削岩機コレクション
| 資料番号 | 00005 |
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| 情報所有館 | JX金属グループ 日鉱記念館 |
| 特徴 | 159台の削岩機(さくがんき)を展示しています。これほど多くの削岩機を集めた展示は世界でも珍しいです。日立鉱山では当初海外から輸入した削岩機を用いていましたが、海外製のものは形が大きくて重く、小柄な日本人の体形には合わなかったことから、後に小型で性能の劣らないものを独自に製作するようになりました。当館ではその変遷をご覧いただくことができます。 |
| 資料番号 | 00005 |
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| 情報所有館 | JX金属グループ 日鉱記念館 |
| 特徴 | 159台の削岩機(さくがんき)を展示しています。これほど多くの削岩機を集めた展示は世界でも珍しいです。日立鉱山では当初海外から輸入した削岩機を用いていましたが、海外製のものは形が大きくて重く、小柄な日本人の体形には合わなかったことから、後に小型で性能の劣らないものを独自に製作するようになりました。当館ではその変遷をご覧いただくことができます。 |
| 資料番号 | 00006 |
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| 情報所有館 | JX金属グループ 日鉱記念館 |
| 特徴 | この上皿天秤は1914年から50年間に亘り使用されました。秤量範囲は0.05g~50kg。このように秤量範囲が広く大型で、かつ精度の高い天秤は茨城県内に2台しかなく、希少なものでした。 |
| 資料番号 | 00007 |
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| 情報所有館 | JX金属グループ 日鉱記念館 |
| 特徴 | 竪坑とは、従業員や鉱石を運搬するために地面と垂直に掘られた坑道のこと。ケージと呼ばれる乗り物に人や物を載せ、巻揚機を使ってロープを上げ下げすることにより昇降を行いました。1906年から1981年の閉山まで75年間、鉱山の大動脈として活躍しました。 |
| 資料番号 | 00008 |
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| 情報所有館 | JX金属グループ 日鉱記念館 |
| 特徴 | 第一竪坑内のケージの昇降のための設備で1929年に完成し、1981年の閉山まで稼働していました。中央のドラムを回転させることにより、ワイヤーの先につながったケージの上げ下げを行いました。本設備は使用されていた当時のままの姿で保存されており、このような状態で残っているのは全国でも本館だけです。 |
| 資料番号 | 00009 |
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| 情報所有館 | JX金属グループ 日鉱記念館 |
| 特徴 | 第十一竪坑で使われていた、巻揚機のギヤーおよび深度計を展示しています。 |
| 資料番号 | 00010 |
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| 情報所有館 | JX金属グループ 日鉱記念館 |
| 特徴 | 日立鉱山開業当時、創業者・久原房之助が居住し、幹部たちと労苦をともにした場所です。公害問題解決のために大煙突の建設を決意したのも、この本部の一室でのことでした。現在は茨城県文化財に指定されています。(茨城県文化財(産業史跡第1号)指定) |
| 資料番号 | 00011 |
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| 情報所有館 | JX金属グループ 日鉱記念館 |
| 特徴 | 「十三号」と名付けられ、明治末期より1960年まで約50年間、専用電気鉄道および製錬所内の輸送用に活躍しました。(株式会社日立製作所水戸工場に保存展示されていたものを同社のご厚意により借用) |
| 資料番号 | 00012 |
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| 情報所有館 | JX金属グループ 日鉱記念館 |
| 特徴 | 大雄院製錬所が建設された名刹「大雄院」跡地の一角に自生し、「千年杉」と呼ばれた巨大な杉を用いて建設された持仏堂(仏像を安置する建物)です。もともとは久原の神戸の自邸に建てられていたものですが、1985年の日鉱記念館の開設にあたって久原家から寄贈され、日立に移築されました。 |
| 資料番号 | 00013 |
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| 情報所有館 | JX金属グループ 日鉱記念館 |
| 特徴 | かつて銅製錬によって発生する亜硫酸ガスが、周辺の山林や農作物を枯らしていました。この煙害について、科学的知見も防止技術も未成熟だった時代に日立鉱山と地域住民は共に苦しみ、また互いに誠意をもって激化する煙害問題の克服に取り組みました。試行錯誤の末、1915年、当時世界一の155.7メートルもの大煙突を完成させました。その後煙害は激減し、何年にもわたる植林により自然環境は順調に回復していきました。工業都市日立市の発展を見守り続けてきた大煙突。企業と地域住民が共存共栄を目指し共に煙害問題の克服と自然環境の回復に取り組んできた歴史が今も大煙突に生き続けています。 |
| 資料番号 | 00014 |
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| 情報所有館 | JX金属グループ 日鉱記念館 |
| 特徴 | 1916年8月15日に孫文から久原へ上海から送られた手紙です。内容は孫文が日本に亡命中、久原から受けた援助に対するお礼と、自分が今権力の座にないため期待に応えることができない状況にあること、一方、中国における鉱山開発のために調査員を派遣して欲しいことなどが記されています。 |
| 資料番号 | 00015 |
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| 情報所有館 | JX金属グループ 日鉱記念館 |
