「長崎大学附属図書館」 に対する検索結果 : 30

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松ヶ枝橋と大浦居留地

明治3(1870)年に創架された初代の松ケ枝橋(当時は下り松橋と呼んだ)は、画面で鮮明に見えるように中央に石積みの橋台を置き、そこから3本の束を立てて支える木製の桁橋であった。よく見ると欄干には地覆(土台)がなく、手すりごと所々に止め金を巻いて桁に固定していたことが分かる。橋の背後のアーチ型ヴェランダ装飾がある洋館は大浦11番Aの三角地に、隣の大きな寄棟屋根の洋館は同11番地に建っていた。後者の前面には屋上をテラスとした平屋部分が延びている。(上野彦馬撮影 明治初期 印画紙サイズ20.7×27.8cm)

情報所有館 : 長崎大学附属図書館 


中島川と桃渓橋

桃渓橋は堂門川に、延宝7(1679)年、永島仁左衛門こと僧ト意(ぼくい)が架けた長さ12.4m、幅3.4mのアーチ石橋である。この写真は大井手橋の上から中島川二股を撮影したものである。右側人家後ろの樹木は、伊勢宮神社の楠の大木である。堂門川と銭屋川(中島川)の合流点角の岸には川へ下りる階段が設けられている。写真左側には、手前から白壁の蔵、唐船海上安全祈願灯、松の大木、不動明王堂等が見え、江戸時代の名残をとどめている。
(上野彦馬撮影 明治初期 印画紙サイズ20.8×27.6cm)

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中島川と高麗橋

左側白い塀のところが伊勢宮神社、後ろに武功山の稜線、川には高麗橋、その奥に阿弥陀橋、右側は八幡町である。堂門川と合流する直前の銭屋川(中島川)の風景である。出来大工町の不動明王堂のところからの撮影で、高麗橋の袂の伊勢町側に明治4(1871)年に建設された街灯が見えないことから、明治初年頃のものと思われる。(上野彦馬撮影 明治初期 印画紙サイズ21.2×27.8cm)

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伊勢の宮神社

明治6(1873)年頃、長崎伊勢町37番地にあった伊勢宮神宮を正面から撮影している。石橋は中島川に架かる高麗橋である。この神社はキリシタン時代に荒れていたが、寛永16(1639)年に伊勢宮として再興された。諏訪、松の森とともに長崎三社の一つ。明治元(1868)年1月に長崎奉行の江戸への脱出後、薩・長・土・肥の藩士の会議所政事となった。代わって長崎総督に就任した沢宣嘉の国道発揚により優遇される。右の街灯、門下の可動式椅子、髷の男性に維新直後の雰囲気が感じられる。(上野彦馬撮影 明治初期 印画紙サイズ21.8×28.4cm)

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中島川と阿弥陀橋

左岸に伊良林の水神社の森、川の下流に阿弥陀橋が見える銭屋川(中島川)の風景である。阿弥陀橋は、伊勢町-八幡町間の長さ13.4m、幅4.5mの唐風石橋である。元禄3(1690)年、貿易商人園山善爾の喜捨で架けられた。橋の袂に阿弥陀堂があるため阿弥陀橋、別名極楽橋とも呼ばれた。江戸時代、西坂で処刑される罪人が市中引回しの際に必ずこの阿弥陀橋を渡り、極楽浄土を願ったことに因んで極楽橋と呼んだと言われる。(上野彦馬撮影 明治初期 印画紙サイズ20.6×27.8cm)

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上野彦馬邸と中島川

左側の白い武家塀の家が上野彦馬邸(上野撮影局)、その手前大きな屋敷が東京の湯島・佐賀の多久と共に日本三大聖堂の一つといわれた長崎聖堂である。その対岸の樹木が見える所が伊良林の水神社で、江戸時代に上水道として敷設された倉田水樋の水源に近い。上野彦馬邸には明治5(1872)年頃新築された2階建ての写場が見える。(上野彦馬撮影 明治初期 印画紙サイズ20.7×25.8cm)

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諏訪神社旧中門

長坂を上がり総門をくぐった正面、安政4(1857)年の火災で焼失後、明治2(1869)年に再建された諏訪神社中門の風景である。右側に明治3(1870)年奉納の青銅の馬が見える。中門は別名四礎門とも言われた。木造檜皮葺、流破風造りの建物で、正面には菊花紋、屋根下には「正一位諏訪三所」の扁額が掲げられていたが、写真では見えない。中門の左右は透塀で、左右の回廊に続いている。前の広場は能馬場と呼ばれ、能舞台があったところである。(上野彦馬撮影 明治初期 印画紙サイズ20.6×27.8cm)

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諏訪神社の拝殿と祝詞殿

諏訪神社の拝殿と祝詞殿が側面から撮影されている。拝殿は一般人の参拝所で、左右正面に上が口を開く。渡り廊下でつながる祝詞殿の内部は畳敷きである。諏訪神社は、寛永2(1625)年に現在の松森神社の地に再興され、慶安4(1651)年に現在の場所に遷宮した。秋の「くんち」で有名な長崎の氏神である。
(上野彦馬撮影 明治初期 印画紙サイズ21.2×27.6cm)

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深崇寺鐘楼堂

深崇寺は、元和元(1615)年に創立されたという浄土真宗本願寺派の寺院である。右手の建物は山門の右側、庫裏に面して建つ鼓楼で、これの創建年代は不詳だが、写真に写るのは文化5(1808)年に再建されたというものであろう。他方、画面左手は単層、切り妻造の鐘楼である。この建物は、元禄の頃に創建され、寛政12(1800)年と安政6(1859)年、さらに下って大正6(1917)年に改築されたという。しかし現在は、鐘楼はずっと左へ移築され、鼓楼とのあいだには4区画の墓地が形成されている。(上野彦馬撮影 明治初期 印画紙サイズ21.8×28.0cm)

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清水寺と市街地周辺

高島秋帆宅跡付近から清水寺を望んだもの。寛文8(1668)年に再建された清水寺本堂の右には、かっての鐘楼が見え、石門の右手には明治10(1877)年に隣の八坂神社から購入移築した現存の鐘楼がないので、撮影はそれ以前である。本堂の前には現在もある3基の石灯籠が見え、その下は聖天堂や庫裏に通じる中門で、その右側には長い石段が見え隠れしている。中央上が風頭山の頂で、現在ならば、そこにホテル矢太楼が望まれる。                                  (上野彦馬撮影 明治初期 印画紙サイズ21.2×27.8cm)

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