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C57形1号機 蒸気機関車

資料番号 00009
情報所有館 京都鉄道博物館
特徴 C57形は1937(昭和12)年に登場した亜幹線旅客用の蒸気機関車。1947(昭和22)年までに201両が製造され、四国を除く全国各地で活躍し、「シゴナナ」または細身のボディーから「貴婦人」の愛称で親しまれた。1号機は東北本線や羽越本線などで活躍後、1972(昭和47)年からは当館の前身である梅小路蒸気機関車館で動態保存された。1979(昭和54)年には「SLやまぐち号」の牽引機となった。
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C58形1号機 蒸気機関車

資料番号 00010
情報所有館 京都鉄道博物館
特徴 C58形ローカル線の旅客兼貨物用として1938(昭和13)年に登場した蒸気機関車。旅客用8620形・貨物用9600形と同等の性能を兼ね備え、汎用性も高く、1947(昭和22)年までに431量が製造された。主に千葉、和歌山、四国全域で活躍し、「シゴハチ」の愛称で親しまれた。
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C56形160号機 蒸気機関車

資料番号 00011
情報所有館 京都鉄道博物館
特徴 C56形は1935(昭和10)年に登場した蒸気機関車。ローカル線に向けて小型軽量で、ある程度の長距離運転も可能にすつため、タンク式のC12形をベースにテンダー式として燃料の搭載量を拡大させた。160号機は1939(昭和14)年製造の最終号機で、日高本線、津山線、小梅線、七尾線などで活躍し、当館の前身である梅小路蒸気機関車館で動態保存された。
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9600形9633号機 蒸気機関車

資料番号 00012
情報所有館 京都鉄道博物館
特徴 9600形は、国産で初めて本格的に量産された貨物用のテンダー式蒸気機関車。火室を台枠の上に載せることで大出力ボイラーの実現が可能になったが、重心が高いため高速運転には向かなかった。しかし、使い勝手の良さから1913(大正2)~1926(大正15)年に770両が製造され、全国各地で長く活躍した。最後は北海道の追分機関区で入換機として3両が1976(昭和51)年まで現役を続け、国鉄蒸気機関車の最後を飾った。
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D51形1号機 蒸気機関車

資料番号 00013
情報所有館 京都鉄道博物館
特徴 D51形は1936(昭和11)年に亜幹線貨物用として登場した蒸気機関車。C11形やC55形と同様に電気溶接の多様と全長の短縮など軸重の軽量化を図ったことで入換可能線区が拡大し、戦時の貨物需要の増大もあって、国内最多の1,115両が製造されて国内のほぼ全域で使用され「デゴイチ」の愛称で親しまれた。1号機をはじめとする初期形は、給水温め器が煙突後部に設置されカバーで覆われており、「半流線形」「ナメクジ」などと呼ばれた。
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D51形200号機 蒸気機関車

資料番号 00014
情報所有館 京都鉄道博物館
特徴 D51形200号機は、1938(昭和13)年に浜松工場で製造された。給水温め器を煙突前に設置して軸重の配分を変更しており、初期形に対し「標準形」と呼ばれる。主に東海道本線や中央本線で活躍し、1972(昭和47)年に当館の前身である梅小路蒸気機関車館で動態保存された。一旦は車籍が抹殺されたものの、1987(昭和62)年に復活、2015(平成27)には本線への復帰が決定した。
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D50形140号機 蒸気機関車

資料番号 00015
情報所有館 京都鉄道博物館
特徴 D50形は9600形の後継機として、1923(大正12)年から380両が製造された幹線貨物用の蒸気機関車。登場時の形式は9900形でしたが、1928(昭和3)年の称号規定改正でD50形に改められた。戦後、一部は従台車を2軸に増やして軸重を軽減したD60形に改造されている。140号機は、D50形最後の一両として1971(昭和46)年まで九州で活躍した。
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D52形468号機 蒸気機関車

資料番号 00016
情報所有館 京都鉄道博物館
特徴 D52形は、1943(昭和18)年に登場した幹線貨物用の蒸気機関車。D51形をベースにボイラーを可能な限り大型化する一方、戦時設計による工程の簡素化が図られた。このため、木材など代用資材が多用されたことなどから十分に性能が発揮できず、1946(昭和21)年に285両で製造が打ち切られた。
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C62形2号機 蒸気機関車

資料番号 00017
情報所有館 京都鉄道博物館
特徴 1948(昭和23)年製造のC62形2号機は、1951(昭和26)年に特急「つばめ」の牽引にあたりステンレス製のつばめマーク「スワローエンゼル」が取り付けられた。1957(昭和32)年に軸重軽減や旋回窓などの改造が施され、北海道に渡った後は急行「ニセコ」などで活躍した。1972(昭和47)年に廃車された後に、当館の前身である梅小路蒸気機関車館で動態保存された。
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C62形1号機 蒸気機関車

資料番号 00018
情報所有館 京都鉄道博物館
特徴 C62形は1948(昭和23)年に登場した幹線旅客用の蒸気機関車。足回りはC59形の設計がベースだが、D52形の巨大ボイラーを流用したため、C61形同様ハドソン形(2-C-2)の軸配置にして軸重を上限内に抑えられた、1号機は、試作機として山陽本線で試験が繰り返され、自動給炭装置も後に装備された。1967(昭和42)年に廃車され、1994(平成6)年に、当館の前身である梅小路蒸気機関車館に移設された。
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C62形26号機 蒸気機関車

