國寶館(東京帝國大學工學部建築學科卒業計畫圖)
| 資料番号 | 102210261558 |
|---|---|
| 情報所有館 | 国立科学博物館 |
| 所在等 | 東京大学工学部 |
| 所在地 | 文京区 |
| 製作(製造)年 | 1912 |
| 調査機関団体 | 社団法人 日本建築学会 |
| 調査票記入日 | 2001/07/02 |
| 種類 | 設計図・文献 |
| 製作者(社)等 | 大森 喜一 |
| 資料公開状況 | 非公開 |
| 特徴 | 計9枚。大森喜一(1888-1926)は、盛岡に生まれた。卒業後は直ちに宮内省内匠寮に入る。1919年(大正8)建築興業株式会社を創立し社長に就く。 |
| 資料番号 | 102210261558 |
|---|---|
| 情報所有館 | 国立科学博物館 |
| 所在等 | 東京大学工学部 |
| 所在地 | 文京区 |
| 製作(製造)年 | 1912 |
| 調査機関団体 | 社団法人 日本建築学会 |
| 調査票記入日 | 2001/07/02 |
| 種類 | 設計図・文献 |
| 製作者(社)等 | 大森 喜一 |
| 資料公開状況 | 非公開 |
| 特徴 | 計9枚。大森喜一(1888-1926)は、盛岡に生まれた。卒業後は直ちに宮内省内匠寮に入る。1919年(大正8)建築興業株式会社を創立し社長に就く。 |
| 資料番号 | 102210261559 |
|---|---|
| 情報所有館 | 国立科学博物館 |
| 所在等 | 東京大学工学部 |
| 所在地 | 文京区 |
| 製作(製造)年 | 1912 |
| 調査機関団体 | 社団法人 日本建築学会 |
| 調査票記入日 | 2001/07/02 |
| 種類 | 設計図・文献 |
| 製作者(社)等 | 西村 好時 |
| 資料公開状況 | 非公開 |
| 特徴 | 計11枚。西村好時(1886-1961)は、1913年(大正2)の大正博覧会の設計に参加するため、曾禰中條事務所嘱託として協力。その後、1914年に清水組へ入り、当時の上司田辺淳吉に薫陶を受ける。1917年、第一銀行伏見支店を手がけて以来、同行の各支店の設計に従事。1920年、第一銀行建築課長に就任。代表作は丸ノ内第一銀行本店であり、この竣工を期に事務所を開く。独立後の代表作は、中国新京の中央銀行總行。 |
| 資料番号 | 102210261560 |
|---|---|
| 情報所有館 | 国立科学博物館 |
| 所在等 | 東京大学工学部 |
| 所在地 | 文京区 |
| 製作(製造)年 | 1912 |
| 調査機関団体 | 社団法人 日本建築学会 |
| 調査票記入日 | 2001/07/02 |
| 種類 | 設計図・文献 |
| 製作者(社)等 | 岡 大路 |
| 資料公開状況 | 非公開 |
| 特徴 | 計9枚。岡大路は卒業とともに満鉄に入社。1922年(大正11)に南満州工業専門学校の教授に就き、やがて同校の校長となる。1942年(昭和17)には満州国建築局長となった。1962年没。 |
| 資料番号 | 102210261561 |
|---|---|
| 情報所有館 | 国立科学博物館 |
| 所在等 | 東京大学工学部 |
| 所在地 | 文京区 |
| 製作(製造)年 | 1912 |
| 調査機関団体 | 社団法人 日本建築学会 |
| 調査票記入日 | 2001/07/02 |
| 種類 | 設計図・文献 |
| 製作者(社)等 | 坂本 登 |
| 資料公開状況 | 非公開 |
| 特徴 | 計10枚。坂本は、文部技師、朝鮮総督府技師、台湾総督府技師として活動した。 |
| 資料番号 | 102210261562 |
|---|---|
| 情報所有館 | 国立科学博物館 |
| 所在等 | 東京大学工学部 |
| 所在地 | 文京区 |
| 製作(製造)年 | 1912 |
| 調査機関団体 | 社団法人 日本建築学会 |
| 調査票記入日 | 2001/07/02 |
| 種類 | 設計図・文献 |
| 製作者(社)等 | 田中 秀夫 |
| 資料公開状況 | 非公開 |
| 特徴 | 計9枚。田中は農林技師として活動した。 |
| 資料番号 | 102210261563 |
|---|---|
| 情報所有館 | 国立科学博物館 |
| 所在等 | 東京大学工学部 |
| 所在地 | 文京区 |
