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情報所有館 : 和鋼博物館 

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木炭

たたら用の木炭は楢等の雑木で、完全に炭化しない生焼けのものが良いとされる。炭焼きは山内に所属する山子と呼ばれる専従者よって行われた。1回の操業に必要な炭の量は約13トンで、これは森林面積にすると1ヘクタールとされている。年間60回操業すると膨大な森林を確保しないと継続できないことになる。中国山地の鉄師が所有する森林面積が膨大なのはたたら炭確保の結果である。: 西暦1993年


玉鋼縁起

日立製作所安来工場(日立金属の前身)が昭和18年安来市内の画家、松本春々に「玉鋼縁起」の製作を依頼した。依頼を受けた春々は、文献調査、古老からの取材、たたら製鉄の操業をスケッチするなどして、昭和20年に着手した。鳥上の峯、船通山にまつわる神話から現代に至る玉鋼の歴史を巻物にまとめ昭和21年に完成した。: 西暦1946年


たたら製鉄用具(たたら操業)

たたら操業は木炭や砂鉄の装入、ノロ(鉄滓)の処理、炉内調整などには多くの道具を用いる。それらは構成材によって、木だけのもの、金属と木を組み合わせたもの、金属に大別されるが、労働負荷の少ない木製ものが多い。道具には床下駄、草履下駄、たねすき、ゆはね、かなえまた、ほど前えぶり、炭とり、すわりおしえぶり、おおとおしなどがある。: 西暦1993年


たたら製鉄用具(築炉用)

たたらの築炉は釜土練り、元釜づくり、ほど穴(送風管穴)あけ、中釜づくり、乾燥作業、上釜づくりの順で行われる。元釜をつくる土の良し悪しや、炉の形状が重要で、村下の秘伝とされた。使用される道具は床締め、かまがい、尻ほり、頭えぶり、土刀、ゆじき、さしず、こて、へら、木呂さし等がある。: 西暦1993年


たたら製鉄用具(鍛冶用)

たたらの鉧押し法でできた鉧塊は鋼を取り除いた他のもの(銑、歩鉧など)は大鍛冶場で鍛錬(炭素量の調整や不純物の除去)され、包丁鉄(割鉄、錬鉄とも呼ぶ)として刃物の心鉄や諸道具の素材となる。この大鍛冶場は左下場と本場からなり、金床、金槌で鍛錬する。その他、金箸、ひきかき、ノロかき等の道具が使用される。: 西暦1993年


角炉(かくろ)

日立金属(株)安来工場の前身、(株)安来製鋼所は大正7年鳥上工場(奥出雲町)に角炉を建設し、真砂砂鉄を原料とした木炭銑の製造を開始した。角炉は操業毎に築炉する必要が無く、効率が良いため、昭和40年まで稼動した。平成8年に「産業遺産」、さらに平成9年「登録文化財」となった。: 西暦1993年


金屋子神社の奉加帳にみる仕事場の分布図

安来市の郊外広瀬町西比田には、中国山地のたたら製鉄地帯で広く信仰されてきた金屋子神社がある。ここには江戸時代の遷宮時の幾つかの奉加帳が伝わっており、当時のたたら操業場所やたたら工房の所在が読み取れる。このたたら分布図は、和鋼博物館や金屋子神話民俗館に展示されている。: 西暦 1993年


鉄山必要記事(写本名 鉄山秘書)

天明4年(1784年)伯耆国(現鳥取県)の鉄山師・下原重仲によって書かれた近世たたら製鉄法の古典。原著の存否は確認されていないが、当館の展示品は俵國一博士が写本されたものである。全部で8巻から成り、鉄穴流し(かんなながし)、たたら操業、たたら唄、鞴(ふいご)、大鍛冶(おおかじ)、木炭などたたら製鉄に関わる内容だけでなく、就業規則、賃金、契約文書など幅広い内容となっている。: 西暦1784年( 天明4 年)


鉄山記

江戸時代末期、安政年間(1854~1860年)に完成したと伝えられる「たたら製鉄」の技術書である。著者の下村尚左衛門の出自などについては不明である。内容は、金屋子神縁起、鉄穴、たたら操業、鉄道具、鍛冶屋の記載があり、特に鉄穴流し(かんなながし)や道具類を詳細に説明している。: 西暦1854~1860年(江戸時代安政頃)


鉄穴流し(かんなながし)

中国山地の近世たたらでは、『鉄穴流し』という手法で砂鉄を採取した。砂鉄の含有量の多い風化した花崗岩などの山際に水路(井手)を導き、山を崩して土砂を水路により下手の選鉱場(洗い場)に運び、さらに大池-中池-乙池-樋を通し、軽い土砂を下流に流し、重い砂鉄を沈殿させて選鉱して砂鉄を採取した。この方法は膨大な土砂を下流に流し、洪水の原因なったりして問題も多かった。: 西暦1993年


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