「日本ペイント 歴史館」 に対する検索結果 : 76

情報所有館 : 日本ペイント 歴史館 

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鉄丸缶の蓋止用金具折曲げ機

鉄丸缶の蓋を止めるのに使う金具を作る時に使用した折り曲げ機です 年代:1897


調色時に使用した下げ容器

工場で色を合わせる時に使用したハンガー・ハンドルつきの銅製容器です 年代:1935


ブリキカッター

明治14年(1881年)から同35年頃まで、鉄丸缶の取っ手を製造の際に使ったブリキカッターです 年代:1881


油焚き釜

明治14年(1881年)から同30年、光明社時代にボイル油の製造に使用した炊飯釜です 年代:1881


偉勲の提灯

明治31年(1898年)、株式会社に改組した時に東京事務所守衛室用に作られた最初の見回り用の江戸張提灯。工場の出火・近火あるいは明治41年(1908年)の目黒川大出水時にも周辺の巡回に活躍しました 年代:1898


ローソクランプ

明治30年(1897年)から同35年 工場内や周辺の夜警巡回時に使用したランプで、ローソクが傾かない工夫がされています 年代:1897


光明丹製造用鉄臼

光明丹の製造時、石搗で粉砕したリサージ(一酸化鉛)を水簸して細かい粉を乾燥させ、再び鍋で加熱して色づけしました。できあがった光明丹の塊を砕いた鉄製の臼です 年代:1881


亜鉛華製造用坩堝(小)

明治14年(1881年)から同30年頃まで、亜鉛華の製造時に坩堝として使われた漁業用の常滑焼きの壺です。口の上に素焼きの皿を載せ、粗く砕いた亜鉛を入れて、壺の下から当初は木炭で加熱し、亜鉛が溶けたら皿を割って一気に灼熱した壺の中に落として、気化させたものを布袋で回収しました 年代:1881


亜鉛華製造用坩堝(大)

昭和20年前後に使用した亜鉛華製造専用の坩堝です(製造原理は明治時代とさほど変わりませんでした) 年代:1945


大黒様木像

当社「中興の祖」小畑源之助氏は、大正2年(1913年)に営業部長に就任直後から流通網整備を進め、共存共栄の理念を説いて廻りました。大阪地区の有力特約店は「大黒会」を結成して連帯意識を高め、同会のシンボルとして大黒様の木像をつくりました。右手には槌印商標(別項参照)を立体化した打出の小槌を振っています。 年代:1913


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