「味の素KK川崎事業所資料展示室」 に対する検索結果 : 53

情報所有館 : 味の素KK川崎事業所資料展示室 

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焼印・活字印・社名美人マーク活字印

焼印は、大正末期から昭和初期にかけて使われた「味の素」ロゴの鉄製焼きゴテです。活字印は、鈴木商店の社名印です。「味の素」の製造にあたってそれまでのヨード事業の時の社名「鈴木製薬所」から「鈴木商店」と改名し、「味の素」事業を「味精部」、ヨード事業を「製薬部」と呼んでいました。社名美人マーク活字印は、社名と美人マークの入った社名印です。「美人印商標」の登録は明治41年11月17日でした。美人印は東京新富町の芸者をモデルに描いたもので、割烹着に「味の素」の字を配したものでした。テレビもなく、映画もまだ盛んになる前の当時の社会において、芸者はその土地の人気の的でした。年代:1925


「味の素」安全証明書

創業者鈴木三郎助は、「味の素」を発売する前、「味の素」が安全なものかどうか、衛生試験所に持ち込み、検査を行い、無害の証明書を得ました。口に入る食品が、安心安全なものであるかどうか、味の素社は創業当時から、厳しくチェックをしていました。年代:1908


アメリカ向け「味の素」

1918年(創業して10年後)には、ニューヨークに事務所を構え、アメリカ向けの「味の素」の販売を開始しました。アメリカでは「味の素」をスーパーシーズニングと称し拡販しましたが、一般家庭よりむしろ、キャンベルなどの缶スープメーカーにスープの原料として評価され、現在でもアメリカでは、加工食品メーカー向けの出荷が販売の大半を占めています。年代:1938


戦時中の「味の素」

昭和13年国家総動員法発令後、さまざまな生活関連物資の販売が制限され、割当制、切符制などによって国家の統制下に置かれるようになりました。戦前は、「味の素」のパッケージは、缶が主流でありましたが、第2次世界大戦が始まり、鉄製のものは全て使用できなくなり、ボール紙で「味の素」のパッケージを作っています。戦時中の状況が偲ばれる一品です。年代:1941


鈴木商店(現味の素社)、ニューヨークで発行した株券

創業して10年後の1918年には、いち早くニューヨークに事務所を構え、アメリカへの展開を図りました。1930年にはニューヨーク証券取引所で株券を発行し、資金調達を行なっています。年代:1930


試薬アミノ酸セット

もともと、「味の素」の成分は、アミノ酸の一種、グルタミン酸ですが、「味の素」を作る際、副生物として多くのアミノ酸が出てきました。人間のカラダを作るアミノ酸は、20種類ありますが、味の素社は、このアミノ酸20種を世界で初めて単離・製造することに成功しました。これによって、アミノ酸入りの点滴を開発することができるようになり、手術後・病後の延命に劇的な貢献をすることができ、今でも世界中で使用されています。年代:1956


発酵菌(グルタミン酸生産菌)探索ノート

昭和30年代に入り、「味の素」の製造法は、抽出法から、さとうきびを原料とする発酵法へと切り替わりました。これにより、飛躍的に生産量が伸びるとともに、海外展開も行ないやすくなり、東南アジアを皮切りに海外工場も次から次へと建設し、多くの国に進出を果たしました。この発酵菌探索ノートは、もっとも効率よくグルタミン酸を生産する菌を発見するため、一つ一つの菌をチェックしたノートです。数千の菌が調べられ、最もよい菌が選ばれましたが、菌を探索する活動は、50年以上経った今でも、ずっと続いています。年代:1958


「味の素」海外品

1960年代、海外展開が進んで行く中で、ブラジル、イタリア、メキシコなどで販売された海外向け「味の素」です。年代:1963-1970


ケロッグ発売当初品

味の素社は、1960年代から、国内において多角化を推進しました。1963年にはアメリカケロッグ社と提携し、ケロッグの総発売元としてケロッグの販売を開始しました。初期のケロッグの商品には、「味の素」のお椀のマークがついており、珍しいパッケージです。年代:1963


クノールスープ、クノールコンソメ発売当初品

味の素社は、1964年、アメリカ、コーンプロダクツ社と提携し、日本で初めてのインスタント洋風スープ、クノールスープを発売しました。発売当初は、なかなか売れず、苦戦しましたが、日本向け新品種「コーンスープ」を発売したところ、爆発的に販売が伸び、食卓の洋風化、パンの浸透に合わせて、日本の家庭へと定着していきました。「コーン」のスープは、世界で初めて日本オリジナルで開発された品種で、今でも欧米ではあまり見かけない品種です。年代:1964


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