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給水塔

資料番号 00007
情報所有館 カクキュー八丁味噌(八丁味噌の郷)
特徴 史料館入口手前にあるのは、かつて貯水タンクとして使用されていた「給水塔(きゅうすいとう)」である。大正時代に造られ、史料館から西へ数十メートル離れた大井戸(大正13年(1924年)完成)からポンプで水をくみ上げていた。大井戸からはかつて矢作川の良質な伏流水が得られていたが、昭和時代に井戸の水が枯れてしまったため現在は給水塔も大井戸も使用していない。大井戸の設計は、首都高速道路公団委員として「東京オリンピック(昭和39年(1964年))」道路の建設に尽力されたことでも有名な、鷹部屋福平(たかべやふくへい)氏が行った。
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私領傍示石「従是東岡崎領」

資料番号 00008
情報所有館 カクキュー八丁味噌(八丁味噌の郷)
特徴 私領傍示石(しりょうぼうじせき)とは、村と村の境界を示す標識のこと。「従是東岡崎領(これよりひがしおかざきりょう)」は「ここから東は岡崎の領地です」という意味で、かつての岡崎領の西の入り口に建立されていた(現在の安城市宇頭茶屋町と、安城市浜屋町との境界付近)。明治期になり各地の傍示石は隅に追いやられたり、移転したりして最後には廃棄されることが多かった中、「従是東岡崎領」はどういった経緯か不明だが、当社敷地内に移設され残ったため歴史的に貴重なものである。石の根本には、「元文元年(1736年)丙辰 石工小林當良」と刻まれている。
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早川氏庭榎の碑

資料番号 00009
情報所有館 カクキュー八丁味噌(八丁味噌の郷)
特徴 この碑は、榎(えのき)の古樹の頌徳碑(しょうとくひ)で、植物の霊異を讃える大変珍しい碑。また、早川家の由緒をうかがえる重要な石碑でもある。元々現在の岡崎市舳越町の願照寺(創業家である早川家の檀那寺)北方の早川家所有地に建っていたが、戦後の農地改革で早川家がその土地を手放した為、昭和期に当社敷地内へ移設された。石碑には、早川家の祖先が元は今川義元に仕える家臣で、桶狭間の戦いで今川が敗れた際に、岡崎に逃げ延びたことなどが刻まれている。
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正直台

資料番号 00010
情報所有館 カクキュー八丁味噌(八丁味噌の郷)
特徴 木桶の側面の板を「側板(がわいた)」、底にはまった板を「底板(そこいた)」と呼ぶが、側板同士、底板同士の接触面を「正直(しょうじき)」と呼び、「正直」を削るのが「正直台」という当社史料館にも展示している長い鉋(かんな)である。木桶は円形であり、また下へ向かってすぼまっている形であるため、「正直」を削る時に微妙な角度をつける必要があり、職人の豊富な経験および高度な技術が必要である(「正直」がぴったり合わさらなければすぐに漏れる木桶となってしまう)。そのため、『職人の技量がそこに正直に現れる』という意味で、削る面が「正直」と呼ばれるようになったのでは、と言われている。
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本蔵地蔵

資料番号 00011
情報所有館 カクキュー八丁味噌(八丁味噌の郷)
特徴 江戸時代中期に蔵(本蔵)を建てようとしたところ、土の中から現れたお地蔵様。毎年八月に従業員一同で地蔵盆を行っている。
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岡崎城の庭にあった蘇鉄

資料番号 00012
情報所有館 カクキュー八丁味噌(八丁味噌の郷)
特徴 徳川家康公生誕の岡崎城は、明治維新後に天守など主要建物が取り壊された。岡崎藩との関係を深めていた早川家は、維新後の取り壊しに当たって、藩から天守の用材および城内に植えてあった蘇鉄、牡丹を譲り受けた。それから現在まで生き続けているのがこの記念の蘇鉄。尚、藩からいただいた用材の内3本は、昭和34年に再建された岡崎城の天守内に展示中で、他の用材は早川家の建物に使われている。
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ボイラーとストーカー

資料番号 00013
情報所有館 カクキュー八丁味噌(八丁味噌の郷)
特徴 本社屋前にあるのは、大豆を蒸すために使用していた「ボイラー」(左)と、石炭を効率的にボイラーへ供給するために設置されていた「ストーカー」(右)の一部。昭和16年に導入され、昭和50年頃まで使われていたが、燃料が石炭から石油、ガスへと変わっていったため使用されなくなった。
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開拓記念館外観

