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因州山根純楮手漉障子紙

資料番号 00065
情報所有館 明治大学博物館
特徴 1950年代に入ると和紙生産は急成長する洋紙に圧迫されるようになってきた。そのため、因州和紙の産地では長期低金利で融資を受けられる協業組合の結成が進んだ。山根因州紙振興会は鳥取市青谷町の山根地区で結成された協業組合。1950年代後半には抄紙機械が導入され、手漉きの障子紙はそろそろ見切りを付ける製品だった。山根因州紙振興会 1965年収集
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紙布 羽織

資料番号 00066
情報所有館 明治大学博物館
特徴 仙台藩家老片倉家旧臣の子孫の家に伝来したもの。紙布生産は仙台藩片倉家(白石)が奨励した。細く裂いた紙片を撚った糸で織り上げている。防暑性に優れ、細く撚った糸で織ったものは高級品として扱われた。毛羽立ちがなく染色性がよい。耐酸・耐アルカリ性に優れている。19世紀
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甲州印伝 札入れ/蝦蟇口

資料番号 00067
情報所有館 明治大学博物館
特徴 皮革自体を染め分け、細かい斑状の漆をほどこしている。現在、株式会社印伝屋上原勇七製品をはじめ、よく知られている染皮に型紙を使って色漆で小紋柄を表現した印伝細工よりは前の世代のデザイン。柔らかい鹿皮の補強材として漆をほどこした古式の様式。1961年収集
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串木野手織縞 着尺地

資料番号 00068
情報所有館 明治大学博物館
特徴 鹿児島県串木野市(現いちき串木野市)で生産されていた木綿織物。鹿児島市で藍染を習得した福元金之介が大正期に移住して始めた。後継者がなく1968年(昭和43)に途絶えた。純綿の正藍染。杉並区の民芸品店、いづみ工芸店で購入。福元染織工場 1960年収集
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出西織 テーブルセンター

資料番号 00069
情報所有館 明治大学博物館
特徴 20世紀の初頭、動力織機や化学染料を導入した有力産地の安価な製品に押され、江戸時代以来各地に伝えられた手機織りの生産は止まっていった。1955年、民藝運動の同人外村吉之介の指導によって手織りの木綿織物が出雲の地に復興された。出西手織会(井上佐登子・多々納桂子) 1965年収集 他に藍染の製品1点を収蔵
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倉敷緞通 テーブルセンター

資料番号 00070
情報所有館 明治大学博物館
特徴 昭和初期、花ゴザの粗製乱造による輸出不調を契機とし、外国人の嗜好に合わせた敷物として開発された。和紙を巻いた藺草と木綿糸で編組。民藝の染色家芹沢銈介がストライプ模様をデザインした。岡山貿易協会から購入。日本筵業株式会社 1960年収集 ※他1点計2点を収蔵
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出雲鍛造工芸品 燭台

資料番号 00071
情報所有館 明治大学博物館
特徴 島根県出雲地方の山間部ではたたら製鉄が盛んだった。かつては暮らしの道具として各地で生産された農工具や刃物類が、出雲の地には根付いており民藝運動の同人が着目するところとなった。東京都杉並区のいづみ工芸店での購入を考えると金田勝造の工房で製作された可能性が高い。 島根県安来市(生産者不明) 1960年収集
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砥部焼 角花瓶

資料番号 00072
情報所有館 明治大学博物館
特徴 原料の陶石の違いによる、北部九州のものに較べて厚手のつくりが特徴。染付(白地にコバルトの青い柄)による日用の碗・皿類を生産していたが、1950年代に民藝運動の指導者が相次いで訪れ、デザインに影響を与えた。本品は人間国宝富本憲吉の作品を意識したデザイン。1964年収集
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因州封筒・因州箋

資料番号 00073
情報所有館 明治大学博物館
特徴 鳥取市出身の民藝運動同人吉田璋也のデザイン。民藝の指導者柳宗悦は第2次大戦後間もなく、妙好人(浄土真宗の教えを体現した生活をする人)因幡の源左を取材するため因州和紙の産地鳥取県気高郡青谷町山根地区の願正寺に滞在していた。製紙業にたずさわる塩 義郎は、柳から吉田を紹介され、以後、民藝運動に深く関わった。大因州製紙有限会社(現大因州製紙協業組合) 1965年収集
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さつま人形

資料番号 00074
情報所有館 明治大学博物館
特徴 「さつま人形」という呼称の定義は曖昧で、鹿児島県下の人形という意味で木目込み人形のおはら人形や土人形の帖佐人形などもそう呼ばれることがある。本品は郷土の英雄西郷隆盛がモチーフとなった木製の置物。観光土産として生産され、三越本店での購入は物産展の折と推測される。「西郷さん」の名称でも紹介されている。鹿児島県(製造者不明)1958年収集
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スキーハウス

