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情報所有館 : 神戸大学 海事博物館 

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絵馬「住吉丸」

大正8年9月奉納。西洋型帆船絵馬で愛媛県中島桑名神社にあったものである。「大正八年九月拾七日、進水式、五人乗り、船主川口佐兵衛」とある。右下に「大阪黒金町絵馬藤筆」の署名があり、絵馬藤の手書きのものである。 保存も良く貴重品である。『日本の船絵馬』(柏書房)に2点(66頁、103頁)類似の絵馬が載るが図柄は異なる。年代:大正8年


逆針磁石

広島県 高橋幸雄氏贈 、椋本氏使用 明治頃より昭和10年前後まで使用 若松より大阪まで石炭輸送の帆船にて愛用していたと言われる。年代:明治~昭和


朝顔丸船首像

右手を胸に当ててこころもち顔をあげ、右上方を仰ぎ見て祈りを捧げるポーズをとった豊満な婦人像である。 三菱会社が 朝顔として明治22年英国サンダーランドのJames Laing &Sons造船所で建造され、日本回航後、船体と同色に黒く塗り潰されたらしい。回航後日本郵船に買い取られて朝顔丸となり 日露戦争の旅順港閉塞で自沈した朝顔丸の船首像が残ったのは、出撃前の広島港で取り外されたからであろう。、明治37(1904)年5月日露戦争の旅順港閉塞のため黄金山砲台下で自沈した。年代:明治22年


八分儀

航海計測計器、天文航法の船位測定のために使われた八分儀。年代:明治後期


木造貨物船構造模型

東京大学造船学科の教材資料として作られた。昭和33年頃神戸商船大学に船体構造も軽視料として移管された。年代:昭和初期


錦絵「丹鶴丸」

江戸末期に鎖国が解けると、各藩は西洋帆船の建造を始めた。紀州新宮藩主の水野忠興オランダ造船書を訳させて、それに基ずいて三本マストバーク型帆船2隻を新宮で建造した。永らく熊野川口につながれていた。年代:1857年


浦賀沖合江渡来亜米利加船併人物之図外器財之図

弘化2年(1845)浦賀に来航したアメリカ船と弘化3年鎌倉に来航したデンマーク船に乗船して人物、鉄砲、炊事器具、食料用の豚にいたるまで正確に描かれている。年代:1846年


メンデズピントの航海記

メンデス・ピントは1509年生まれのポルトガル人で有名な旅行家である。1537年頃インドに渡りその後東洋諸国を回り、1558年帰国して旅行記を書き、スペイン王に献じた。1653年に英語で出版された、ポルトガル植民地事情の記録として重視されている。年代:1653年出版


セーリスの航海記

John Sairisは1579年に英国に生まれ、東インド会社の艦隊司令になった。1613年に平戸に入港して、幕府との間で通商条約を結び、平戸に英国商館を開設した。本航海記は英国ドーンズ港から喜望峰、日本陸路江戸へ登り、帰国途中のインドネシアまでの見聞記である。年代:1611年


神戸大学海事科学部 電子航海図資料

特徴的な所蔵航海図と屏風二双を電子データ化して、航海できる状態にしたものである。それらは南海海路図屏風下巻、浪花から長崎までの屏風六曲二双、江戸より長崎道中図巻、仙台伊達藩の開成丸航海図(掛軸)である。年代:2005年


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