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情報所有館 : 歯の博物館 

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江戸期の木の入れ歯(木床義歯)

現存する日本で最古の木の入れ歯は、1538(天文7)年に亡くなった和歌山市願成寺の尼僧(通称:仏姫)の使っていた木の入れ歯である。当館にもいくつかの木の入れ歯がある。入れ歯は黄楊を彫刻して、前歯の見える部分は人の抜けた歯、象牙、蝋石などを上手にはめ込んである。奥歯は、銅や真鍮の釘を打って硬い食べ物も噛むことができた。その証拠に咬耗の跡がある、前記の仏姫の入れ歯は、前歯も顎の部分も全体が木で彫刻されている。又女性用のお歯黒の入れ歯も当館にある。


入れ歯師の広告(入れ歯の引札)

木の入れ歯は、仏師の手なぐさみからはじまったと云われている。奈良時代に鋳造仏が増えて、木彫仏の注文が少なくなり、仏師が失業し彫刻技術を活かして入れ歯師に転向したという。“装剣奇賞(そうけんきしょう)”1781(天明元)年には、2名の根付師が木の入れ歯を制作したという記載がある。江戸時代になると、小野玄入、長井兵助など入れ歯師という専門職ができ、抜歯や歯痛の治療などをおこなうようになった。江戸時代の木床義歯の広告、明治の開港の後、西洋から輸入されたゴム床の義歯の広告、木床義歯とゴム床義歯と両方を手掛けている入れ歯師の広告など日本の医制の変化に伴って変遷の軌跡を見ることができる。 


明治初期から昭和の戦争中まで使われていたゴム床義歯

幕末から明治初期にかけて、横浜居留地には外国人歯科医が開業した。外国人歯科医は、当時のアメリカの最新歯科材料や技術を日本に持ち込んだ。ゴム床義歯は、生ゴムに硫黄を混ぜた材料を圧力釜の中で高圧、高熱を加えて硬くしたものである。外国人歯科医の助手を通じて、技術が伝わりゴム床義歯は「西洋義歯」と呼ばれ、明治中期には「皇国義歯」と呼ばれた木の入れ歯はだんだん少なくなった。戦後、義歯の材料としてプラスチックが輸入されるまでゴム床義歯は世界中で使われていた。


江戸時代、房楊枝および房楊枝を売る楊枝店の絵画

「江戸名所図会」などには楊枝店の様子を見ることができる。江戸時代中期になると、歯木から現代の歯ブラシに相当する川柳、黒文字、肝木を材料に加工した房楊枝が商品化された。明治中期頃まで、庶民は房楊枝を使っていた。浅草寺の境内には、美人の看板娘を置いた楊枝店が数十軒あり賑わっていた。


各国の歯木

インド、モロッコ、ギニアなど南方では歯木を見ることができる。古代インドで、釈迦が弟子たちに仏前に詣でる前に歯木(小枝の端を噛んで繊維を出したもの)で歯を清掃することを勧めたのが歯みがきの始まりである。釈迦が使った小枝は、菩提樹かニームであると云われている。西遊記の三蔵法師のモデルとなった中国の僧・玄奘三蔵は、インドで16年間仏教を修業し、中国に帰って歯みがきを伝えた。中国には、菩提樹の木がないため楊柳の枝を使い歯をみがいたため「楊枝」と呼ばれたという。


明治初期の小楊枝(つま楊枝)

当館には種々の小楊枝が展示してある。房楊枝の一端の尖った部分が独立したと言われている。小楊枝、爪楊枝、妻楊枝という言い方がある。江戸時代や明治時代には、小楊枝は楊枝師による手作りであり、キセル、白魚、ウナギ、鉄砲、船の櫂、房楊枝を小型にした形態に削ったものなどがある。材料は、柳、黒文字、うつぎ、白樺、竹などである。小楊枝を使っている浮世絵も数枚展示してある。


江戸時代の歯みがき粉の袋(表と裏)

歯みがき粉は、1625(寛永2)年、丁子(ちょうじ)家喜佐衛門が朝鮮から来た人に教えて貰い、“大明香薬砂”、“丁子家の歯磨”という商品名で売り出した。安房の国の房州砂を水飛し細かい粒子にしたものに龍脳や丁子などを加えて、紅でピンク色に染めた。歯みがきは、江戸の名物で、浅草寺の境内の楊枝店、小間物店、銭湯、歯みがき売り(百眼米吉:ひゃくまなこよねきち)などで購入した。当館には数多くの歯磨き粉の袋と広告がある。明治、大正、昭和のものも展示してある。


江戸時代の日本の抜歯道具を再現したもの

フロイスによる“日本覚書”、松田毅一訳1986(昭和61)年には、“われらは抜歯鋏、鉗子、鸚鵡(おうむ)の嘴(くちばし)などを用いて歯を抜く。日本人は鑿(のみ)、木鎚、弓と矢、鉄の釘抜きを用いる”とある。当館には「瘍科秘録」本間玄調著にある抜歯道具を再現したものなどを展示している。


江戸時代、抜歯時の麻酔についての本

江戸時代には、麻酔をしないで抜歯したとされている。しかし、華岡青洲は、整骨師が使っていた朝鮮アサガオ、マンダラケなどの毒薬を調合した麻酔薬(麻薬,魔薬と呼んだ)で手術をしていた。口中医や入れ歯師は、現代の表面麻酔のように、これらの薬物を調合、綿糸に染み込ませて歯の周り歯肉に押し込み時間をおいて抜歯したという。当館には「口中医書」の写本などがある。


江戸時代の歯痛を止めるまじないの引き札

江戸時代は、虫歯になり歯痛があると、1.神仏に祈願、2.おまじない、3.鍼灸、4.生薬などの民間薬、5.口中医や入れ歯師、香具師など口中薬などを用いた。水戸光圀が、藩医・穂積甫庵に命じて出版された「救民妙薬」、1693(元禄6)年刊には、動植物を用いた歯痛止めの薬が記載してある。


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