資料番号 00001
情報所有館 開拓記念館(帯広)
特徴 大正8年建築、昭和11年移築し、昭和63年まで使用されていた旧開拓農家(富山県から入植)の住宅を中札内村の開拓の歴史を後世に伝えるために道の駅なかさつないに移築・復元したもの。富山県の上層農家に見られる「ワクノウチ造り」と呼ばれる建築様式である。豪雪地帯の住宅ならではの工夫として、雨戸に設けられた明り取りの為の窓ガラス(冬季は防寒防雪対策で雨戸を閉めたままになるため)、征葺き屋根(現在は違う素材)などがある。
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吹き抜け天井・井桁造り

資料番号 00002
情報所有館 開拓記念館(帯広)
特徴 住宅は富山県など北陸の豪雪地帯によくみられる伝統的な建築様式ワクノウチ(井桁)造りである。ワクノウチ造りの特徴として、茶の間を中心とした間取り、茶の間・広間は天井を張らず吹き抜けでまぐさと鴨居が一体の平物と大黒柱、四隅の柱が中心となり、セイロ組で頑丈に組み立てる構造。この造りにより冬季、屋根に積もった雪の重みにも耐えることができる。
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座敷・奥座敷

資料番号 00003
情報所有館 開拓記念館(帯広)
特徴 座敷・奥座敷の装飾はその家の財力を表します。こちらの住宅には仏間や書院造りの床の間を設け、部屋と部屋の境の壁には明り取りの欄間や釘隠も施されていることから、かなり裕福だったことが伺えます。
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糸巻き

資料番号 00004
情報所有館 開拓記念館(帯広)
特徴 寄贈品。大正~昭和初期まで使われていた糸巻き。
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防寒着など

資料番号 00005
情報所有館 開拓記念館(帯広)
特徴 寄贈品。大正~昭和初期まで使われていた様々な生活用品も展示している。
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点播器(竹内式点播器)

資料番号 00001
情報所有館 中札内村豆資料館ビーンズ邸
特徴 豆を播く機械。昭和15~16年頃使用していたもの。附属の緑色の入れ物に取り外し可能なプレートが入っており、蒔く豆の種類(大きさ)によってプレートを取り替えて使用した。
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豆播き機

資料番号 00002
情報所有館 中札内村豆資料館ビーンズ邸
特徴 明治~大正時代に生花のあたり(晩成社)で使用したもの。種板を変えるといろいろな大きさの豆をまくことができる。春の耕したばかりの畑にパチンパチンと豆を落とし足で土をかける。
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手唐箕(てとうみ)

資料番号 00003
情報所有館 中札内村豆資料館ビーンズ邸
特徴 穀物に付着した土ほこり、未熟ツブ、砕粒を風力で除く農具。落下する砕粒に横方向から風をあてると充実した粒は手前に、軽いわらやごみは遠方に飛ぶ。昭和30年代まで広く使用され、現在も一部使用されている。
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唐棹(からさお)

資料番号 00004
情報所有館 中札内村豆資料館ビーンズ邸
特徴 豆打ちに使う。木や竹の棹に棒や竹を取り付けた農具。棹の先を上下させ、取り付けた棒や竹をまわして豆を叩く。唐棹を使うにはコツがあり、慣れないと肘をうつこともある。
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足踏み扇風機

資料番号 00005
情報所有館 中札内村豆資料館ビーンズ邸
特徴 穀物の収穫の際使用した。唐箕での調整作業はいい豆、悪い豆を分けるためであるが、この足踏み扇風機はその前の段階、豆とごみを分けるための道具である。
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麻袋刺(またいさざし)5号

資料番号 00006
情報所有館 中札内村豆資料館ビーンズ邸
特徴 麻袋(60 kg入)の米、麦の検査格付資料の採取に使用。
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ベルトハンマー

資料番号 00001
情報所有館 堺伝匠館
特徴 炉で高温に熱した地金(軟鉄)と刃金(鋼)を鍛造する際に使用。福田機械株式会社製。
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玉川堂 初代 玉川覚兵衛「つばやかん」

資料番号 00001
情報所有館 燕市産業史料館
特徴 知られているかぎりでは、現存する鎚起銅器の中で最も古いものです。本体から張り出したつばは、単なるデザインではなく、かまどにやかんをかけるときに下に落ちないよう本体を引っかけるという役割を果たしています。 年代:江戸後期
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