資料番号 00019
情報所有館 京都鉄道博物館
特徴 1948(昭和23)年にD52形46号機のボイラーを転用して誕生したC62形26号機は、現存するC62形では唯一の川崎車輌(現・川崎重工)製。稲沢機関区に新製配置され、東海道・山陽本線を離れることなく活躍を続けた。1966(昭和41)年に糸崎機関区で廃車となった後は、当館の前身である交通科学博物館で保存・展示された。
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C61形2号機 蒸気機関車

資料番号 00020
情報所有館 京都鉄道博物館
特徴 C61形はD51形のボイラーを流用し、改造の名目で1947(昭和22)年より33両が製造された、亜幹線旅客用の蒸気機関車。足回りはC57形がベースで、ボイラーが大きいため従台車を1軸増やして日本初のハドソン形(2-C-2)の軸配置とし、軸重を減らした。自動給炭装置を初めて搭載した蒸気機関車で、主に東北や九州の地方幹線で活躍した。
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0系新幹線21形1号車

資料番号 00021
情報所有館 京都鉄道博物館
特徴 21形は1964(昭和39)年に製造された0系新幹線電車の制御電動車で、運転台を備えた下り側の先頭車。開業当初は視認性をよくするため、ボンネットの先端にアクリル製で電照式の「光前照灯」が設置されていたが、後に耐久性の高いFRP製に交換された。
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0系新幹線16形1号車

資料番号 00022
情報所有館 京都鉄道博物館
特徴 0系新幹線電車の中間電動車で、車内客室は1等車(現在のグリーン車)。両側2列の回転式リクライニングシートが採用され、シートピッチは1,160mm。出入口扉の押縁には金メッキが施されている。
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0系新幹線35形1号車

資料番号 00023
情報所有館 京都鉄道博物館
特徴 0系新幹線電車の中間電動車で、半室が2等車(現在の普通車)、もう半室がビュッフェの合造車。東海道新幹線の開業時から食堂車36形の導入まで35形は、編成中2量連結されていた。
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0系新幹線22形1号車

資料番号 00024
情報所有館 京都鉄道博物館
特徴 22形は1964(昭和39)年に製造された0系新幹線電車の制御電動車で、運転台を備えた上り側の先頭車。同じ先頭車の21形とは、集電装置・主変圧器・主整流器などを備えている点が異なる。
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100系新幹線122形5003号車

資料番号 00025
情報所有館 京都鉄道博物館
特徴 100系は0系の後継者として、1985(昭和60)年に、2階建て車両を2両連結し、アコモデーションの改善を図った車両。1989(平成元)年には、先頭車を付随車から電動車に変更して2階建て車両を4両とし、高速化の装備を搭載した100系3000番代が登場し、100N系とも呼ばれた。100N系は「グランドひかり」の愛称で東京~博多間の「ひかり」で活躍後、短編成化に伴い改造されて5000番代となり、2012(平成24)年まで山陽新幹線「こだま」に使用された。122形は制御電動車で、上り側の先頭車である。
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500系新幹線521形

資料番号 00026
情報所有館 京都鉄道博物館
特徴 521形は1996(平成8)年に登場し.た500系の制御電動車で、下り側の先頭車。500系は0系以来の全電動車方式となり、車体断面も航空機のように円形に近づけた。またトンネル微気圧波による衝撃を抑える目的で、先頭形状を鋭角に絞り込むなど高速化を図っているため、運転室が戦闘機のキャノピーのように張り出しているのが特徴である。1997(平成9)年から「のぞみ」として運転を開始。山陽新幹線内で国内最高(当時)の300㎞/h運転を行って、JR西日本のフラッグシップとして活躍した。
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クハ103形1号車 電車

資料番号 00027
情報所有館 京都鉄道博物館
特徴 クハ103形は、1964(昭和39)年に登場した103系通勤形直流電車の先頭車。高度成長期に車両の近代化と量産化を目的として、101系電車をベースに付随車の比率を上げるなど、より経済性を追求した車両で、通勤電車の標準形として1984(昭和59)年までに3,447両が製造さた。クハ103形1号車は1963(昭和38)年に山手線でデビューし、京浜東北線を経て1976(昭和51)年に関西へ転属。大阪環状線や阪和線などで活躍し、2011(平成22)年に引退しました。
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クハ86形1号車 電車

資料番号 00028
情報所有館 京都鉄道博物館
特徴 クハ86形は80系の先頭車で、それまでの電車と異なり、運転台付きの車両にモーターを装備していない。展示車両は1次車で3枚窓だが、運転士の視認性向上のため、2次車から大型の2枚窓に変更された。それまでは茶色1色だった塗装からオレンジと緑に塗り分けられ、塗色の多様化のきっかけとなった80系電車は、改良を加えながら600両以上製造され、大都市圏で活躍した後、地方線区へ転出し、1983(昭和57)年に全車が引退となった。
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