| 製作(製造)年 | 1912 |
| 調査機関団体 | 社団法人 日本建築学会 |
| 調査票記入日 | 2001/07/02 |
| 種類 | 設計図・文献 |
| 製作者(社)等 | 粟谷 鶉二 |
| 資料公開状況 | 非公開 |
| 特徴 | 計10枚。 |
| 資料番号 | 102210261564 |
|---|---|
| 情報所有館 | 国立科学博物館 |
| 所在等 | 京都大学建築学教室 |
| 所在地 | 京都市 |
| 製作(製造)年 | 1877 |
| 調査機関団体 | 社団法人 日本建築学会 |
| 調査票記入日 | 2001/06/17 |
| 種類 | 設計図・文献 |
| 製作者(社)等 | ジョサイア・コンドル |
| 資料公開状況 | 非公開 |
| 特徴 | 工部大学校の校舎の設計はボアンヴィルであるが、南門と門衛室はコンドルによる設計である。コンドル来日早々の作品で、当時の流行のアン女王様式を感じさせるデザインである。特に切妻部分の市松模様はそれまでの御雇い外国人(土木系)の作品にはない斬新なものであった。 |
| 資料番号 | 102210261565 |
|---|---|
| 情報所有館 | 国立科学博物館 |
| 所在等 | 日本銀行・宮内庁(管理部旧蔵) |
| 所在地 | 中央区 |
| 製作(製造)年 | 1878 |
| 調査機関団体 | 社団法人 日本建築学会 |
| 調査票記入日 | 2001/06/17 |
| 種類 | 設計図・文献 |
| 製作者(社)等 | ジョサイア・コンドル |
| 資料公開状況 | 非公開 |
| 特徴 | 北海道の開拓経営のために置かれた組織が開拓使であるが、その東京出張所の建物。外観の細部にヴェネチアン・ゴシックの特徴が見られる。内部の鮮やかな彩色の施された詳細な展開図からは、日本的なデザインの応用が試みられている様子が判る。この建物は開拓使の廃止とともに大蔵省の管轄になり、日本銀行発足時にはこの建物が使用された。 |
| 資料番号 | 102210261566 |
|---|---|
| 情報所有館 | 国立科学博物館 |
| 所在等 | 東京国立博物館 |
| 所在地 | 台東区 |
| 製作(製造)年 | 1878 |
| 調査機関団体 | 社団法人 日本建築学会 |
| 調査票記入日 | 2001/06/17 |
| 種類 | 設計図・文献 |
| 製作者(社)等 | ジョサイア・コンドル |
| 資料公開状況 | 非公開 |
| 特徴 | 上野博物館はわが国最初の本格的な博物館として、明治14年に上野公園内の現東京国立博物館の位置に建設された。コンドルにとっても来日早々に手がけた作品である。アーチの紅白まだら積みや独特の曲線、2階のヴェランダのくびれた柱と花弁状のアーチ、正面左右に乗る帽子状の屋根付の塔から、インドのイスラム様式を取り入れていることが判る。 |
| 資料番号 | 102210261567 |
|---|---|
| 情報所有館 | 国立科学博物館 |
| 所在等 | 宮内庁 |
| 所在地 | 千代田区 |
| 製作(製造)年 | 1883 |
| 調査機関団体 | 社団法人 日本建築学会 |
| 調査票記入日 | 2001/06/17 |
| 種類 | 設計図・文献 |
| 製作者(社)等 | ジョサイア・コンドル |
| 資料公開状況 | 非公開 |
| 特徴 | 山里謁見所は、明治新政府の皇居造営事業にともない、山里地区に建設される正殿として、第1案~第6案が計画されたものである。しかし、明治16年4月、謁見所の建設は中止され、この計画が実施されることはなかった。中止の原因は、その膨大な工事経費であったと推察される。それでも、この間、皇居造営に際して、コンドルが技術面で果たした役割は非常に大きく、後のわが国の建築技術の発展に寄与することになった。 |
| 資料番号 | 102210261568 |
|---|---|
| 情報所有館 | 国立科学博物館 |
| 所在等 | 個人蔵(神谷宏治) |
| 所在地 | |
| 製作(製造)年 | 1883 |
| 調査機関団体 | 社団法人 日本建築学会 |
| 調査票記入日 | 2001/06/17 |
| 種類 | 設計図・文献 |
| 製作者(社)等 | ジョサイア・コンドル |
| 資料公開状況 | 非公開 |
