「明治大学博物館」 に対する検索結果 : 80

情報所有館 : 明治大学博物館 

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スチロール樹脂製容器

パールエッセンス入りの樹脂。プラスチックならではのデザイン。 製造者不明 1957年収集


メラミン樹脂製人形食器

メラミンは広く食器生産に用いられるようになる。この頃は質感として他のプラスチックとの区別はつきにくい。理研合成樹脂株式会社 1957年収集


塩化ビニール樹脂製給食袋

合成樹脂の中では柔軟性・伸縮性があり布地の代用として使用された事例。製造者不明 1957年収集 


硬質漆器 菓子器

硬質漆器は大正15年(1926)に名古屋市中区の黒田忠譲店によって開発された。パルプを原料とする器胎を用いる。木胎のように歪みが出ないため輸出用に注目された。高度経済成長期まで名古屋は有数の輸出漆器の産地であった。1961年収集


硬質漆器 盆

硬質漆器は大正15年(1926)に名古屋市中区の黒田忠譲店によって開発された。パルプを原料とする器胎を用いる。木胎のように歪みが出ないため輸出用に注目された。高度経済成長期まで名古屋は有数の輸出漆器の産地であった。1961年収集


金属カトラリー

新潟県燕市の金属製洋食器生産は、明治44年(1911)に「捧(ささげ)商店」が東京の貿易商十一屋商店から受注したことを契機に発展。第2次大戦後は輸出産業として1954年に輸出量が急増、1958年にアメリカ政府から輸出制限勧告が出される騒ぎとなる。1980年頃には輸出は衰退。収集当時は国内生産の95%を占める新潟県の代表的な地場産業だった。 燕振興工業株式会社 1964年収集


輸出用金属カトラリー

高度経済成長を支えた輸出品産業として新潟県燕市の金属製洋食器は典型的な事例だった。ヨーロッパ市場向けマーク入デザート・ナイフ、デザート・スプーン(沖縄向け/米国市場向け/オーストラリア・南アメリカ市場向け)、デザート・フォーク(オーストラリア・南アメリカ市場向け)、フォーク(オーストラリア・南アメリカ市場向け)、テーブル・フォーク(カナダ市場向け)を収蔵。 赤羽工業株式会社 1964年収集


第18回オリンピック20競技シンボル付スプーン

亜鉛銀メッキ。日本橋高島屋にて購入。1964年収集


ディナー・セット

佐賀県有田の精磁会社や愛知県名古屋市の森村商会など、明治期に入ると洋食器を生産し海外に輸出しようという試みが始まったが、素地原料調合の問題などから器種によっては生産が困難なものがあった(特にオーバルの大皿)。そのため、本格的な洋食器のディナーセットの生産体制が整ったのは第2次大戦後のことであった。三郷陶器株式会社製 1959年収集


ガラス漆器 胴張形小皿製造工程

本来漆とガラスの相性は悪く密着性に難があったため、漆で絵柄をつける開発が本格化したのは1980年代からとなる。本品はそれ以前における貴重な開発例だが、ガラスの裏面から色漆で彩色、皿の底面となる側に下地をして漆を塗り重ねるしくみとなっており、現在のガラス漆器のように器の表面に漆をほどこしたものではない。漆の剥落をふせぐ苦肉の策ではある。1959年収集 


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