「味の素KK川崎事業所資料展示室」 に対する検索結果 : 53

情報所有館 : 味の素KK川崎事業所資料展示室 

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宮内省出入りの門鑑

宮内省出入りの門鑑は木製手形で、昭和初期の通行許可制度でした。初めて皇族の工場視察があったのは大正15年(1926)5月13日で、昭和2年 (1927)4月11日に「味の素」は宮内省のお買上品に指定されました。このことにより、元旦、紀元節(建国記念日)、天長節(天皇誕生日)の年3回、 「味の素」を上納することになりました。 年代:1927


「味の素」類似品・類似品調査書類

「味の素」が世に出てから10年ほど経ち、世間での認知度も高まると、「味の王」「食の元」「味の都」「味乃素」「味の光」「味の力」などと銘打った類似品、 模倣品が出回りはじめ、大正15年には35銘柄を数えたといいます。当時、味の素は大正12年に特許権の期限切れの問題を抱えていましたが、6年間の期間 延長許可を得るのと並行して、これらの類似品メーカーを特許権侵害で訴え、開発者としての権利の保全と確立に努めました。その当時の調査書類です。なお、 昭和17年大審院で「味の素」の特許の有効性が確定しました。 年代:1925


池田博士研究資料

明治41年の池田博士の研究資料で大小の抽出物の瓶や研究ノートなどが展示されています。東京大学理学部所蔵のものです。池田博士は特許を取得する前年春 に、約10貫目(33kg)の昆布から浸出液を造り、「うま味」を分離しようとしましたが良い結果を得ることができませんでした。しかし明治41年に三宅 秀氏の「食物と消化」と題する講演記録を参考に実験した結果、短期間で「うま味」の分離に成功しました。 年代:1908-1925


「味の素」戦後商品

昭和25年から30年にかけて発売された「味の素」商品です。「味の素」と「ハイミー」の16種20点が展示されています。昔からの缶詰めや瓶詰めのほか に、当時新しく出たパック詰も展示されており、同封されている使用説明書1部も展示されています。昭和25年(1950)8月の自由販売再開当初の「味の 素」は、15g小瓶、50gボール缶、500g丸缶の3種でした。品種は増えて戦前なみになりましたが、販売の主力は家庭用小包装品でした。中でもヒット 商品は、昭和26年11月に発売された30g入りのふりかけ式食卓瓶でした。 年代:1950-1955


食用油・澱粉のラベル

当時の分解法によるグルタミン酸ソーダの製造技術では、「味の素」の約20倍の澱粉が副生され、主に紡績業界に販売していました。しかしながら、昭和に入り 澱粉販売が不振となり、昭和4年に販売したのが配合浮粉でした。浮粉とは小麦粉からつくられた純良な澱粉で、かまぼこのつなぎ材料として使用されますが、 純正な澱粉は高価格になるため、甘藷澱粉を加えた配合浮粉を「金玲浮粉」「銀玲浮粉」として従来の「エスサン浮粉」と合わせて3種類を販売しました。また 「味の素」の原料を小麦から脱脂大豆に転換するため、脱脂大豆を自給する宝製油株式会社を昭和10年に設立しました。その当時の澱粉のラベル2種類と食用 油のラベル1種類です。 年代:19291935


ヨード製造用石臼

ヨー ド製造時に、海草のかじめを粉にするときに使用していました。御影石で出来ていて、明治30年~明治40年頃に使用されていました。明治20年頃、大日本 製薬会社の技師をしていた村田氏は葉山の海岸に豊富にある「かじめ」に注目して、これを焼いてヨードを作ることを鈴木ナカ氏(「味の素」初代社長の母)に 薦めました。「かじめ」は1メートル半ほどの黄褐色の海草で、当時は肥料に使われるのがせいぜいでしたが、明治20年代からこれを焼いてヨードの原料(ケ ルプ)を製造することが普及していきました。 年代:1890頃


特約店椴木製看板大

当時特約店だった玉島町の柚ノ木商店のものです。当時、看板を利用した普及宣伝活動は積極的に行われていて、特約店から小売店まで全国すべての取扱店に「味 の素」の看板を掲げるとの方針を立て、サイドカーに乗って全国くまなく巡回して看板を設置して回ったということです。お椀型のほか短冊型柱掛け、横書き、 五色看板、矢入り釣り看板など多種類ありました。中でも好評だったのは短冊型町名番地入りの看板だったということです。


統制時代の「味の素」販売所看板

昭和13年国家総動員法発令後、さまざまな生活関連物資の販売が制限されました。「味の素」(グルタミン酸ソーダ)は14年秋に割当制になり、16年夏には 切符制も始まりました。市の発行する購入券と引き換えに「味の素」を配給するもので、切符は15人に1枚の割合だったそうです。昭和15年、「味の素」は 奢侈品(ぜいたく品)に分類されたこともあって、原料調達が制限される一方、生産についても、輸出・移出を除く生産は中止し、アミノ酸醤油、肥料等の生産 を主とするよう勧告を受けました。この販売統制は戦後もしばらく維持され、自由販売に復したのは昭和25年でした。この看板には、「家庭配給 味の素荷捌 所」とあります。 年代:1939


「味の素」発売案内状(ハガキ)

明治42年に「味の素」発売にあたり、「味の素」をそのまま売るのは包装費や広告費にコストがかかっている上、問屋や小売店の手数料が加わるので高く、原料 用には不向きであった為に作られたのが「醤素」でした。大口需要家の開拓を目的に、「醤油界の大福音」とするハガキを醤油醸造家あてに出しました。「理学 博士池田菊苗先生発明」や「専売特許14805号」という記述が入っています。 年代:1909


販売店向けPR誌

販売店向けPR誌で、定期刊行雑誌「味」です。サイズ262×190mm、32ページ、1色刷りで、創刊号のみ表紙2色刷りになっています。こうした定期刊行のPR誌や宣伝パンフレットを発行し、「味の素」は戦前から広告・宣伝に力を入れてきました。戦争により発行できなくなっていたPR誌「味」も昭和34年11月に復刊されました。年代:1935


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