ルリ被せ 切子水差し
| 資料番号 | 105910671134 |
|---|---|
| 情報所有館 | 国立科学博物館 |
| 所在等 | 個人蔵 |
| 所在地 | 港区 |
| 製作(製造)年 | 1946年~1949年頃 |
| 調査機関団体 | ガラス産業連合会 |
| 調査票記入日 | 2005/10/01 |
| 種類 | 量産品 |
| 製作者(社)等 | 瀧波硝子株式会社 |
| 資料公開状況 | 非公開 |
| 特徴 | 宙吹き成形、ルリ被せ、切子付水差し。太平洋戦争後、主として進駐軍並びにアメリカ本土向けに製作、販売。明治時代からの伝統的な技法を完全に踏襲した製品。 |
| 資料番号 | 105910671134 |
|---|---|
| 情報所有館 | 国立科学博物館 |
| 所在等 | 個人蔵 |
| 所在地 | 港区 |
| 製作(製造)年 | 1946年~1949年頃 |
| 調査機関団体 | ガラス産業連合会 |
| 調査票記入日 | 2005/10/01 |
| 種類 | 量産品 |
| 製作者(社)等 | 瀧波硝子株式会社 |
| 資料公開状況 | 非公開 |
| 特徴 | 宙吹き成形、ルリ被せ、切子付水差し。太平洋戦争後、主として進駐軍並びにアメリカ本土向けに製作、販売。明治時代からの伝統的な技法を完全に踏襲した製品。 |
| 資料番号 | 105910671135 |
|---|---|
| 情報所有館 | 国立科学博物館 |
| 所在等 | 個人蔵 |
| 所在地 | 港区 |
| 製作(製造)年 | 1950年~2000年頃 |
| 調査機関団体 | ガラス産業連合会 |
| 調査票記入日 | 2005/10/01 |
| 種類 | 量産品 |
| 製作者(社)等 | 瀧波硝子株式会社 |
| 資料公開状況 | 非公開 |
| 特徴 | 製法特許を取得した超ロングセラーの製品。家庭用・業務用として広く用いられた。姉妹品としてやや大型のソース差しがある。ハンドルの成形を口型ではなくワン型で行いそれを胴型で一体成型したもの。 |
| 資料番号 | 105910671136 |
|---|---|
| 情報所有館 | 国立科学博物館 |
| 所在等 | 個人蔵 |
| 所在地 | 港区 |
| 製作(製造)年 | 1970年~2000年頃 |
| 調査機関団体 | ガラス産業連合会 |
| 調査票記入日 | 2005/10/01 |
| 種類 | 量産品 |
| 製作者(社)等 | 瀧波硝子株式会社 |
| 資料公開状況 | 非公開 |
| 特徴 | 複雑な形状をプレスし、後処理で美しく仕上げたミリオンセラー製品。大きさは“特大”、“大”、“中”、“小”と4種類あり、色彩も“クリアー”、“ピンク”、“ブルー”、“ブラック”の4色。後加工にフロスト処理をしたものを加えると全製品のラインアップは32種となる。 |
| 資料番号 | 105910671137 |
|---|---|
| 情報所有館 | 国立科学博物館 |
| 所在等 | 個人蔵 |
| 所在地 | 高崎市 |
| 製作(製造)年 | 1880 |
| 調査機関団体 | ガラス産業連合会 |
| 調査票記入日 | 2005/10/20 |
| 種類 | その他(辞令) |
| 製作者(社)等 | 品川工作分局 |
| 資料公開状況 | 非公開 |
| 特徴 | 日本初の官営洋式ガラス工場、工部省品川硝子製造所(品川工作分局)が谷田磐太郎に発行した辞令で、明治13年から19年まで計10枚残るもののひとつ。谷田磐太郎(1869-1926)は浜松出身。12才で品川硝子に入り、のち独立して東京札の辻で「東京硝子製造所」を経営、主に照明器具を製造し陸海軍省などに納入した。品川で学んだ洋式ガラス製造技術をひろめた先駆者のひとり。 |
| 資料番号 | 105910671138 |
|---|---|
| 情報所有館 | 国立科学博物館 |
| 所在等 | 個人蔵 |
| 所在地 | 高崎市 |
| 製作(製造)年 | 1881 |
| 調査機関団体 | ガラス産業連合会 |
| 調査票記入日 | 2005/10/20 |
| 種類 | その他(辞令) |
| 製作者(社)等 | 品川工作分局 |
| 資料公開状況 | 非公開 |
| 特徴 | 日本初の官営洋式ガラス工場、工部省品川硝子製造所(品川工作分局)が谷田磐太郎に発行した辞令で、明治13年から19年まで計10枚残るもののひとつ。谷田磐太郎(1869-1926)は浜松出身。12才で品川硝子に入り、のち独立して東京札の辻で「東京硝子製造所」を経営、主に照明器具を製造し陸海軍省などに納入した。品川で学んだ洋式ガラス製造技術をひろめた先駆者のひとり。 |
