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情報所有館 : 日本工業大学 工業技術博物館 

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手廻し動力装置

人力で大きな力を得るための一つの方法として「はづみ車」の利用が考えられた。古くは鋳物屋の送風機などを動かしてい る。池貝鉄工所が創業時からしばらくの間使用したもので発生馬力は、回転を両側2人で約60rpmで0.35馬力が得られた。日本工業大学複製、直径 2000mm 年代:1890


石油機関

小型(3~8馬力)石油エンジンの主力機種で特に、着火装置に特徴がありトーチランプによって熱せられた焼玉の突起に燃 料を滴下し気化させ、それを焼玉内に圧縮して点火するもので、焼玉方式と呼ばれている。池貝工場/日本工業大学複製、ボア直径152mm、ストロ-ク 184mm 年代:1903


ガスエンジン

石炭ガス・天然ガスを燃料としたピストンクランク機構を用いて動力を発生する内燃機関の一種で蒸気機関の次に発明され、 実用化された内燃機関として最初の熱機関であり、1801年にルボン(フランス、1767~1804)により提案された。NATIONAL  CAMPANY社製/日本工業大学複製、ボア直径110mm 年代:1902


レヒートガスタービン

ム-ンライト計画により開発・製造されたサイクル圧力比55、高圧タービン入口ガス温度1300度℃であり、いづれの点 でも世界最高のガスタ-ビンである。燃料制御器なども最先端技術が適用されたものであり、多くの未来技術の芽がふくまれている。高効率ガスタ-ビン技術研 究組合製、出力100MW、複合プラント効率50%、空気流量220kg/s、回転数(高中・低圧)8500・3000rpm 年代:1987


ターボファンエンジン

通産省工業技術院の大型プロジェクトの一環として1971年から始められた“航空機用ジェットエンジンの研究開発”の成 果として実現したもので、 “飛鳥”で飛行することにより航空棟用ジェットエンジンとしての成果を示した。石川島播磨重工業・川崎重工業・三菱重工業製、 推力5ton 年代:1975


円筒研削盤

大正7(1918)年陸軍工廠より図面を支給されて、製作が開始されたものである。形は米国ノルトン社形で、砥石軸は上 下に調整でき、テーブルはコラムの周囲に回転しテーブル長手送りは手動または自動で、テーブル上部はテーパ作業用に旋回する。大隈鉄工所製、テ-ブル上の 振り200mm、センタ間距離450mm、といし直径250mm 年代:1928


蒸気機関車

日本で鉄道局の汽車監察方をしていたイギリスのリチャ-ド・フランシス・トレビシックが日本仕様に設計し、明台24年 (1891)にイギリスのタブス社(文久3年(1863)ヘンリ-・タブスにより創設)で製造され、日本に輸入さた蒸気機関車である。当時としては、大馬 力てあり、設計・性能共に優れていたため、急勾配用・貨物用や山岳線の客貨物両用に使用されました。その後は、各地の幹線に重用され、昭和30年代まて活 躍するという長寿ぶりを示した。DUBS社製、車輪直径1245mm、重量39.5ton 年代:1891


自動車

この車は、フランスのDELAHAYE社によって明治42年(1909)に生産された。この車は、オツトーサイクルエン ジン(排気量1800cc、出力14PS)、木製輪枠、空気入リタイヤ等ガ用いられており、前席一席のみシートが直されている以外は何も改修はされておら ず、走行できる状態である。この時代の自動車は、「馬車」にエンジンを付けたという感しであり、この車のように「馬車」の面影が残っている。 年代:1909


山本工場

この工場は、ライオン歯麿会社の要請により東京市浅草区に会属瓶口、擢類等を製造する会社としてスタートした。当時、全 部輸入にたよっていた歯磨きチューフの国産化を初めて実現した工場である。当時の工場通覧によれば、職工数男子12名女子2名、使用動力2機種・7馬力の 中堅企業であった。かば材張りの床も当時のまま復元している。 年代:1907


植原鉄工所

この工場は、明治40年に東京市芝区三田に創業し、65年間にわたって東京の下町にあった典型的な町工場の見本である。 創業当時は原動力として瓦斯機関をつかい大正5年には電動機に切換えるなど動力源の変遷を経験した工場である。はじめは8尺旋盤と6尺旋盤の2台であった が、次々機械を増設した。機槻部品の加工を主とした工場で、復元に際しては、見学者の安全等を考えて、実際の工場より天井を高くし、また若干の機械削減し た。 年代:1914


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