「福井県立こども歴史文化館」 に対する検索結果 : 54

情報所有館 : 福井県立こども歴史文化館 

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エジソン・ベル・エラ

1907年製造のモデルですが、この頃はすでにシリンダー型蓄音機の売上げは急激に低下しており、1908年にはエジソンもディスク型蓄音機を発売することになります。尚、エジソン・ベルはシリンダーの製造を1912年まで続けました。エジソン・ベル社は、エジソンやベルなどの特許を使用することを目的として1898年に英国に設立された会社です。このエラモデルは、エジソンスタンダードと同等の仕様になっています。


エジソン・ベル・ジェム

このジェム型はアルミニュームホーン付で捲き上げはチョウネジではなくクランクによって行なっています。光沢仕上げのオークケース入りの製品が2ポンド5シリングで売られました。


エジソンA-100

標準的なモデルです。円盤再生用蓄音機のシリーズ中の機能は同程度でした。ユニークな構造のトーンアームとリプロデューサーにダイヤ針を使用しています。(ダイヤモンドディスクの命名の由来です)アームと連動しているホーンなど、他には見られない多くの特長を持っています。福井県立こども歴史文化館にあるA-100は初期のモデルです。


エジソンC-150

機能的には、円盤再生用エジソン蓄音機の他機種と全く同一です。ちなみに、エジソンは蓄音機とレコードの製造を1929年まで続け、以後完全に業界から撤退しました。


エジソンC-250

エジソンの代表的な高級モデルで、ダイヤモンドディスクチッペンデールと呼ばれました。チッペンデールとは、18世紀イギリスの家具デザイナー、トーマスチッペンデールの名前を取り上げて命名されています。デザイン、大きさ、再生音などいずれを取っても他を寄せ付けぬ性能を持っています。機能的にはリニア、トラッキング的なアームとサウンドボックス、リモコン操作によるアームリフター、トランペットのミュートみたいな音量調節機構が付いています。C-250には有名なオペラ歌手との声のすりかえ実験が何度も行なわれています。C-250の名称の由来は、当時250$で販売されたためです。


ビクトロラIV

ビクター社が最初に発表したホーン内蔵型蓄音機です。このタイプはビクトロラと名付けられました。このことは、従来からの蓄音機のイメージをすっかり変えてしまい、他社メーカーに大きな影響を与えました。この製品が発売される以前の1903年にはトーンアームが発明され、ビクター社により実用化が計られ、サウンドボックスと分離したホーンは大型化されています。以後ホーン内蔵型が主流となり、大きさとは無関係に音質の向上が計られました。このモデルは、外部ホーン付のD型と同じ部品が使用されています。


ビクトロラ11

11型は、フロア型としては標準的な大きさと性能を持ち、当時よく売れた蓄音機となりました。本体はマホガニー材で12インチのターンテーブル、グースネックのトーンアームにNo.2のサウンドボックスが取り付けられており価格は当時110ドルで売られていました。


ビクトロラ16

4本ゼンマイモーターで12インチのターンテーブルを駆動しています。金属部分は、金メッキされており、オートストップ機構、スピードインジケーターも取り付けられています。ホーン開口部は他と比較すると小さめです。この一連のビクトロラは随時各部の変更が行なわれながら、長期間生産されました。


ビクトロラ210

1919年にRCA社が設立されました。 翌年よりラジオ放送が開始されると人々の関心は急速にレコードより離れていきました。RCAの業績が急進していく反面、レコードの生産量は急激に減少しました。その様なタイミングで発売されたのが210型です。フロア型で天面が初めてのフラットデッキスタイルです。左側がレコード棚になっていましたが、1924年になると、ラジオが収納できるように変更されました。ラジオによる音響機器のショックは、ラジオよりレコードの方が音響的に優れていたためまもなくおさまり、再びレコードの売上げが回復し上昇に転じました。


ビクトロラ410

アコースティック録音最後期のモデルです。かなり豪華なコンソール型で向って右側がホーン部、左側がレコード棚になっています。トーンアームなどはすべて金メッキが施され、4重ゼンマイモーターが使用されています。サウンドボックスはNo.2です。


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