「日本ペイント 歴史館」 に対する検索結果 : 73

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歴史館看板

日本ペイント「中興の祖」と称される小畑源之助社長と親交のあった、臨済宗妙心寺派本山の第628世「泥龍窟」:伊澤寛州老師が、昭和15年(1940年)に第2代歴史館の完成を祝して特に揮毫されたものです年代:1940

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槌印商標

明治14年(1881年)当社の前身「光明社」は、艦船用塗料の専用工場として創業しました。明治31年、日本ペイント製造株式会社に改組の際、創業に多大のご尽力いただいた海軍の塗工長:中川平吉氏のご恩に報いるため、中川の「中」を小槌に図案化し、「光明社」の「光」と海軍のシンボルマーク「桜」をあしらい、社員の怠惰の心を打ち砕く意味を持った商標を制定しました年代:1898

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日の丸印商標

大正14年(1925年)、時の皇太子が大阪に行幸された際に侍従を当社の大阪工場に差遣されました。民間企業を視察いただくことは大変な光栄で、これを記念して日の御子(天皇)・日本国の日・日本ペイントの日をデザインし、世界へ飛躍の夢を託して制定しました年代:1925

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茂木重次郎翁の胸像

日本ペイントの前身「光明社」の創業者:茂木重次郎の胸像。明治12年(1879年)、無毒おしろいの原料:「亜鉛華」精製法を開発して以来、塗料の国産化に取り組み、各種塗料やその製法の研究に尽くしました。輸入品を圧倒、輸出振興に尽くした功労により、明治44年1月に緑綬褒章を受章され、これを祝して社員より贈られました年代:1911

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小畑源之助翁の坐像

大正元年(1912年)、37歳の時に営業部長として入社。実業界での経験を活かして頭角を現わし、大正7年には取締役支配人に就任しました。大正9年世界恐慌の余波で窮地に陥った経営を一切任せられて、大改革を実行して建て直されたことから、「日本ペイント中興の祖」と称されました。昭和4年(1929年)緑綬褒章受章に際し、役員一同から贈られました年代:1929

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小畑千秋翁の立像

中興の祖:小畑源之助翁の次男として生まれ、昭和12年(1937年)当社に入社。昭和19年取締役就任以来経営の刷新に取り組みました。特に世界大戦で奪われた厳父の海外事業への夢を実現すべく積極的に取り組み、グローバル企業への礎を築きました、昭和56年勲3等瑞宝章受章に際し、社員一同からお祝いに贈られた立像です年代:1981

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塗り見本の衝立

当社創業に多大のご尽力があった海軍主船局の中川平吉塗工長が、明治14年(1881年)当社の前身「光明社」創業の年に自ら塗装された塗板見本で、事務所入口に衝立として使われていました。裏面には、艦船営需用塗具一覧として、大理石調・蝋石調・木目調など、30種の変わり塗り見本が貼られています年代:1881

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28ポンド鉄丸缶各種

明治から大正時代にかけて、舶来塗料は主に28ポンド(12.5kg)丸缶で流通していました。国産塗料の鼻祖である当社は、市場で馴染まれている缶のサイズにするため空缶を再利用し、シェアが上がってくると同じ容量のブリキ缶を社内でつくりました。缶の内作は昭和のはじめまで続きました年代:1881

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光明社看板

明治15年、55歳の時に清国に渡り、てん書・隷書・楷書・行書・草書の各書体を極めたわが国の最初の人で、「書聖」と称されている中林悟竹先生《文正10年(1827)~大正2年(1913)》が、明治18年(1885年)当社役員宅での酒宴で、談論風発、興ずるにおよんで筆を振るわれたもの。木製看板に揮毫されたのは非常に珍しいものです年代:1885

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応接テーブル

光明社時代に外国船の船長から、塗料納入のお礼に贈られ、貴賓室の応接テーブルとして使われてきました。特に下回りの彫刻が凝っており、船首像や船尾像を思わせる深い彫りになっています年代:1897

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