| 特徴 | 当時の採掘環境を感じられる模擬坑道の中に、手ハンマーや矢木切り(※)などを復元展示しています。(※)落盤、落石、土砂の崩落などを防止するため、丸太を組み合わせた支保(支柱)を作るための道具。 |
| 資料番号 | 00016 |
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| 情報所有館 | JX金属グループ 日鉱記念館 |
| 特徴 | 坑内の最も深いところは、地表から950mです。坑道の総延長は約700kmで、日立から大阪までの距離にあたります。 |
| 資料番号 | 00017 |
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| 情報所有館 | JX金属グループ 日鉱記念館 |
| 特徴 | 35mmトーキー映写機(富士セントラル社製)は、日本鉱業創業50周年記念事業として、1953年に「本山劇場」と「共楽館」に導入されたものであり、当時としては最新鋭の映写機でした。この映写機は、テレビの普及による観客数の減少により、上映が打ち切りとなった1965年まで実際に本山劇場で使用されていたものです。 |
| 資料番号 | 00018 |
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| 情報所有館 | JX金属グループ 日鉱記念館 |
| 特徴 | 古くから金属鉱山や炭鉱には、それぞれに山中友子あるいは友子同盟という組織がありました。その由来については必ずしも詳らかではありませんが、徒弟制度と共済制度とをあわせもったものと伝えられています。友子の免状を持つ者が他の鉱山、炭鉱に行った場合、一定の作法に従ってあいさつをすれば、そこでの就職斡旋、旅費、見舞金などを受けとることができました。 |
| 資料番号 | 00001 |
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| 情報所有館 | シマセイキ フュージョンミュージアム |
| 特徴 | 世界で最初に誕生したこの靴下編機は、1589年、エリザベス女王が統治する英国の牧師、ウィリアム・リーによって発明された。手編みが全盛時代の当時、職人が一分間に最高でも100目だったのに対し、リーの編機は600目も編めたそうである。彼は好意を寄せている女性がいつも靴下編みに熱中している姿に、靴下編みから開放して彼女の気を惹こうと考えた。彼の恋心が靴下編機を発明する動機となったといわれている。メリヤス産業の発展に大きく貢献した画期的な発明である。(展示機は1830年製マシンナンバー551号機) |
| 資料番号 | 00002 |
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| 情報所有館 | シマセイキ フュージョンミュージアム |
| 特徴 | 日本での手袋製造の歴史は明治時代に遡る。スイス・デュビエ社の小横機(小幅の横編機)の輸入により、軍用手袋(軍手)の製造が始まった。指取り式手袋編機は昭和初期に作られた、不要なカムをなくして扱いやすく改造した手袋専用編機である。薬指から親指までの指を1本ずつ編んでは編針から取り外し、小指を編んだ後に指股の編目を重ね合わせて薬指から順に各指を編針に戻す、という方法から「指取り式」と呼ばれた。操作は熟練した技術が必要で、1日1人5~6ダースを生産するのがやっとであった。 |
| 資料番号 | 00003 |
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| 情報所有館 | シマセイキ フュージョンミュージアム |
| 特徴 | 昭和7年「石川式手袋編機指取り不要機構」の発明により、5本指を連続して編めるようになった。指先から手首まで連続して編むのであるが、手首の形状に合わせて手首部分の編目を減らす目減らしは大変な手間を用していた。この手袋は伸縮性がなく、機械に巻き込まれた時に脱げにくいため事故が多発した。この課題の対応に「手袋手首部ゴム糸挿入装置」を考案し、手首部分を編む時にゴム糸を挿入することで目減らしの手間を省き、手首にフィットさせることを同時に叶えた。 |
| 資料番号 | 00004 |
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| 情報所有館 | シマセイキ フュージョンミュージアム |
| 特徴 | 五指連続手袋編機は、指と胴の各部分の目数を数えながら操作する必要があったため、1人で1台を操作するのがやっとであった。そこで新たに五指連続手袋編機(ゴム糸挿入装置)に動力をつけた半自動装置を連結させた。動力が加わったことと、縦型で省スペースな半自動装置の形状により、1人で3台の操作が可能となった。半自動装置の導入は人手を減らしながら効率を上げ、生産性の大幅アップを実現した。 |
| 資料番号 | 00005 |
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| 情報所有館 | シマセイキ フュージョンミュージアム |
| 特徴 | 指先を丸形に編むためのシンカーニット方式を考案し、指先の手かがりがいらない全自動シームレス手袋編機が誕生した。しかし、当時の設備や技術力では精度が安定しなかったため、次の全自動手袋編機の開発に移行した。 |
| 資料番号 | 00006 |
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| 情報所有館 | シマセイキ フュージョンミュージアム |
| 特徴 | 全自動シームレス手袋編機から継承した、世界で初めてのシンカーニット方式は、錘(おもり)で編目が引き伸ばされた従来品とは違い、非常に伸縮性に富んだ、はめやすくて手にフィットする手袋を編むことができた。全自動手袋編機で編んだ手袋は、従来通り指先は角型に編むため、指先と指股のかがり作業は残ったが、1枚2分15秒(1ダース54分)というスピードで編めるようになった。また、誰でも使いやすい設計のため、1人で30台もの編機を操作することができ、驚異的な生産性の向上を果たした。一般社団法人日本機械学会より『機械遺産』として認定された。 |