| 資料番号 | 105910671139 |
|---|---|
| 情報所有館 | 国立科学博物館 |
| 所在等 | 個人蔵 |
| 所在地 | 高崎市 |
| 製作(製造)年 | 1881 |
| 調査機関団体 | ガラス産業連合会 |
| 調査票記入日 | 2005/10/20 |
| 種類 | その他(辞令) |
| 製作者(社)等 | 品川工作分局 |
| 資料公開状況 | 非公開 |
| 特徴 | 日本初の官営洋式ガラス工場、工部省品川硝子製造所(品川工作分局)が谷田磐太郎に発行した辞令で、明治13年から19年まで計10枚残るもののひとつ。谷田磐太郎(1869-1926)は浜松出身。12才で品川硝子に入り、のち独立して東京札の辻で「東京硝子製造所」を経営、主に照明器具を製造し陸海軍省などに納入した。品川で学んだ洋式ガラス製造技術をひろめた先駆者のひとり。 |
| 資料番号 | 105910671140 |
|---|---|
| 情報所有館 | 国立科学博物館 |
| 所在等 | 個人蔵 |
| 所在地 | 高崎市 |
| 製作(製造)年 | 1882 |
| 調査機関団体 | ガラス産業連合会 |
| 調査票記入日 | 2005/10/20 |
| 種類 | その他(辞令) |
| 製作者(社)等 | 品川工作分局 |
| 資料公開状況 | 非公開 |
| 特徴 | 日本初の官営洋式ガラス工場、工部省品川硝子製造所(品川工作分局)が谷田磐太郎に発行した辞令で、明治13年から19年まで計10枚残るもののひとつ。谷田磐太郎(1869-1926)は浜松出身。12才で品川硝子に入り、のち独立して東京札の辻で「東京硝子製造所」を経営、主に照明器具を製造し陸海軍省などに納入した。品川で学んだ洋式ガラス製造技術をひろめた先駆者のひとり。 |
| 資料番号 | 105910671141 |
|---|---|
| 情報所有館 | 国立科学博物館 |
| 所在等 | 個人蔵 |
| 所在地 | 高崎市 |
| 製作(製造)年 | 1882 |
| 調査機関団体 | ガラス産業連合会 |
| 調査票記入日 | 2005/10/20 |
| 種類 | その他(辞令) |
| 製作者(社)等 | 品川工作分局 |
| 資料公開状況 | 非公開 |
| 特徴 | 日本初の官営洋式ガラス工場、工部省品川硝子製造所(品川工作分局)が谷田磐太郎に発行した辞令で、明治13年から19年まで計10枚残るもののひとつ。谷田磐太郎(1869-1926)は浜松出身。12才で品川硝子に入り、のち独立して東京札の辻で「東京硝子製造所」を経営、主に照明器具を製造し陸海軍省などに納入した。品川で学んだ洋式ガラス製造技術をひろめた先駆者のひとり。 |
| 資料番号 | 105910671142 |
|---|---|
| 情報所有館 | 国立科学博物館 |
| 所在等 | 個人蔵 |
| 所在地 | 高崎市 |
| 製作(製造)年 | 1882 |
| 調査機関団体 | ガラス産業連合会 |
| 調査票記入日 | 2005/10/20 |
| 種類 | その他(辞令) |
| 製作者(社)等 | 品川工作分局 |
| 資料公開状況 | 非公開 |
| 特徴 | 日本初の官営洋式ガラス工場、工部省品川硝子製造所(品川工作分局)が谷田磐太郎に発行した辞令で、明治13年から19年まで計10枚残るもののひとつ。谷田磐太郎(1869-1926)は浜松出身。12才で品川硝子に入り、のち独立して東京札の辻で「東京硝子製造所」を経営、主に照明器具を製造し陸海軍省などに納入した。品川で学んだ洋式ガラス製造技術をひろめた先駆者のひとり。 |
| 資料番号 | 105910671143 |
|---|---|
| 情報所有館 | 国立科学博物館 |
| 所在等 | 個人蔵 |
| 所在地 | 高崎市 |
| 製作(製造)年 | 1883 |
| 調査機関団体 | ガラス産業連合会 |
| 調査票記入日 | 2005/10/20 |
| 種類 | その他(辞令) |
| 製作者(社)等 | 品川硝子製造所 |
| 資料公開状況 | 非公開 |