| 特徴 | コンドル直筆の図面に「Sketch Design for Villa A 1883」と記されているが、伏見宮邸とは記されていない。しかし、建物の間取り、方角、位置、道順など、また、当時これほどの大邸宅をコンドルに依頼できる者などから推察すれば、伏見宮邸の計画図であると考えられる。実際には伏見宮邸は片山東熊により設計されているが、彼はコンドルのこの計画を参考にしたと考えられる。現在はこの地にはホテル・ニュー・オータニがある。 |
| 資料番号 | 102210261569 |
|---|---|
| 情報所有館 | 国立科学博物館 |
| 所在等 | 宮内庁(管理部旧蔵) |
| 所在地 | 千代田区 |
| 製作(製造)年 | 1885 |
| 調査機関団体 | 社団法人 日本建築学会 |
| 調査票記入日 | 2001/06/17 |
| 種類 | 設計図・文献 |
| 製作者(社)等 | ジョサイア・コンドル |
| 資料公開状況 | 非公開 |
| 特徴 | 有栖川邸は明治17年7月、麹町区霞が関(現:霞が関公園一帯)に建設された熾仁親王の殿邸であり、明治37年以降霞が関離宮として用いられた建物である。コンドルの設計になる洋館は、「蓋し皇族の御殿を純洋風に造りたる嚆矢にして、永く後の模範になりたり」と言われるように、当時としては他に例のない宮廷建築であった。またコンドルにとっても、彼がもっとも得意とした邸宅建築の最後の作品としてその後の活躍に重要な役割を果たすものであった。 |
| 資料番号 | 102210261570 |
|---|---|
| 情報所有館 | 国立科学博物館 |
| 所在等 | 宮内庁(管理部旧蔵) |
| 所在地 | 千代田区 |
| 製作(製造)年 | 1884 |
| 調査機関団体 | 社団法人 日本建築学会 |
| 調査票記入日 | 2001/06/17 |
| 種類 | 設計図・文献 |
| 製作者(社)等 | ジョサイア・コンドル |
| 資料公開状況 | 非公開 |
| 特徴 | 「西京表公旅館」と言う名称は、現存する図面に表記されたものによる。京都に新築されるべき公的な宿泊施設であったと推察されるが、設計図が完成した明治17年9月以降、この旅館の建設計画がどうなったのかは不明である。設計図からは、煉瓦造2階建、地下室及び塔屋を持ち、南側を1・2階ともアーケードベランダとした邸宅風の建物であることが判る。「旅館」と表記されているものの内外部ともに純然たる洋式のホテル建築である。 |
| 資料番号 | 102210261571 |
|---|---|
| 情報所有館 | 国立科学博物館 |
| 所在等 | 宮内庁(管理部旧蔵) |
| 所在地 | 千代田区 |
| 製作(製造)年 | 1884 |
| 調査機関団体 | 社団法人 日本建築学会 |
| 調査票記入日 | 2001/06/17 |
| 種類 | 設計図・文献 |
| 製作者(社)等 | ジョサイア・コンドル |
| 資料公開状況 | 非公開 |
| 特徴 | 北白川宮邸は、麹町区紀尾井町の約10700坪の敷地に建設された能久親王の殿邸である。コンドルの設計になる洋館は、初期の代表的な洋館として、同じ年(明治17年)に完成した有栖川邸洋館と並び称される建物であった。北白川邸洋館は、煉瓦造2階建一部3階建の、ほぼ正方形に近い平面で、1階を接客用、2階を居住用とし、木造の和館と渡り廊下で接していた。現存する6枚の図面の内訳は、2階ベランダ手摺詳細図、噴水器詳細図(平・立・断面)、飾り棚詳細図(頂部・中央部・中間部・下部)の彩色の施された繊細な図面である。 |
| 資料番号 | 102210261572 |
|---|---|
| 情報所有館 | 国立科学博物館 |
| 所在等 | 宮内庁(管理部旧蔵) |
| 所在地 | 千代田区 |
| 製作(製造)年 | 1863 |
| 調査機関団体 | 社団法人 日本建築学会 |
| 調査票記入日 | 2001/06/17 |
| 種類 | 設計図・文献 |
| 製作者(社)等 | ジョサイア・コンドル |
| 資料公開状況 | 非公開 |
| 特徴 | 現在の浜離宮の場所に日本人によって建てられた外国人接待所が延遼館であり、コンドル設計の鹿鳴館が完成するまで、国を代表する迎賓施設であった。明治12年のドイツ皇太子やアメリカ大統領グラントの来日を機に改装することとなり、その際コンドルが内部装飾や家具の設計を手がけた。椅子は和風を意識した折衷洋式である。 |
