硬質漆器 盆
| 資料番号 | 00025 |
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| 情報所有館 | 明治大学博物館 |
| 特徴 | 硬質漆器は大正15年(1926)に名古屋市中区の黒田忠譲店によって開発された。パルプを原料とする器胎を用いる。木胎のように歪みが出ないため輸出用に注目された。高度経済成長期まで名古屋は有数の輸出漆器の産地であった。1961年収集 |
| 資料番号 | 00025 |
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| 情報所有館 | 明治大学博物館 |
| 特徴 | 硬質漆器は大正15年(1926)に名古屋市中区の黒田忠譲店によって開発された。パルプを原料とする器胎を用いる。木胎のように歪みが出ないため輸出用に注目された。高度経済成長期まで名古屋は有数の輸出漆器の産地であった。1961年収集 |
| 資料番号 | 00026 |
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| 情報所有館 | 明治大学博物館 |
| 特徴 | 新潟県燕市の金属製洋食器生産は、明治44年(1911)に「捧(ささげ)商店」が東京の貿易商十一屋商店から受注したことを契機に発展。第2次大戦後は輸出産業として1954年に輸出量が急増、1958年にアメリカ政府から輸出制限勧告が出される騒ぎとなる。1980年頃には輸出は衰退。収集当時は国内生産の95%を占める新潟県の代表的な地場産業だった。 燕振興工業株式会社 1964年収集 |
| 資料番号 | 00027 |
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| 情報所有館 | 明治大学博物館 |
| 特徴 | 高度経済成長を支えた輸出品産業として新潟県燕市の金属製洋食器は典型的な事例だった。ヨーロッパ市場向けマーク入デザート・ナイフ、デザート・スプーン(沖縄向け/米国市場向け/オーストラリア・南アメリカ市場向け)、デザート・フォーク(オーストラリア・南アメリカ市場向け)、フォーク(オーストラリア・南アメリカ市場向け)、テーブル・フォーク(カナダ市場向け)を収蔵。 赤羽工業株式会社 1964年収集 |
| 資料番号 | 00028 |
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| 情報所有館 | 明治大学博物館 |
| 特徴 | 亜鉛銀メッキ。日本橋高島屋にて購入。1964年収集 |
| 資料番号 | 00029 |
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| 情報所有館 | 明治大学博物館 |
| 特徴 | 佐賀県有田の精磁会社や愛知県名古屋市の森村商会など、明治期に入ると洋食器を生産し海外に輸出しようという試みが始まったが、素地原料調合の問題などから器種によっては生産が困難なものがあった(特にオーバルの大皿)。そのため、本格的な洋食器のディナーセットの生産体制が整ったのは第2次大戦後のことであった。三郷陶器株式会社製 1959年収集 |
| 資料番号 | 00030 |
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| 情報所有館 | 明治大学博物館 |
| 特徴 | 本来漆とガラスの相性は悪く密着性に難があったため、漆で絵柄をつける開発が本格化したのは1980年代からとなる。本品はそれ以前における貴重な開発例だが、ガラスの裏面から色漆で彩色、皿の底面となる側に下地をして漆を塗り重ねるしくみとなっており、現在のガラス漆器のように器の表面に漆をほどこしたものではない。漆の剥落をふせぐ苦肉の策ではある。1959年収集 |
| 資料番号 | 00031 |
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| 情報所有館 | 明治大学博物館 |
| 特徴 | 高度成長初期における各務クリスタル(現カガミクリスタル)社製の製品。家庭経済の上昇にともない、各家庭に高級食器・調度類が受入れられ始めた時期のものである。同社はドイツで製造技術を学んだ各務鑛三によって昭和9年(1934年)に設立され、日本初のクリスタルガラスを製造した我が国を代表するガラス食器製造メーカーである。各務クリスタル(現カガミクリスタル) 1962年収集 |
| 資料番号 | 00032 |
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| 情報所有館 | 明治大学博物館 |
| 特徴 | 琉球ガラスは泡盛を飲む酒器としての知名度を得て、現在では沖縄県の工芸として定着した。これは、まだ駐留米軍が排出する廃ビンを再利用していた時期の製品。1966年収集 |
| 資料番号 | 00033 |
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| 情報所有館 | 明治大学博物館 |
| 特徴 | 新潟県加茂市域では、江戸後期には農間に自家用の縞木綿が織られていた。明治に入り企業化し、産業として成長する。大正期には動力織機も導入され、同12年には177万反を織り出した(『加茂市史』)。本品は合成染料ナフトール染による和服が日常衣料として健在だった頃のもの。新潟県加茂市(製造者不明) 1954年収集 |
| 資料番号 | 00034 |
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| 情報所有館 | 明治大学博物館 |
