「浜松市楽器博物館」 に対する検索結果 : 30件
情報所有館 : 浜松市楽器博物館
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1765年 F.E.ブランシェ2世作 パリ。 フランス、ブルボン王朝の王室楽器製作者、フランソワ・エティエンヌ・ブランシェ2世作のチェンバロ(フランスではクラヴサンと呼ぶ)。ブランシェ2世は一族最後の製作者で、父の1世作のチェンバロは、今もヴェルサイユ宮殿に残っている。フランス、ロココ文化を代表する繊細で優雅な音色を持つチェンバロの名器である。
1994年頃製作 インドネシア、バリ島。 世界最大級の竹筒のシロフォン。大小15台が一組。個々の楽器にはそれぞれ名前があるが、中央奥の最大のものがジェゴグ。楽器全体もジェゴグと呼び、演奏する音楽の総称もジェゴグと呼ぶ。バリ島の西部ヌガラ地方に伝わる農民の楽器で、収穫のお祝いや、踊りの伴奏、娯楽としての演奏や、グループ対応の競技演奏に使われる。
1995年、大笹屋作 京都。日本の雅楽で使う低音太鼓。鼓面の直径約54cm、胴の深さ約23cm。音楽の流れの節目や高揚する部分で、撥で打ち鳴らす。金地を背景に3匹の唐獅子が、赤い天衣(てんね)と戯れる華やかで目出度い図柄。縁の青い文様は海の波。鳴り響く太鼓の音は、音楽を包み込む、波の音である。
1995年 大笹屋作 京都。日本の雅楽で使う太鼓。小鼓より一回りほど大きい。両手に細長い撥を持ち、太鼓の両面を細かく打ち鳴らす。奈良時代に雅楽とともに中国から伝来した。雅楽では指揮者の役割を担う重要な楽器である。中国、唐の玄宗皇帝は音楽をこよなく愛し、自身も鞨鼓の名手であった。
20世紀 ミャンマー。竹山道雄の小説「ビルマの竪琴」で、同名の楽器として年配の日本人にはよく知られるミャンマー(旧ビルマ)の弓型ハープ。曲がった(ガウ)琴(サウン)の意味。小説では僧になった水島上等兵が演奏するが、実際は宮廷楽器なので俗人が演奏することはない。弓型ハープはインド起源で、現在に残るのはサウン・ガウのみ。数多ある世界の楽器の中でも、最も美しいもののひとつだろう。
1825年頃 A.ヴェントゥーラ作 ロンドン。古くからある楽器のハープと、当時イギリスで流行していたイングリッシュ・ギターとを合体させて19世紀初頭に考案された楽器がハープリュート類。中産階級の婦女子のステイタスシンボルとして1830年頃まで人気があった。見た目の豪華さ、演奏の容易さ、携帯の便利さ、そして廉価であったことなどが人気を支えた。この楽器は発達の最終段階のもので、「インペリアル・ハープ・リュート」という商品名で有名。
フォルテピアノとはおよそ19世紀中頃までのピアノを現代のピアノ(モダンピアノ)と区別する時のピアノの呼称。このフォルテピアノは、1808年~1810年、A.ワルター&サン(ウィーン)の作で、跳ね上げ式(ウィーン式)アクション。ワルターは「帝室・王室宮廷のオルガン製作家及び楽器製作家」の称号を持つ当時の最も優れた楽器製作者。ウィーン時代のモーツァルトもワルターのピアノを使用。ワルターのピアノは40台ほどしか現存せず、貴重な一台である。
1802年頃 J.ブロードウッド&サン作 ロンドン。突き上げ式(イギリス式)アクション。ブロードウッド社はジョン・ブロードウッドにより1782年に創設。当代きってのピアノメーカーで、20世紀におけるスタインウェイのような存在であった。産業革命による工業化を楽器製作に取り入れ、物理学者の意見を設計に取り入れた。豊かな響き、残響の長さが特徴である。ベートーヴェンも使用し、彼のピアノ作品の作曲に大きな影響を与えたとされる。
1805年頃 トーマス・ラウド作 クレメンティ社販売 ロンドン。製作者については詳しくは知られていない。スクエアピアノは18世紀後半初期にドイツ人ツンぺがロンドンで製作した。小型で軽量だが、愛らしく優雅な響きはたとえようもなく美しい。チェンバロやグランド型ピアノに比べると、約半分ほどの価格であったこともあり、19世紀後半から20世紀にかけてイギリス中産階級の間に広く普及し、家庭の団欒に大きな役割を果たした。
18世紀初期、ステファン・キーン(ロンドン)作。チェンバロと同じく弦をはじいて発音する鍵盤楽器。小型で、本体が3角形であることが標準。起源は不詳だ。16世紀にイタリアで流行した。18世紀にはヨーロッパ全域に普及した。大型で華やかなチェンバロとは違い、この小さな楽器は、演奏会をして他人に聴かせるためのものではなく、自身が音楽と向き合い楽しむためのものである。慎ましやかで典雅な音楽がこの楽器にはよく似合う。
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