「味の素KK川崎事業所資料展示室」 に対する検索結果 : 53

情報所有館 : 味の素KK川崎事業所資料展示室 

前の10件 (31-40/53)    次の10件

新聞広告

「味の素」の初代社長は、新聞広告に力をいれていました。明治42年の発売当時「東京朝日新聞」だけ数えても1年間に13回、翌43年になると月3、4回は掲載されていました。大正6年頃は1ヶ月で合計すると新聞1ページ分くらい、年間で12ページ相当でしたが、11年頃からは掲載紙の種類も大幅に増やしたほか、回数、スペースも増加されたということです。この広告は右が明治45年、左が大正11年のものです。年代:19121922


発売当時のPOP

明治43年(1910)の発売当時の店頭広告用POPです。缶入り、瓶入り2種類の商品外観の図柄と合わせて、右上にピエロを象った珍しい飾り物を付け、洋風のハイカラさや珍しさを印象付けようとしています。「味の素」の販売に先立ち食料品の包装について明治屋に相談したところ、包装は赤、黒、黄、群青、金、銀の6色に限るとアドバイスされたということです。年代:1910


中国向けポスター

大正初期に始まった中国市場開拓に使われたポスターです。中国での販売は大正3年ごろ開始され、同7年上海出張所を開設して本格的な市場開拓に乗り出しました。南京、蘇州、杭州などに特約店を配置、また、上海の大卒者を採用してさらに奥地の重慶、雲南にまで派遣しました。こうした努力により「味の素」は老牌「鈴木味の素」として中国人大衆の間に浸透し、「仁丹」と並んで日本の代表的商品として知られるようになりました。年代:1915頃


進物箱用ポスター

このポスターは昭和10年頃の贈答用化粧箱入り製品の販売促進用消費者向けポスターです。明治42年(1909)に「味の素」が発売され、大正時代には缶入りが拡充され、昭和3年(1928)10月にラインアップの手直しが行われ商品も充実してきました。明治42年の発売当時に桐製の箱に入れた進物用化粧箱を発売して以来、各種の進物用が作られ、特に第1次世界大戦後には多品種となりました。年代:1935


「味の素」CMソング

このCMソング「味の素音頭」は、戦前に作成されたものです。25cmSPシェラック盤、日本エヂソンレコード株式会社調整と印刷された紙袋があり、収録曲の表は「味の素音頭」で、唄は藤丸で、裏は「味の素行進曲」で、唄は味喜夫、素子となっています。味の素音頭振付の解説(写真および説明文)が付属しているものです。このレコード「味の素音頭」は、昭和5(1930)年に宣伝広告用品の一つとして作成されたものです。昭和10(1935)年前後に流行した音頭・小唄にのせてレコードを作製し、踊りの振り付けをつけて宣伝に利用した他、営業活動の宴席で賑やかに唄われました。年代:1930


発売当時のチラシ

「味の素」発売当時のチラシです。「かつをいらず、こぶいらず」のキャッチフレーズで、「味の素は、鰹節や昆布よりも手数がかからず、値段も安く、おいしい。主成分はタンパク質なので、滋養に富んでいる。腐敗、変質しないので、旅行家などにも必要品。」などの記述があり、明治41年11月17日に登録された「美人印商標」も入っています。当時の値段は、大缶4円60銭、小缶2円45銭でした。年代:1909


美人写真

A3判大のカラーポスターです。「味の素」初代社長鈴木三郎助は、宣伝をする上で「者がつく人」の重要性に気がついたということです。「者のつく人」といえば、芸者、役者、医者、新聞記者などがありますが、当時はテレビもなく、映画もまだ盛んになる前の時代において芸者は、その土地で人気の的でした。「味の素」の「美人印商標」もまたモデルになったのは芸者でした。年代:1910頃


手帳

昭和2年当時の記念品の手帳です。この時期の日本は、昭和2年3月に金融恐慌の勃発があり景気は低迷を続けていました。食生活においても多くの変化が見られるようになりました。例えば中華料理などが普及し始めたのは昭和に入ってからでした。現在、横浜の中華街は料理店も多く有名ですが、大正末期までは南京街と呼ばれており、中華料理店はわずか7軒に過ぎなかったということです。年代:1927


新家庭日誌(レシピ付日記帳)

新家庭日誌は昭和4年と昭和6年の2冊が保存されています。黒皮目紙装丁の日記帳で、1冊で1年分になっています。B5サイズで、1日1種のレシピが印刷されています。当時の日本は、井上緊縮財政のもとで昭和初期以来の不況が続いており、二代目三郎助氏が死去後、忠治氏があとを継いだ昭和6年(1931)も、日本は不景気と失業のなかにありました。街には「いやじゃありませんか」という自嘲的、ニヒリスティックな言葉が流行していました。年代:1930頃


進物箱

明治42年(1909)に「味の素」が発売され、大正時代には缶入りが拡充されました。発売当時に桐製の箱に入れた進物用化粧箱を発売して以来、各種の進物用が作られ、特に第1次世界大戦後には多品種となりました。写真の進物箱は大正初期のもの、大正期のもの、昭和10年のものの3種類です。年代:1950-1935


前の10件 (31-40/53)    次の10件