| 特徴 | 日本初の官営洋式ガラス工場、工部省品川硝子製造所(品川工作分局)が谷田磐太郎に発行した辞令で、明治13年から19年まで計10枚残るもののひとつ。谷田磐太郎(1869-1926)は浜松出身。12才で品川硝子に入り、のち独立して東京札の辻で「東京硝子製造所」を経営、主に照明器具を製造し陸海軍省などに納入した。品川で学んだ洋式ガラス製造技術をひろめた先駆者のひとり。 |
| 資料番号 | 105910671144 |
|---|---|
| 情報所有館 | 国立科学博物館 |
| 所在等 | 個人蔵 |
| 所在地 | 高崎市 |
| 製作(製造)年 | 1883 |
| 調査機関団体 | ガラス産業連合会 |
| 調査票記入日 | 2005/10/20 |
| 種類 | その他(辞令) |
| 製作者(社)等 | 品川工作分局 |
| 資料公開状況 | 非公開 |
| 特徴 | 日本初の官営洋式ガラス工場、工部省品川硝子製造所(品川工作分局)が谷田磐太郎に発行した辞令で、明治13年から19年まで計10枚残るもののひとつ。谷田磐太郎(1869-1926)は浜松出身。12才で品川硝子に入り、のち独立して東京札の辻で「東京硝子製造所」を経営、主に照明器具を製造し陸海軍省などに納入した。品川で学んだ洋式ガラス製造技術をひろめた先駆者のひとり。 |
| 資料番号 | 105910671145 |
|---|---|
| 情報所有館 | 国立科学博物館 |
| 所在等 | 個人蔵 |
| 所在地 | 高崎市 |
| 製作(製造)年 | 1886 |
| 調査機関団体 | ガラス産業連合会 |
| 調査票記入日 | 2005/10/20 |
| 種類 | その他(辞令) |
| 製作者(社)等 | 品川硝子製造所 |
| 資料公開状況 | 非公開 |
| 特徴 | 日本初の官営洋式ガラス工場、工部省品川硝子製造所(品川工作分局)が谷田磐太郎に発行した辞令で、明治13年から19年まで計10枚残るもののひとつ(19年当時は民営化されていた)。谷田磐太郎(1869-1926)は浜松出身。12才で品川硝子に入り、のち独立して東京札の辻で「東京硝子製造所」を経営、主に照明器具を製造し陸海軍省などに納入した。品川で学んだ洋式ガラス製造技術をひろめた先駆者のひとり。 |
| 資料番号 | 105910671146 |
|---|---|
| 情報所有館 | 国立科学博物館 |
| 所在等 | 個人蔵 |
| 所在地 | 高崎市 |
| 製作(製造)年 | 1886 |
| 調査機関団体 | ガラス産業連合会 |
| 調査票記入日 | 2005/10/20 |
| 種類 | その他(辞令) |
| 製作者(社)等 | 品川硝子製造所 |
| 資料公開状況 | 非公開 |
| 特徴 | 日本初の官営洋式ガラス工場、工部省品川硝子製造所(品川工作分局)が谷田磐太郎に発行した辞令で、明治13年から19年まで計10枚残るもののひとつ(19年当時は民営化されていた)。谷田磐太郎(1869-1926)は浜松出身。12才で品川硝子に入り、のち独立して東京札の辻で「東京硝子製造所」を経営、主に照明器具を製造し陸海軍省などに納入した。品川で学んだ洋式ガラス製造技術をひろめた先駆者のひとり。 |
| 資料番号 | 106010681001 |
|---|---|
| 情報所有館 | 国立科学博物館 |
| 所在等 | 味の素株式会社 |
| 所在地 | 中央区 |
| 製作(製造)年 | 1896 |
| 調査機関団体 | 日本うま味調味料協会 |
| 調査票記入日 | 2005/11/29 |
| 種類 | 設計図・文献 |
| 製作者(社)等 | 金港堂書籍株式会社 |
| 資料公開状況 | 非公開 |
| 特徴 | 1896年(池田菊苗32才)に出版された尋常中学初2学年用の教科書。理科初歩のうち、物理学及び化学に属する内容となっている。日常体験する事象と教室での簡単な実験を基礎として帰納的な説明で平易に解説しようとしている。帝国大学理科大学助教授になった年である。 |
| 資料番号 | 106010681002 |
|---|---|
| 情報所有館 | 国立科学博物館 |
| 所在等 | 味の素株式会社 |
| 所在地 | 中央区 |
| 製作(製造)年 | 1900 |
| 調査機関団体 | 日本うま味調味料協会 |
| 調査票記入日 | 2005/11/28 |
| 種類 | 設計図・文献 |
| 製作者(社)等 | LEIPZIG/VERLAG VON WILHELM ENGELMANN |
| 資料公開状況 | 非公開 |
