「日本工業大学 工業技術博物館」 に対する検索結果 : 30

情報所有館 : 日本工業大学 工業技術博物館 

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ジグ中ぐり盤

昭和6(1931)年に生産が始まったもので、輸入代理店である海外通商株式会社を通じて、この型としては日本で最初に 輸入されたものである。機械の主要な仕様は、主軸穴テーパモールステーパ2番、モータ出力1Hpである。SIP社製、テ-ブル寸法380x525mm、テ -ブル移動量450mm、主軸直径57.15mm 年代:1937


ジグ中ぐり盤

昭和13(1938)年から終戦まで220台を生産販売し、スイスのSIPがモデルとなっている。外国機に依存していた 頃、日本の高精密機械のマザーマシンとして、精密機械工業発展に大きな役割を果たした。三井精機工業製、テ-ブル寸法492x715mm、テ-ブル移動量 600mm、主軸直径57.15mm 年代:1943


横フライス盤

アメリカのCINCINNATI MILLING MACHNE社のM形を忠実にモデルとして、独自の経験を基に材料の 選択と購入品の品質を最高のものに絞って採用し、機械の保全に万全を期した。東京瓦斯電気工業社製、テ-ブル寸法1340x265mm 年代:1940


ねじ研削盤

ヨーロッパではあたかもマイクロメータのねじ専用機のように使われていたねじ研削盤で、日本でこれを導入したのは三豊が 初めてだった。マルティプルの砥石による、焼き入れ後のグラインディングが可能で、能率的であると同時に精度も高い量産機械だった。MATRIX社製、セ ンタ間距離120mm、最大加工寸法直径12.7mm、最大加工寸法長さ100mm、といし直径300mm 年代:1966


平歯車研削盤

同社の創業者・岡本覚三郎氏が「日本で今までに製作されていない歯車関係の機械を製作する」という理念に基づいて開発し た、国産初の歯車研削盤である。機械要素の中でも最重要部品である歯車の精密加工に大いに貢献した。岡本専用工作機械製作所製、工作軸センタ間距離 220mm、最大加工ピッチ円直径500mm・歯幅220mm・最大加工モジュ-ル8、といし直径200mm 年代:1930


立て削り盤

大正年間の後半はSR形9吋立て削盤のみであったが昭和3(1928)年に12吋および16吋のものを製作した。昭和5 年にはMSR形12吋強力立て削盤を大阪陸軍造兵廠での発注によって製作した。大隈鉄工所製、ラム行程300mm、テ-ブル直径500mm 年代:1930


マシニングセンタ

東芝機械株式会社が、KEARNEY & TRECKER社と技術提携を行い製造し、日本のマシニングセンタ開発の発端 となった機械で株式会社ツガミにおいて最初に設計された、横型のマシニングセンタである。東芝機械株式会社・KEARNEY & TRECKER社製、テ -ブル寸法406x660mm、X・Y・Z軸移動距離610x406x406mm 年代:1970


放電加工機

日本の工場設備機械として不可欠なもので、とくに金型工作法には革命的な影響をあたえ、マスプロをおこなうためにの基礎 技術に大きな力となっている。当時、ヘッド上部につけられた赤い作動ランプと緑色に塗られた雨蛙そっくりの容姿は“Tree Frog”のあだ名で呼ばれ ていた。日本放電加工研究所製、加工最大電流15A、テ-ブル寸法300x260mm 年代:1954


クランクプレス

コニカルカップ絞り性試験に用いられたプレス機械。この試験方法は、試験結果と加工状況とが比較的よく一致するため、と くに自動車会社などで採用されていたが、当時一般ではまだこの方法に関する認識はそれ程深いものではなかった。会田鉄工所製、最大出力100ton 年代:1955


津田式半木製力織機

明治後期から大正前期にかけて使用されていて、開口装置に特徴があり、一般型の力織機の場合には、ボトムシャフトに取り 付けられた2枚のタペットを回転させ、直接トレドルに伝達させているが、本機ではトレドルロッド等を使用して、間接的にトレドルに伝達させている。津田米 次郎製作/日本工業大学複製、筬幅550mm、間長2300mm 年代:1910


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