「那覇市立壺屋焼物博物館」 に対する検索結果 : 40

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シーサー

シーサーの原形はオリエントやインドに生息していたライオンといわれる。シルクロードを通って中国に伝わる間に姿・形を変えて獅子になり、13~15世紀頃沖縄に伝わり独特のシーサーになった。14世紀頃シーサーは王族の権力の象徴として、寺社や王族の墓などに用いられた。17世紀頃になると、村落の入口などに石獅子が魔よけや火災よけとして置かれるようになった。作者の國場真一(1887~1968)は、陶工達の間でも「彼の右に出るものはいない」と称されるほどシーサーの名工として知られていた。尻を立て威嚇する姿勢や顔を横に向けるスタイルは彼が考案したものといわれている。【國場真一作/20世紀】

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チブルシーサー

壺屋焼の荒焼の製法で作られた頭部(チブル)だけのシーサー。陶製のシーサーが壺屋で作られるようになったのは19世紀末期から。始めに作られたのが荒焼のチブル(頭部)シーサー。そのころ、瓦葺き職人が瓦と漆喰で作る漆喰シーサーも普及していった。大正から昭和にかけて全身像のシーサーが焼物で作られるようになり、戦後は上焼のシーサーなども作られるようになった。現在では、屋根の上や門柱に据えられているシーサーを沖縄の至る所で見ることができる。【壺屋焼/19世紀】

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白土焼締シーサー

白土で成形し焼成した作品。作者小橋川永仁(1922~1977)は、ロクロの技術は父・仁王から、絵付けは兄・永昌から、そしてシーサー作りは國場真一から学んだ。壺屋の伝統を守りつつ新しい技術を取り入れる革新的存在であり、シーサー作りに石膏型を利用したのは永仁が最初といわれている。非常にアイディアが豊富で、シーサー形の灰皿を考案するなど、新しい形の製品を次々と生み出した。壺屋陶器事業協同組合の初代理事長として壺屋焼の発展に貢献した。【小橋川永仁作/20世紀】

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線彫双魚文皿

皿の中央に二尾の魚が、縁には2本筋と連弁文様が線彫りで描かれている。飴釉、濃紺、鮮やかな青色に発色するそれぞれの釉薬を使い分けて画面の構成を行っている。1963年12月に行われた第6回壺屋陶芸三人展出品作品である。濱田庄司は「次郎の魚は笑っている」と評した。金城次郎(1911~2004)は沖縄県真和志村字与儀(現那覇市)生まれの陶芸家。1985年に国指定重要無形文化財「琉球陶器」の保持者(人間国宝)に認定されている。魚文がトレードマークともいえる次郎だが、インタビューで「沖縄は海に囲まれているので、沖縄らしい模様を作りたかった。そこで魚と海老を選んだ」と答えている。【金城次郎作/1963年】

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イッチン魚文皿

器全体に鉄釉が施されている。スポイト状の道具を使い、液体状にした白土で模様を描くイッチンと呼ばれる技法で、魚と波紋が描かれている。また、口縁部にも白土がぬられ、器面全体を引き締めている。底部・高台内には「金次」の刻銘がある。高台には紐が通せるように穴が二つあけられており、壁面に下げる飾り皿としての意図がうかがえる。琉球電信電話公社総裁でもあり、また沖縄民藝協会を支えた人物の1人でもある新里善福の旧蔵作品。【金城次郎作/1960年代】

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指描唐草文双耳壺

口縁に緑釉が、外面全体に透明釉が施されている。外面は白化粧が施されているが、乾く前に指でふき取られ、唐草模様が描かれている。肩には2つ耳が付けられている。【金城次郎作1960年代末~1970年代】

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線彫魚・海老文壺

口縁に緑釉が施されている。外面全体に魚と海老が様々な模様とともに線彫りで描かれており、文様部分は青と飴色の釉薬で彩色されている。【金城次郎作/1970年代前半】

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線彫魚文三耳壺

外面胴部に線彫りで魚が描かれている。盛り付けの技法で装飾された部分にコバルト釉が、口縁部に緑釉がぬられている。底部は焼成の際に裂けたようで、セメントによる補修が行われている。金城次郎は焼成中に破損した作品も補修を加えて販売することがあった。破損品を安価に市場にだすということは琉球王府時代から行われており、金城次郎もその系譜を引き継いでいる。作家性を重視する現代陶芸の立場から強く批判されたこともある。ただ、市場に出さなかった失敗品もあり、一部の傷や破損より、焼成による全体の雰囲気が優先されたと考えるべきであろう。多少の破綻をいとわない焼成が独特の迫力を生み出している。【金城次郎作/1960年代】

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掻落唐草文壺

外面全体に白化粧と透明釉が施され、口縁から頚部にかけて緑釉が掛けられている。肩と腰部には2本筋の線模様がそれぞれ施され、胴部には掻き落としの技法で唐草文様が描かれている。掻き落としとは、文様のまわりを削り、浮き彫りに見せる技法である。【金城次郎作/1970年代初頭】

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三彩線彫市松文台付鉢

外面は口縁から底部まで飴釉が掛けられている。内面は中央に花の文様が、その周りを取り囲むように市松文様が線彫りで施され、全体が三彩で色づけされている。フルーツなどを盛るための鉢であろう。壺屋焼の伝統的な形ではなく、戦後期の壺屋焼の主要な買い手であった米軍関係者を意識した作品と考えられる。当時の壺屋では、米軍関係者向けの土産品や西洋の生活様式にあった製品も多く作られていた。【金城次郎作/1952年】

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