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情報所有館 : 中冨記念くすり博物館 

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打錠機

1打で1錠が作れる、錠剤の小規模生産用の機械。薬品の粉末を上下のキネで圧縮して製剤。年代:昭和中期


飲食養生鑑

江戸時代の刷り物で、陰陽五行説の思想に基づく、五臓六腑の働きと養生の方法が著されている。作者は歌川芳綱。大食い、大酒、むら食いが万病のもとで、好き嫌いをせず、ほどよく飲み食いをし、心を安らかにすることが健康の秘訣と説いている。また、食事は腹六分目で長寿となり、九分目で命を縮めるという記述も見られる。年代:江戸


売薬土産(売薬版画)

浮世絵・錦絵のことで、配置薬を使ってくれる得意先への土産の一つとしていた。浮世絵は江戸時代後期より登場。絵師、彫り師、摺り師らが技術を集結させて作られる高価な刷り物だったので、上得意への土産としていた。名所、役者、暦など、豊富な題材で多数の作品が残っている。売薬土産はおまけ商法の始まりとされている。


往診用薬箱

医者が患者のもとを訪れる時に携えた薬箱で、こちらは有馬藩(福岡県久留米市)藩主を診察する際に使われていたもの。御殿医を務めていた平野家所有の薬箱。中には110種類の生薬が当時のまま現存している。多種の生薬を病状に合わせて処方していたことが伺える。年代:江戸


天秤担ぎの薬箱

天秤棒の左右に桶や笊、箱を下げて物を運搬した道具。別名、“振り売り箱”とも呼ばれた。こちらは枇杷の葉を販売する際(枇杷葉湯売り)に使われていたもの。室町時代より登場したこの振り売りは、江戸時代に大きく栄えた。通りに出れば、生活に必要な物が買えるという点から多くの人に親しまれ、さまざまな品が販売された。薬の振り売りは、枇杷の葉売りと薬屋の定斎屋が有名。枇杷の葉を煎じたものは暑気あたり、めまい、疲労などに効くとして、夏になると登場した。年代:江戸末期~明治初期


蘭引

酒などの蒸留器。香水も蘭引で造られていた。沸点の違いによって、原料から抽出したい成分を取り出すことができる。“らんびき”という名前の由来は、アラビア語の“アランビック(蒸留器という意味)”で、17世紀初めにオランダから伝わった。


生命の種子モニュメント

イタリアの彫刻家チェッコ・ボナノッテ作。博物館の正面玄関に展示。博物館の開館(1995年)に合わせて創られた作品で、テーマは“いのち”。作品名は『生命の種子』。作品名通り、命の誕生から終わりまでが、6つの場面で表されている。博物館の建物の基本設計もチェッコ・ボナノッテによる。


破傷風菌培養装置

細菌学者である北里柴三郎が破傷風菌を培養するために使った装置(復元)。破傷風菌が空気を嫌うことから、代わりに亜鉛と硫酸を反応させて作った水素の中で培養したことで、1889年(明治22)、培養に成功。培養した菌を用いて、破傷風毒素・抗毒素を発見し、血清療法という治療分野を切り開いた。


箔着せ道具・ナツメ

箔着せ(はくきせ)とは丸薬を朱や錫、銀、金などで包む(覆う)作業。湿気やカビ防止のためだけでなく、綺麗に見せる・効き目がよいと思わせる、というような効果をもたらした。箔着せに使う道具は丸薬の量によって違ったが、少量の時には茶道具のナツメを使った。ナツメに丸薬と必要量の染料を匙で入れ、蓋をして、振り混ぜて色付けをした。


医業免許(平山宗山)

1874年(明治7)、『医制』の発布。この年より、医師・薬剤師の医療行為には、国家資格である免許が必要となる。こちらの『医師免許状』は医制が整った初年度発布の免許状で、平野宗山氏(福岡県筑後で江戸時代より続いている医家:平野家の二代目)のもの。平野宗山は、幕末、大阪や江戸の著名な医家のもとで修行していた記録が残っている。


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