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電子式卓上計算器 ROOT-M

カシオ計算器が1972年に発売し、”答え一発カシオミニ”のコピーに乗ってベストセラーになった電子式卓上計算器、電卓。10進6桁、演算回路は1個の集積回路で作られ、表示は蛍光表示管を使い、12,800円。年代:1972年


電子式卓上計算器 SOBAX2600

ソニーが発売した集積回路を使用したテンキー方式卓上計算機。表示は15桁(ニキシー管)。電源はAC90-117V。寸法:31.5×15×43.5(cm)。価格:348,000円。SOBAXはSOLID STATE ABACUSの略で、1967年から1973年まで多くの機種が発売された。年代:1971年


電子式卓上計算器 マイクロカルキュレーター9700

ヒューレットパッカード社が1976年から1982年にかけて製造・販売した、磁気カードとプリンター内蔵、プログラム可能なポータブル卓上計算器。プログラムメモリー:224ライン。データ:固定小数点、浮動小数点。定数メモリー:26。サブルーティン:3層。内蔵関数:28。番地指定:シンボリック、絶対番地、間接番地、相対番地。表示桁数(10進):少数部10桁、指数部2桁。寸法:23×6.5×20(cm)。価格:220,000円。年代:1976年


和文タイプ PANWRITER

最後期の和文タイプライター。一般消費者を対象に、機能を限定して簡素、小型化を図った機種。活字は、漢字、ひらがな、カタカナ、大小英文字、アラビア数字、各種符号などが含まれている。活字は平らな活字盤上に並べられていて、印字する文字上にカーソルを移動して印字レバーを押すと、活字が拾い上げられ印字が行われる。縦書と横書はレバーで選ぶ。邦文タイプとも呼ばれていた。年代:1976年


電子コンパクトタイプライター ELECTRA61 JP116-621

ブラザー工業が発売した電動タイプライター。デイジーホイール印字エレメントを使い高品質(IBM SELECTRICと同等)の印字をする。タイプライターから電子式のワードプロセッサーへ進化する中間にある。オンラインの使用もできる。46キー、印字速度:毎秒15文字、印字幅:1インチあたり10文字、12文字、15文字、行ピッチ:1、1.5、2行、寸法:437×135×391(mm)。


テレビ受像機 8-301W

ソニーが発売した日本最初のトランジスタテレビジョン受像機。8型CRT、トランジスタ23石、ダイオード18個、高圧整流器2を使用。寸法:180x210x230(mm)。重量:6.0kg。このテレビ実現のために、200MHz以上で使用できるトランジスタ、小電力ブラウン管が開発された。世界最初のトランジスタテレビジョン受像機Philco Safariは、2インチのCRT上の画像を反射拡大して見る構造になっていたので、TV-8-301Wを世界最初の直視型トランジスタテレビジョン受像機と呼ぶことがある。年代:1960年


カラーフラットテレビジョン TH-14F1

松下電器産業(現在のパナソニック)が発売した、特殊なCRTを使った14型薄型カラーテレビ受像機。これは数ミリの大きさのCRTを数千個あるいは数万個ならべて画面を構成する技術による。すなわち1個のCRTの蛍光面を多数の小さな領域に分割し、それぞれにたいする小型のCRT機構を全体のCRT内部に作ることで薄型CRTを実現した。厚さ:98mm。価格は288,000円。年代:1993年


制御回路用読出専用記憶

HITAC-8350の制御回路のマイクロプログラムを格納するのに使われたトランスフォーマー型読出し専用記憶装置。マイクロプログラムはプラスチックテープ上に印刷された回路を切ることで記録する。寸法:18×8×4.8(cm)。その後半導体記憶装置が開発されると、マイクロプログラムの記憶用にも使われるようになり、さらにVLSIの進歩とともに、マイクロプログラム制御装置は使われなくなっていった。年代:1973年


ラインプリンター活字ドラム

日立製作所が1970年ころに販売していたラインプリンターの印字ドラムとハンマー。ラインプリンターは毎分1000行を超える速度でコンピュータの計算結果を印字出力するが、このために円周上に印字される文字の活字を彫刻した円盤を1行の文字数だけ共通の軸に通して作った印字ドラムを高速で回転し、目的の文字がリボンの位置に来たときにハンマーでたたいて印字する。ラインプリンターには、この他に、チェイン上に活字を彫刻しておくチェイン式ラインプリンターなどがある。年代:1973年


印刷鍵盤カード鑽孔機

日立製作所が1970年頃に販売していた、カードの鑽孔機。この時代の計算機の使い方はバッチ処理と呼ばれ、利用者がカード鑽孔機を使ってプログラムを鑽孔した大量のカードを、カード読み取り機によって高速で計算機に読み込み、処理をし、結果をラインプリンターで高速に印字して利用者に返すという方法をとっていた。年代:1973年


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