皇陛下)の目にとまります。記念車はその皇太子殿下がご愛用されたとても貴重な車両です。最高出力は45馬力、最大トルクは10…年代:1954


ダットサン セダン

ダットサンセダン(110型)は、日産自動車が戦後初めての新設計を行い、1955年(昭和30年)1月に発表した4人乗り乗用車です。搭載エンジンは、サイドバルブ式という動弁機構をもった、直列4気筒・860ccのD10型で最高出力は24馬力。これにフロアシフトタイプの4速トランスミッションを組み合わせ、最高速度は85km/hでした。ボディサイズは、全長3860×全幅1466×全高1540mmですが、車体幅は現在の軽自動車とほぼ同一値です。外装はすべてのボディパネルをプレス成形することで、これまでにないモダンなものとなり、同年11月に実施されたマイナーチェンジで型式を112型としたモデルでは、ハーモ…年代:1956


スカイライン デラックス

日本のモータリゼーションの成長とともに歩み、後にモータースポーツの世界でも数々の栄光を勝ち取った、名車スカイラインの初代モデルは、100円硬貨が生まれた1957年(昭和32年)の4月に登場しました。このモデルは、プリンスセダンの後継車として開発され、いまでいうプレミアムカーのジャンルに属します。また、東京・日比谷の宝塚劇場で、これまでにない盛大な発表会を催して、お披露目されたことも大きな話題になりました。フロントグリルやボディサイドにメッキを多用するなどして、存在感の高いデザインとしたボディに搭載されるGA30型エンジンは、直列4気筒OHVの1484ccで最高出力は60馬力。最高速度は当時の…年代:1957


ダットサン 富士号

好評を博したダットサン(110型系)の後継車として、1957年(昭和32年)11月に登場したダットサン(210型)は、日産初のOHVという動弁機構を採用した直列4気筒988cc、34馬力の新エンジンを搭載。海外への輸出も意識して、フロントウインドウにカーブしたガラスを採用して、外国の高速走行にも対応させるなどしていました。その性能を広くアピールするために、1958年(昭和33年)8月20日-9月7日に開催された、オーストラリア一周ラリー「モービルガス・トライアル」に、2台の210型が挑みました。日産自動車は、このラリーが国際競技への初挑戦でしたが、この富士号は、19日間/1万6000kmを…年代:1958


ダットサン 桜号

1958年(昭和33年)に行われたオーストラリア一周ラリー。富士号とともに、出場したもう1台の210型がダットサン桜号です。こちらも国際ラリーに初挑戦ながらAクラス4位に入賞。富士号とともに、海外へダットサンの名を知らしめるきかっけをつくり、その躍進ぶりはアメリカへもとどろき、同年3月には210型の北米への輸出が開始されます。大型車が主流の国で小さなダットサンが大きな注目を集めると同時に、対米進出の基礎をつくりあげました。ちなみに、2台が出走した豪州ラリーは、広大なオーストラリア大陸を右まわりに一周するもので、設定されたコース長1万6000kmは、当時の世界最長でした。しかし、あまりにも過…年代:1958


ダットサン1000デラックス

走る実験室といえるオーストラリア一周ラリーで、大活躍を果たしたダットサン(210型)はその経験を活かし、またアメリカ市場でのニーズにも応えるべく、カラーテレビが登場した1958年(昭和33年)の10月にマイナーチェンジを実施して211型へと進化を遂げました。外観上はフロントグリルのデザインやウィンカーランプの形状、サイドモールの延長、リヤウインドウの面積拡大などが210型との主な相違点になります。また、211型では「世界水準をゆく乗用車」と、当時のカタログにも記されているように、走行性能を大幅に向上させているのも特徴的で、カーブでの走行安定性をアップさせるフロントスタビライザーの採用や、ステ…年代:1959


ダットサン1000デラックス

日産自動車の海外ラリー初優勝をもたらし、世界の日産へとはばたくきっかけをもたらしたダットサン1000(210型)。そのモデルに改良を加えられたのがダットサン1000の211型です。駆動系の強化やドアロックの改良なども施され、経済的で安定した走行性能をもつ、信頼性の高い乗用車として多くの方に愛され、開業医などが往診されるときのお伴として選ばれることでも評判になりました。また、このクルマは後に誕生するブルーバードの基礎となり、そのプラットフォーム(車体)を使用して、ダットサンS211型という日本初の本格的オープン型スポーツカー(現在のフェアレディZの実質的なルーツ)も生まれました。年代:1959


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