「中冨記念くすり博物館」 に対する検索結果 : 50

情報所有館 : 中冨記念くすり博物館 

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紙看板

版を刷って作られた紙製の看板。薬舗(店内)に貼ることもあったが、主に旅先(行商の時)での宿場で用いた。宿の軒に紙看板を吊るすことで薬の宣伝となり、また、宿場の周辺の得意先に薬代を準備することを伝える役目も担った。紙製でしたので、軽量でかさばらないため、行商に携帯するには便利だった。年代:江戸時代


袋看板

生薬の保管袋を模った看板。江戸時代、生薬袋の形を看板としたのは薬種屋と砂糖屋だけだったことから、軒先に吊るした看板で、人はすぐに薬種屋を見つけることができた。紙製であったため、雨が降ると店内へ入れていた。年代:江戸時代の複製品


百味箪笥

乾燥した生薬を小分けして、保管しておくための箪笥。たくさんの小さな抽斗が備わっている。その抽斗に、一つずつ異なる生薬を納めていた。一つの箪笥に幾種もの生薬が保管できることから“百味”と名付けられたよう。年代:江戸末期~明治初期


膏薬釜

生薬を煮詰めるための釜(道具)。万金膏を造る時にも使用した。主原料を混ぜ合わせ、煮詰める際、出火しないようにするには技術を要した。時間を掛けて煮詰めてゆくが、専用の掻き混ぜ棒(大型のヘラ:長さ1.5mほど)を用いて混ざり具合を調整した。釜の直径は80cm。年代:昭和中期


万金膏

当地(佐賀県鳥栖市田代)で生まれた薬の中で代表格のもので、“延べ膏薬”“黒膏”とも呼ばれた貼りぐすり。大きさは、葉書よりやや小さめ。主成分の胡麻油や鉛丹(四酸化三鉛)を釜で煮つめ、その泥状の黒い膏薬を和紙に薄く伸ばして加工した。現在の白色貼付剤の前身。年代:昭和中期


奇応丸

奇応丸はニンジン(人参)、ジンコウ(沈香)、ユウタン(熊胆)、ジャコウ(麝香)が配合された胃腸薬。極めて小さな粒の丸剤で、多くは金箔が施されている。室町時代の処方が残っているほど、古い歴史を持つ薬。万能薬として扱われることも多く、薬種商で盛んな各地で作られていた。年代:江戸末期~明治初期


散薬混和機(V混)

薬の原料を混ぜ合わせる機械。それぞれ種類の違う散薬(粉薬)をV字形の両面から入れ、一定時間回転させることで均等に混ざ合わせることが出来る。年代:昭和中期


ボールミル

製剤で使われていた代表的な粉砕機で、くすりの原料を細かく砕くことのできた機械。太鼓形のドラムに、数個の磁器製のボール(団子くらいの球)とくすりの原料を入れ、ドラムの回転により落下するボールの衝撃で、原料を細かく砕いた。粉砕の力は、ドラムの回転速度、ボールの数や大きさ・重量によって違った。年代:昭和中期


浸煎剤器

湯煎器。固形物や粉末を湯煎で溶かすことが出来る。年代:昭和中期


攪拌器

薬品になる数種の原料を入れてすり潰し、均等に攪拌する(かき混ぜる)機械。昭和時代までは使われていた。製薬だけでなく、蒲鉾屋やお菓子屋などで用いるようになったところもあり、今も使っている店もあるという。年代:昭和中期


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