| 特徴 | 池田菊苗は1899年(明治32年)より1年半に亘りドイツのライプチッヒ大学でウィルヘルム・オストワルド教授(1909年ノーベル化学賞受賞)に師事し多くの影響をうけたと言われている。1900年発刊のこの本にはSep1900の文字とK.Ikedaのサインとともに訳文メモやクエッションマークの書きこみメモがある。後の1904年(明治37年)に池田菊苗訳註として翻訳出版された。原書は書生の岡澤鶴治氏に与えられた。 |
| 資料番号 | 106010681003 |
|---|---|
| 情報所有館 | 国立科学博物館 |
| 所在等 | AJINOMOTO「食とくらしの小さな博物館」 |
| 所在地 | 港区 |
| 製作(製造)年 | 1907年~1929年頃 |
| 調査機関団体 | 日本うま味調味料協会 |
| 調査票記入日 | 2005/11/28 |
| 種類 | 設計図・文献 |
| 製作者(社)等 | 池田 菊苗博士 |
| 資料公開状況 | 公開 |
| 特徴 | 池田菊苗博士のノート。グルタミン酸抽出成功前の1907年の日記と1920年代の実験日誌がドイツ語で書かれている。日記には一日の予定と実績の他、自己評価と書かれた欄があるなど几帳面さがうかがえる一方、飛び飛びになっている上、肝心の1908年発明完成時が欠落している理由は不明である。 |
| 資料番号 | 106010681004 |
|---|---|
| 情報所有館 | 国立科学博物館 |
| 所在等 | AJINOMOTO「食とくらしの小さな博物館」 |
| 所在地 | 港区 |
| 製作(製造)年 | 1908 |
| 調査機関団体 | 日本うま味調味料協会 |
| 調査票記入日 | 2005/11/28 |
| 種類 | 設計図・文献 |
| 製作者(社)等 | 特許局 |
| 資料公開状況 | 公開 |
| 特徴 | 1908年「グルタミン酸塩を主要成分とする調味料製造法」で特許を得た池田菊苗博士は、その後「日本の十大発明家」の一人として選ばれた。(特許番号 第14805号) |
| 資料番号 | 106010681005 |
|---|---|
| 情報所有館 | 国立科学博物館 |
| 所在等 | AJINOMOTO「食とくらしの小さな博物館」 |
| 所在地 | 港区 |
| 製作(製造)年 | 1908 |
| 調査機関団体 | 日本うま味調味料協会 |
| 調査票記入日 | 2005/11/28 |
| 種類 | 試作品 |
| 製作者(社)等 | 池田 菊苗博士 |
| 資料公開状況 | 公開 |
| 特徴 | 池田菊苗博士は1907年(明治40年)夫人の購入した良質な昆布を見て、昆布の主要呈味成分の研究が味覚に訴える製品開発に役立つと考え実験にとりかかった。一時中断の後、日本人の栄養不良改善のために廉価な調味料の必要を感じ再開し1908年(明治41年)グルタミン酸の結晶約30グラムを抽出成功した。(最良質昆布約12キロ相当)(十貫目も消費したとの記述あり)瓶詰めには「具留多味酸」と表書きされている。 |
| 資料番号 | 106010681006 |
|---|---|
| 情報所有館 | 国立科学博物館 |
| 所在等 | AJINOMOTO「食とくらしの小さな博物館」 |
| 所在地 | 港区 |
| 製作(製造)年 | 1909 |
| 調査機関団体 | 日本うま味調味料協会 |
| 調査票記入日 | 2005/11/28 |
| 種類 | 複製(レプリカ) |
| 製作者(社)等 | 鈴木商店 |
| 資料公開状況 | 公開 |
| 特徴 | 1909年(明治42年)5月26日東京朝日新聞に発売後初めての広告を掲載した。一段広告に文字をぎっしりとつめこんだものであった。 |
| 資料番号 | 106010681007 |
|---|---|
| 情報所有館 | 国立科学博物館 |
| 所在等 | AJINOMOTO「食とくらしの小さな博物館」 |
| 所在地 | 港区 |
| 製作(製造)年 | 1909年~1920年頃 |
| 調査機関団体 | 日本うま味調味料協会 |
| 調査票記入日 | 2005/11/28 |
| 種類 | 量産品 |
| 製作者(社)等 | 鈴木商店 |
| 資料公開状況 | 公開 |
| 特徴 | 明治42年に一般発売された「味の素」だが、発売当初のパッケージは薬種専門の瓶屋から仕入れた薬用の瓶を使用していた。次いで白粉用の広口瓶を経て同年末には小瓶中瓶大瓶の3種類に変更している。時期は特定しにくいが、微妙にシェープの違うものが残されている。 |