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情報所有館 : 中冨記念くすり博物館 

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計数・調剤匙

計数匙は丸薬を数える匙で、調剤匙は粉末を量る匙。計数匙の素材は木やべっ甲などがあり、丸薬をすくうと、穴の数だけ粒数が計れる。調剤匙は黄銅製が多く、匙の形状はさまざま。年代:江戸末期~明治初期


柳行李

コリヤナギの枝(皮)で編まれた籠。撥水・防カビ作用があるコリヤナギの枝は、昔から衣類などを収納するための籠、お弁当入れの素材として使われている。配置売薬業者の多くは、五段重ねの柳行李を用いた。大きさの違う五つの籠には、上から一段目に配置帳やそろばん・財布など、二段目には得意先への土産品、三段目と四段目には新しい薬、五段目には回収した古い薬を入れた。重ねた柳行李は風呂敷包みにし、重さ20キロ以上にもなるそれを背負って行商した。年代:江戸末期~明治期


預け箱・預け袋

薬を預けた得意先で、用いてもらう薬入れ(薬の保管箱)。箱型のものの他に紙袋もあった。箱の素材は厚手の紙や木(桐)などで出来た抽斗式のもので、どの面にも売薬業者名、薬品名などがくっきりと記されている。預け袋は売薬人が持ち運ぶのにかさばらず、少量の薬を預けておくのに適していた。袋の表には売薬業者名に薬品名が、裏には配置した年月日、数量を書き込む欄がある。売薬人は得意先を訪れた際、預け箱や預け袋の中身を確認して、薬代の請求、薬の交換や補充などを行った。年代:江戸末期~明治期


紙風船

得意先の子どもたちに渡した土産で、紙製の風船。立方体で、各面には薬の広告などの絵柄が刷られている。折り畳んだ状態の紙風船はかさばらないので、行商時、何枚も束ねて持っていくことが出来た。年代:昭和中期


配置帳

顧客管理台帳で、得意帳、配附帳、配置簿などとも呼ばれた。富山では懸場帳とも呼ばれていた。得意先1軒につき、見開き1ページ。そこに得意先名(配置先の名前)、家族構成、家の位置、預けている薬品名、その数などが記録された冊子で、地域別、または配置担当者別に綴られていた。薬を消費した数、その代金の領収まで記録しておくことで、正確な顧客管理が出来た。売薬業を引退する時や経営難になった時など、同業者の間では、この配置帳は売買の対象となった。配置帳を売り渡すということは得意先を譲るということになるので、高価で取引がなされた。年代:1885年


往来手形

江戸時代、売薬人をはじめ、他国(他藩)へ行く時に携帯した手形。旅行許可券と身分証明書を兼ねた現在のパスポートにあたるもので、町役人や寺などが発行。これを関所や番所などで提示することで、他藩へ入ることが許された。年代:1864年


矢立

筆と墨壺が備わった昔の筆入れ。売薬人をはじめ、さまざまな商人たちの必需品だったが、万年筆の普及と共に姿を消した。年代:江戸末期


行商鑑札

売薬の行商許可証で、身分証明書も兼ねていた。こちらの鑑札は、佐賀県三養基郡役所が発行したもの。年代:1915年


売渡証文

配置売薬の得意先(行商権のこと)を売渡した証文。この証文とともに、配置帳、得意先に関する情報、権利一切が引き渡される。得意先の情報を記録した配置帳は、売薬人にとっては貴重な財産で、売買、譲渡のほか、質入れや抵当にすることもできた。この証文には、当地(佐賀県鳥栖市田代)の売薬業者、扇屋勘右衛門が松隈要七へ筑後羽犬塚(現在の福岡県筑後市)近くの得意先200軒を売り渡したということが記されている。年代:1860年


置看板

薬舗(店内)の前方に置くための木製看板。足がついており、床に立てて用いることが出来た。金・銀箔に朱や黒の漆塗り、繊細で巧みな彫刻などが施されたものが多い。一つの商品名を一枚の看板に示して販売促進力を強める、店の奥を覗かせない、そんな二つの役目を担っていた。店の格式を誇る象徴となるだけに、制作費用が掛けられた。こちらは佐賀県伊万里市の薬舗で使われていた置看板で、縦150cm、横130cm。彫刻部は全て金箔仕上げ。


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