| 特徴 | 高度経済成長下においても女性の衣料として和服は地位を保っていた。普段着・仕事着としての木綿絣が廃れた後も、絹織物は晴れ着や訪問着としての需要を保つことになる。1959年収集 |
| 資料番号 | 00035 |
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| 情報所有館 | 明治大学博物館 |
| 特徴 | 久留米絣、備後絣とならび西日本の三大木綿絣の産地と言われた伊予絣の製品。高度経済成長下においても中高年女性の日常衣料として和服は地位を保っていたが、普段着・仕事着としての木綿絣の需要は確実に減少していった。この後、愛媛県地方においては、タオル産業が発展することになる。1961年収集 |
| 資料番号 | 00036 |
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| 情報所有館 | 明治大学博物館 |
| 特徴 | 江戸時代の鹿島綴を受け継いだ佐賀錦から第2二次大戦後に技術を導入して長崎手芸協会の会員が製織した。ハンドバッグ、ネクタイ、帯〆等の小物類が製造されていた。長崎手芸協会 1961年収集 他に帯〆を3点収蔵 |
| 資料番号 | 00037 |
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| 情報所有館 | 明治大学博物館 |
| 特徴 | 土中にあって腐朽せず地熱によって炭化した樹木(埋木)を素材とする宮城県仙台市の特産品。江戸期に下級藩士の内職として始まり、明治期以降、亜炭採掘の副産物として産出されることから細工物の製作が盛んになった。エネルギー需要が石炭から石油・電気に切り替わる1960年代を境に衰退した。安斉埋木店 1957年収集 他に1958年収集(製造者不明)の端書入れを収蔵 |
| 資料番号 | 00038 |
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| 情報所有館 | 明治大学博物館 |
| 特徴 | 蒔絵をあしらった火鉢は明治中期から昭和初期にかけて全国に向けて販売されたが、ガス・電気の普及によって需要を失い、その後は花器・菓子器など小物生産へ転換した。 桐漆工芸上坂(石川県金沢市) 1983年収集 |
| 資料番号 | 00039 |
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| 情報所有館 | 明治大学博物館 |
| 特徴 | 増え続ける需要に応えるため、会津や山中などの主要産地では量産に適した合成漆器の製造が模索されたが、その普及が進む1960年代にかけては、まだまだ在来の手工芸製品も実用の普及品であった。品質を向上させつつ、家庭経済の上昇にともない少々の見栄えと贅沢を意識した高級品に昇華していった。川連漆器(秋田県湯沢市)特有の明るい朱塗の製品。1956年収集 |
| 資料番号 | 00040 |
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| 情報所有館 | 明治大学博物館 |
| 特徴 | 増え続ける需要に応えるため、会津や山中などの主要産地では量産に適した合成漆器の製造が模索されたが、その普及が進む1960年代にかけては、まだまだ在来の手工芸製品も実用の普及品であった。品質を向上させつつ、家庭経済の上昇にともない少々の見栄えと贅沢を意識した高級品に昇華していった。「唐塗り」は特殊なヘラを用いて複数の色漆を重ね塗りし、研ぎ出すと虫食い状にさまざまな色が散りばめられたような図柄となる技法。津軽塗の代表的なデザインである。1958年収集 |
| 資料番号 | 00041 |
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| 情報所有館 | 明治大学博物館 |
| 特徴 | 固化に時間を要するという漆塗り製品の弱点を補うため、加熱によって固化を早めるため開発された。また、花瓶の器胎には一定の自重も必要なことから陶胎は恰好の素材となった。その後、合成漆器の品質向上と生産体制の整備、プラスチック器胎の普及などによって衰退したと考えられる。1959年収集 |
| 資料番号 | 00042 |
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| 情報所有館 | 明治大学博物館 |
| 特徴 | 日常に使用する汁椀には合成漆器の普及が著しかったが、品質を向上させつつ、家庭経済の上昇にともない少々の見栄えと贅沢を意識した高級品に昇華する商品も一方に存在した。そういう意味で、高度成長期は伝統的工芸品産業にとってネガティブな環境ではなかった。家庭における来客接遇機会の増加による需要の増加に対応した商品。香川漆器の中でも実用的な堅牢度の高い製品。1960年収集 |
| 資料番号 | 00043 |
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| 情報所有館 | 明治大学博物館 |
| 特徴 | 増え続ける需要に応えるため、会津や山中などの主要産地では量産に適した合成漆器の製造が模索された。本製品は木胎ながら、伝統的な本堅地下地ではなく、当時普及し始めていた合成下地を施したもので、上塗りもカシュー漆の可能性がある。1961年収集 |
| 資料番号 | 00044 |
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| 情報所有館 | 明治大学博物館 |
| 特徴 | 漆に色素を混ぜ粘土状に固化させた堆錦餅を貼り合わせて装飾している(堆錦技法)。糸尻内に「琉球塗」の銘があるが宮崎県産。鹿児島県と同様に第2次大戦中に疎開してきた沖縄出身者の内、残留した者に対する授産事業として琉球漆器の技術者が指導した。宮崎県(製造者不明) 1963年収集 |