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アルバム「本邦製紙業 先人努力の雫」

旧王子製紙販売部調査課成田潔英編。明治初めの本邦近代製紙産業創業期の抄紙会社・有恒社・パピールファブリックの各工場、担当者、お雇い外国人、辞令などの写真と製品見本が貼付けてあり、表題のように先人の努力の跡が偲ばれる貴重な記録である。写真は王子製紙について記された部分。 年代:1941


旧王子製紙王子・中部・気田3工場の製品見本帳

西濟(元十條製紙社長)が旧王子製紙王子工場、中部工場、気田工場の製品を収集し、原料配合、薬品配合、坪量、 抄紙機、品名、製造日付などを克明に記入したもので、当時の製品や製造条件などがわかる資料である。見本85葉。 年代:1910~1913


セメント袋用クラフト紙巻取り

旧王子製紙敷香工場。紙幅1000×径850mm。昭和20年3月に樺太(現サハリン)の敷香工場で抄造された当時最高品質のクラフト紙巻取りである。戦前、樺太は日本の製紙産業に重要な役割を果していた。現存する数少ない樺太産の紙製品である。 年代:1945


製紙所聨合会書類函

木製。365×240×315mm。この書類箱は現在の日本製紙連合会が発足した当時のものである。わが国の洋紙製造業は西南戦争(1877)後から始まった不況のもと、販売不振と輸入紙との競争に喘ぎ、明治13年製紙会社(後の王子製紙)の主唱で製紙会社、神戸製紙所など同業者の11名が会合して、同業会組織を結成することを決めた。これに洋紙商も加わって同年12月製紙所聯合会が発足した。 年代:1880頃


パピールファブリックの門扉

木製。高2420×幅1515mm。パピールファブリックは明治9年(1876)京都の西郊梅津に開業した京都府営の製紙工場で、翌年には明治天皇が行幸された。(写真、門柱の脇に明治天皇行幸所製紙場の石碑がある)。 門扉にはドイツ語でパピールファブリック(製紙工場)と彫られている。


パピールファブリックの瓦

280×290×100mm。明治9年(1876)1月開業の同社の瓦。


中央製紙の鬼瓦

500×300×120mm。中央製紙は明治39年(1906)岐阜県中津町有志の懇請により渋沢栄一、大川平三郎等が設立し、大川平三郎が支配人兼工場長として明治41年に操業を開始した。大正15年に樺太工業と合併した。現在は王子製紙中津工場として操業している。この鬼瓦は大正10年頃事務所建設の際に作られたものである。 年代:1921頃


大平炭鉱の目無し炭

380×190×190mm。樺太(現サハリン)恵須取町の大平炭鉱(王子製紙直営)の瀝青炭で、良質なことから目無し炭と称された。この石炭は日本各地から朝鮮、満州と王子製紙系の各製紙工場に送られ盛んに使われた。戦時中、タバコのパイプやブローチにも加工されて使われた。 年代:1935~1944


スプリンクラーヘッド

紙は可燃物であるので製紙工場は当初から防火、防災に留意していた。左は旧王子製紙王子工場第二工場建設当時の消火用スプリンクラーヘッドで、わが国で最初のものである。左は明治20年代頃のもの。右は同じ工場の建物に設置されていたものと思われるが1924年の刻印が入っている。いずれも輸入品と推定される。


青銅製壁掛

青銅製で、中世ヨーロッパのライン河畔の紙漉所内の情景をデザインしたもの。和紙についても造詣が深かったドイツの著名な紙の歴史研究者アーミン・レンカー氏より、特に紙の博物館のために寄贈されたことが、下部に刻印されている。 年代:1955


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