| 資料番号 | 102210261573 |
|---|---|
| 情報所有館 | 国立科学博物館 |
| 所在等 | 日本建築学会 |
| 所在地 | 港区 |
| 製作(製造)年 | 明治 |
| 調査機関団体 | 社団法人 日本建築学会 |
| 調査票記入日 | 2001/06/17 |
| 種類 | 設計図・文献 |
| 製作者(社)等 | ジョサイア・コンドル |
| 資料公開状況 | 非公開 |
| 特徴 | 外務卿の井上馨が鹿鳴館に続いて発動した〈宮庁集中計画〉の中心的建築は国会議事堂であった。しかし、当時はまだ国会のあり方が確定しておらず、コンドルの国会案は、イギリスに習い、「上下院」と称され、議場の造りもイギリス式である。しかし、この計画案は実現することなく、実際には明治19年にドイツ人建築家ヘルマン・エンデとウィルヘム・ベックマンがベルリンから呼ばれ、本格的に〈宮庁集中計画〉が始動することとなる。 |
| 資料番号 | 102210261574 |
|---|---|
| 情報所有館 | 国立科学博物館 |
| 所在等 | 京都大学建築学教室 |
| 所在地 | 京都市 |
| 製作(製造)年 | 1897 |
| 調査機関団体 | 社団法人 日本建築学会 |
| 調査票記入日 | 2001/06/17 |
| 種類 | 設計図・文献 |
| 製作者(社)等 | ジョサイア・コンドル |
| 資料公開状況 | 非公開 |
| 特徴 | この住宅図面は、これまで高田慎蔵青山邸とされていた屋敷と同一のものと考えられる。その理由は、赤坂表町3-2-1の敷地は高田慎蔵の名義であり、その場所にシェッファという外国人が居を構えていたことが地籍図によって明らかになったため。一方、コンドル事務所に長年勤務していた田原新之助は、赤坂表町住宅図をスパニッシュ邸と記している。 |
| 資料番号 | 102210261575 |
|---|---|
| 情報所有館 | 国立科学博物館 |
| 所在等 | 京都大学建築学教室 |
| 所在地 | 京都市 |
| 製作(製造)年 | 明治時代 |
| 調査機関団体 | 社団法人 日本建築学会 |
| 調査票記入日 | 2001/06/17 |
| 種類 | 設計図・文献 |
| 製作者(社)等 | ジョサイア・コンドル |
| 資料公開状況 | 非公開 |
| 特徴 | 図面には「Rsidence in European Style」と書かれているのみで、施主は不明である。河東義之氏が、コンドルがM.B.I.R.Aと記していることから、彼が英国王立建築家協会正会員M.B.I.R.Aとなる明治17年以前の作品と判断された。この早期の段階においてこの図面によって竣工した作品は見当たらない。 |
| 資料番号 | 102210261576 |
|---|---|
| 情報所有館 | 国立科学博物館 |
| 所在等 | 京都大学建築学教室 |
| 所在地 | 京都市 |
| 製作(製造)年 | 1891 |
| 調査機関団体 | 社団法人 日本建築学会 |
| 調査票記入日 | 2001/06/17 |
| 種類 | 設計図・文献 |
| 製作者(社)等 | ジョサイア・コンドル |
| 資料公開状況 | 非公開 |
| 特徴 | ロシアのシュチュールボブの設計図に基づき、コンドルが実施設計を行ったと言われている。中央にドームを持つギリシア十字形のビザンチン教会の形式だがドームのシヤの窓などはルネサンス様式も見られる。震災で大破し、岡田信一郎により復元された際に補強とデザインの修正が行われている。 |
| 資料番号 | 102210261577 |
|---|---|
| 情報所有館 | 国立科学博物館 |
| 所在等 | 京都大学建築学教室 |
| 所在地 | 京都市 |
| 製作(製造)年 | 1893 |
| 調査機関団体 | 社団法人 日本建築学会 |
| 調査票記入日 | 2001/06/17 |
| 種類 | 設計図・文献 |
| 製作者(社)等 | ジョサイア・コンドル |
| 資料公開状況 | 非公開 |
| 特徴 | トリニティ教会は聖三一教会(三位一体の玄義・キリスト教であり父である神、子であるキリスト、及び精霊の3つを1つであるとする)とも称されていた。コンドルが内部装飾を手がけたこの教会は築地明石町にあったが、関東大震災によって崩壊した。(現在、聖三一教会は世田谷代沢に移転して存続している。) |