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情報所有館 : スズキ歴史館SUZUKI PLAZA 

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A46片側四挺杼

四挺の「杼」(ひ)を搭載できる「杼箱」を左側に搭載した自動織機。「杼」とは、布のヨコ糸をタテ糸の間に通す道具のことで、この織機には4本の「杼」が搭載され、格子柄(チェックのサロン柄)を織ることができた。また、複雑なヨコ縞の柄をプログラムする「カード」節約装置も搭載していた。 年代:1955年代


杼箱上下器 搭載織機(復元)

1911年に創業者鈴木道雄が発明した「杼箱上下器」は現存するものがなく、実用新案の登録書類のみが残っていた。この織機は、その登録書類をもとに「杼箱上下器」の原理を裏付けるために復元した「足踏織機」である。ベースとなる足踏織機は「浜松市博物館」所蔵の織機を参考とした。 年代:1910年代


A44一挺杼自動織機

当館に保管されている「鈴木式織機」で最も古い自動織機。搭載できる「杼」が1本だけのタテ縞の布を織るための織機だが、44インチ(約112cm)幅の布を織ることができた。当社発展の原動力となった四挺杼自動織機(サロン織機)の先駆けのモデル。 年代:1930年代


A60片側四挺杼自動織機

洋装文化の影響で鈴木式織機にも、今まで以上に幅の広い布を織る織機が登場する。この織機では60インチ(約152cm)幅の格子柄を織ることができた。この時代は、戦争の影響で織機以外の軍需品の生産をすることもあったが、焼け野原の中で迎えた終戦を機に、本来の織機製作へと復帰していった。 年代:1940年代


A66自動織機(ジャカード機)

ジャカードとは、模様をプログラムした「紋紙」でタテ糸の動きを自動制御するシステムのことで、ジャカード織機は、複雑な模様を自動で織り込むことができた。紋紙には穴が空いており、この穴の数と位置によって模様をプログラムした。ジャカード織機は、フランス人のジョセフ・マリー・ジャカールが発明したもので、1801年にパリの産業博覧会で発表された。 年代:1950年


A44片側四挺杼自動織機

この四挺杼織機には、鈴木式織機製の「ドビー」という装置が付いている。ドビーとは、タテ糸を上下に開口させる開口装置の一種で、この装置付きの織機で織られた生地には、生地そのものに立体感や風合いが生まれる。ジャカードに比べると、比較的単純ではあるが、規則正しく連続した幾何学模様を織り出すことが得意な織機だった。 年代:1950年


A56片側四挺杼自動織機

この自動織機は「カード節約装置」を搭載しており、複雑な格子柄も必要最低限の「カード」で織ることができた。四挺杼の自動織機は、ヨコ糸が装着されている「杼」を4本搭載でき、4色のヨコ糸で色鮮やかな格子柄を織り込むことができた。 年代:1955年


クリール

タテ糸を巻いた大量のボビンを棚にセットすることで、タテ糸の柄を順番に合わせて巻き取るための装置。一度に約200本のボビンをセットできるが、これで巻き取れるタテ糸の幅は約5cm分にしかならないため、約120センチの布を織るためのタテ糸を準備するには、同じ作業を24回も繰り返す必要があった。 年代:1930年代


綾取機

「綾取り」とは、タテ糸が乱れて絡まらないようにするための、糸に「綾」を作って順序を決めるもののこと。この綾取機は、クリールから引き出されたタテ糸に綾を作りながら、効率的に整えて絡まないようにするための機械。 年代:1930年代


M型部分整経機

「整経機」は、タテ糸を整えるための機械だが、タテ糸の本数や長さを整えるだけでなく、同じ密度と張力を保ちながら、所定の幅で均一に配列された糸を「ビーム」に巻き上げていくことができる。 年代:1930年代


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