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情報所有館 : 国立科学博物館 

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ダットサントラック 120型

戦後新設計のダットサンを作ろうと開発を進め、オースチン国産化の技術を取り入れて昭和30年に110型セダンと共に発表された。耐久性、経済性、積載容量の飛躍的向上がなされた。


オースチンA50ケンブリッジサルーンB131型(乗用車)

海外技術を導入してすべての部品を国産化して組み立てた最初の車。それまでイギリスのオースチン社と技術提携してA40をノックダウン生産していたが、1954年に本国でのモデルチェンジに合わせて国内でもA50の組み立てがはじまり、56年にはすべての部品の国産化を完了した。(写真は昭和35年の最終オフライン車)


ダットサン ブルーバード P311型(乗用車)

従来のダットサン車のモデルを一新した画期的な小型乗用車。初代ブルーバードの発売は1959年の8月。翌年10月にマイナーチェンジされ311となった。日本車では当時唯一のフルシンクロを採用。


ニッサン セドリック G30型(乗用車)

オースチンの技術を吸収して作った中型車。初代セドリックは1960年に発表され、縦4灯のヘッドランプがスタイリング上の大きな特徴。


ダットサン フェアレディ SP311型(レース仕様乗用車)

わが国の近代モータースポーツの幕開けとなった「第1回日本GP」(1963)のB-IIレースで優勝した車。ブルーバード310のシャシーとセドリックのエンジンをベースにした本格的なスポーツカーとして一世を風靡した。


ニッサン シルビア CSP311型(乗用車)

フェアレディ1600(SP311)のエンジンとシャシーをベースにセミカスタムメイドで生産されたスペシャルティカー。昭和40年3月から43年6月までの約3年間だけ生産された。


ダットサン サニー B10型(乗用車)

車名キャンペーンを展開し、日本のモータリゼーション拡大のきっかけを作った大衆車。窓面積が広くルーミーな室内が特徴で、わずか625kgという軽さだった。


プリンス R380-I型(乗用車)

第2回日本GPでポルシェに惜敗したプリンス自工が総力を上げて開発した、日本のレーシングカーの草分け的車。66年第3回日本GPではポルシェを破って優勝した。(写真は優勝した砂子義一選手の11号車)


ダットサン ブルーバード P510型(ラリー仕様乗用車)

67年8月に発売された三代目ブルーバード(510型)は、セダンとしては画期的な4輪独立懸架を採用。(写真は71年にサファリラリーで総合優勝を果たしたマシン)


ニッサン フェアレディ Z432 PS30型(乗用車)

初代フェアレディZ。Z432は4バルブ、3キャブレター、2本カムシャフトという意味を表わし、R380エンジンのデチューン版であるS20型エンジンを搭載。


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