資料番号 00075
情報所有館 明治大学博物館
特徴 1950年代の末から1966年にかけて地場産業研究の一環として地方物産品の収集がおこなわれた。その際、各地で土産物として売られていた置物類も収集されている。これらは、いわゆる伝統製法・素材による郷土玩具ともジャンルを異にするもので、地方の風物や習俗をモチーフとした商品群である。経済成長下において人々の余暇が増加し、観光旅行が活発化する過程でこうした商品が世に出回るようになったようだが、1970年代の旅行ブームが一息つくころには衰退した。1959年収集
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平名物じゃんがら人形

資料番号 00076
情報所有館 明治大学博物館
特徴 地元の名産や芸能をモチーフとする置物類が土産物として人気があった時代の製品。福島県いわき市の「じゃんがら(念仏踊り)」(1992年市無形文化財指定)をモチーフとした木製の置物。福島県(製造者不明) 1962年収集
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石炭こけし

資料番号 00077
情報所有館 明治大学博物館
特徴 地元の名産や芸能をモチーフとする置物類が土産物として人気があった時代の製品。炭鉱業は福島県いわき市における基幹産業であったが、本品の収集時にはすでに斜陽産業化の傾向にあった。福島県いわき市(製造者不明) 1962年収集
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マリア人形

資料番号 00078
情報所有館 明治大学博物館
特徴 長崎県は歴史的にもキリスト教の受容が盛んな地域で、大浦天主堂など観光名所としてキリスト教の遺産が知られる。地元の風物をモチーフとする観光土産として売られたもの。長崎県(製造者不明) 1962年収集
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まゆ人形 だるま

資料番号 00079
情報所有館 明治大学博物館
特徴 高崎駅の構内売店で購入。地元の名産や芸能をモチーフとする置物類が土産物として人気があった。群馬県の養蚕農家戸数は1958年に第2次大戦後最多となるが、以後は生糸輸入自由化により減少の一途をたどる。本品はまだ養蚕業が一定の規模を保持していた時代のもの。群馬県(製造者不明) 1963年収集
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因幡の傘踊り

資料番号 00080
情報所有館 明治大学博物館
特徴 地元の名産や芸能をモチーフとする置物類が土産物として人気があった時代の製品。現在も鳥取県の神社境内等で踊られる江戸期の雨乞祈願・豊穣祈願を原形とする傘踊りをモチーフとした観光土産。因幡の傘踊りは1974年に県の無形民俗文化財に指定。鳥取県(製造者不明) 1965年収集
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地唄三味線(中棹)

資料番号 00001
情報所有館 津軽三味線会館
特徴 「地唄三味線」の最大の特徴は、津軽三味線同様のハイポジションが弾ける棹の付け根です。津軽三味線の様に即興演奏の盛り上がりで次第に広域に上り詰める為ではなく、合奏音楽の為、オクターブ上下に目まぐるしく担当旋律が飛ぶ為といわれます。バチは各種三味線中、最も重く、幅の広い形で、地唄独特の「練りバチ」と言う粘りとタメのある奏法に適しています。駒は義太夫式の鉛入りの水牛駒です。
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常盤津三味線(中棹)

資料番号 00002
情報所有館 津軽三味線会館
特徴 楽器的にも音楽的にも非常に専門的なジャンルで、歌舞伎や日舞にも起用され、鳴り物も伴う場合もあるので、長唄にも似て聞こえます。しかし、地唄の練りバチにも似たタメのあるバチさばきを、地唄より軽い駒で演奏する為、地唄より軽快で、長唄よりしっとりとした独特の個性を持っています。豊後系の先輩の「一中節」や後輩の「新内節」「清元節」とも関連があり、江戸~明治の豊かな音楽文化隆盛期の「粋」を今日に伝えてくれます。今日の「常盤津三味線」は明治時代に考案された「アヅマサワリ」を取り付けています。象牙や骨製の駒は長唄より高く、地唄より軽いものです。バチは民謡・端唄大で、先が薄くデリケートです。
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小唄三味線(細棹)

資料番号 00003
情報所有館 津軽三味線会館
特徴 「小唄三味線」は、細棹の中でもやや太めでした。「小唄三味線」はお座敷で発達したため、バチを用いないで爪弾きします。厳密には爪も短く切り指先で弾きます。その為糸と糸の間隔がある程度ないと演奏出来ないので、棹は太めになるためです。小唄の駒は、爪弾きの為に高い駒を用います。柔らかな音色を求めて木製が好まれます。
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長唄三味線(細棹)

資料番号 00004
情報所有館 津軽三味線会館
特徴 本来細棹の代表格でしたが、時代と共に太くなり、今日では中棹の地唄三味線と同じ位太くなっています。しかし棹の厚み「重ね」は低いので握りは細みに感じます。棹が太くなっても胴は同じ大きさで、対角線で地唄の胴より1.5~2分程小さいものです。バチは細く軽いもので、近年では派手な奏法の為に次第に糸に対して直角に近く当てるようになり、地唄の練りバチと正反対の個性を持っています。
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