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ソフト自動販売機 ソフトベンダーTAKERU

資料番号 00022
情報所有館 ブラザーミュージアム
特徴 当社における通信ネットワークを活用した事業のスタートモデルとなったパソコンソフト自動販売機。「パソコンソフトのかさばる在庫無し・品切れ無し」をうたい文句とした画期的な製品。本体画面上で欲しいソフトを検索し、お金を投入するとISDN回線を利用してソフトがフロッピーディスクに書き込まれ、同時に使用マニュアルも本体横プリンターから印字されるというもの。不正コピー防止技術も併せ持っていた。1986年
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ラベルライター ピータッチ PT-6

資料番号 00023
情報所有館 ブラザーミュージアム
特徴 日本語ワープロでの熱転写印字や、かな漢字変換の技術などを応用した、国内初のラベルライター。印字テープにラミネート加工を施し、擦れや水、薬品等にも強いさまざまな場面に使えるテープが標準仕様。なお国内では当初OEM製品として出荷していた。1988年
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通信カラオケ JOYSOUND JS-1

資料番号 00024
情報所有館 ブラザーミュージアム
特徴 ソフト自販機TAKERUで培った通信ネットワーク技術を使用した、それまで無かった通信カラオケという新しいシステムを築き上げたモデル。当時の主流・レーザーディスクカラオケの課題であった配信スピード、スペースの問題をクリアした。最大10,000曲収容、30×24.5×38.5㎝。1992年
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モノクロレーザーデジタル複合機 MFCー4500ML

資料番号 00025
情報所有館 ブラザーミュージアム
特徴 SOHO等のユ-ザ-のPC普及率が急速に高まり、FAXとPCを接続したいというニーズに応えた小型複合機。1台でファクス・コピー・プリンター・スキャナー・PCファクスが可能。既に製品技術として単独で持っていたレーザープリンターエンジン、FAX、スキャナー等、自社技術要素の融合により実現。小型でありながら多機能の製品で海外市場から高く評価された。1995年
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秋草蒔絵入子薫香盒子

資料番号 00001
情報所有館 松栄堂 薫習館
特徴 ヤンポ型の香箱は、小器の蓋にそれぞれ「ちよくさく(勅作)」「上のちん(沈香)」「中のちん」「たきもの(薫物)」「徒希本之(つけほし・付干)」と蒔絵で記されているため、香を入れるための器と知ることができる。勅作の薫物を手元に置くことの許された貴人の日常にあった道具と判明する。(江戸時代初期)
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潜水具

資料番号 00001
情報所有館 紋別市立博物館
特徴 人間が水中に入って行なわれる漁や作業では、特別な器具をつけずに潜る素潜りのほか、ボンベや潜水具を身につけて潜る方法がある。潜水具を使用した方法では、潜水士は潜水服を着て、水圧に耐えるヘルメットを被り、鉛の靴などで装備を整え水中に入った。ヘルメットは船上のポンプとホースで結ばれ、ポンプから送り込まれる空気で呼吸を確保し浮力も得た。潜水具は、港で防波堤の基礎を作る際の潜水作業で欠くことのできないものだった。現在、紋別のホタテ漁では桁網が使用されるが、潜水具を使用してホタテを漁獲していたこともあった。この「潜水具」は紋別漁業協同組合より寄贈されたもので、昭和初期(戦前)か大正時代の製作と推定される。
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肥料播き器

資料番号 00002
情報所有館 紋別市立博物館
特徴 かつての農業において施肥(肥料播き作業)は、腰を屈めて行なわなければならない大変な重労働であった。身体的負担を軽減し、正確な施肥を行なうために考案されたのが、「ラッパ」(紋別では別名「つっぽ」)と呼ばれるブリキ製で筒状の農具である。肥料を入れた箱や袋を肩や首からぶら下げ、ラッパに肥料を流し込んで播くことで、肥料が風に飛ばされることもなく、立った姿勢での施肥が実現した。その後、ブリキ製で肩掛けタンク型の肥料播き器(中央の穴に首を通し、ラッパと組み合わせて使用)が開発され、疲労を抑え、効率的な施肥ができるようになった。紋別では肩掛けタンク型の肥料播き器は昭和初期に使用された。
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榎本武揚筆「学後知不足」の扁額

資料番号 00001
情報所有館 東京農業大学 生物産業学部図書館
特徴 この額の言葉の出典は『礼記』であり,これによると「学後知不足」の後に「教然後知困」が続く。 「学問をしてみて初めて自分の知識不足がわかり,教えてみて初めて勉強の難しさを知る」という内容の言葉である。常に学ぶことの大切さを感じて人生を送った榎本の謙虚で真摯な姿勢がよく表われ,榎本ゆかりの北海道に新たに興った本キャンパスの学生への言葉として意味深く相応のものである。 ※本学は1891年に榎本武揚が創立した「徳川育英会育英黌農業科」を原点としています。
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機関車転車台

資料番号 00001
情報所有館 天竜浜名湖鉄道 鉄道歴史館
特徴 蒸気機関車の進行方向を転換させるために造られたもので、鉄製で直径約18m。建設当時は手動により回転させていたが、現在は電動で回転する。蒸気機関車が走っていたころは4箇所で使用されていたが、現在では天竜二俣駅のみに残されている。年代:1940
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機関車扇形車庫

資料番号 00002
情報所有館 天竜浜名湖鉄道 鉄道歴史館
特徴 木造平屋建、波形ストレート鉄板葺で建築面積は686㎡。現在は右側2両分が切り縮められ、4線分の格納が可能。総木造で庫内に下る柱を少なくするために力強い架構を持つ。年代:1940
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運転区高架貯水槽

資料番号 00003
情報所有館 天竜浜名湖鉄道 鉄道歴史館
特徴 鉄筋コンクリート造の高架貯水槽。蒸気機関車へ大量の水を補給するため、高い位置に貯水槽が置かれ、水の重力によって補給を行っていた。6本の脚の上に、内容量70トンの貯水槽が載る。脚の内側に揚水施設のポンプや配管の一部が残存する。年代:1940
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運転区揚水機室

資料番号 00004
情報所有館 天竜浜名湖鉄道 鉄道歴史館
特徴 木造平屋建の大きく窓のついた簡易な建築。室内に揚水ポンプの一部が残存し、隣接して外径3.6m・高さ1.1mの鉄筋コンクリート造りの井戸を付設。水を井戸から汲み上げ貯水槽へ送る。年代:1940
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運転区事務室

資料番号 00005
情報所有館 天竜浜名湖鉄道 鉄道歴史館
特徴 木造平屋建で、一部が二階建てとなっている。外壁は杉板縦張り、ガラス窓は格子桟付の木製が特徴。現在も事務室・会議室として使用している。年代:1940
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運転区休憩所

資料番号 00006
情報所有館 天竜浜名湖鉄道 鉄道歴史館
特徴 事務室棟の背面に並んで建ち、事務室等との間に屋根を渡してつないでいる。内部に休憩室、湯沸所、青写真室、便所を配している。年代:1940
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運転区浴場

資料番号 00007
情報所有館 天竜浜名湖鉄道 鉄道歴史館
特徴 木造平屋建、日本瓦葺で事務室棟に沿って並ぶ。現在は使われていないが、内部には浴槽が当時のまま残存している。事務室棟・休憩所とは屋根だけの渡り廊下で結ばれている。年代:1940
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オルガン(製造番号3064)

資料番号 00001
情報所有館 ヤマハ株式会社イノベーションロード
特徴 現在のヤマハ株式会社の創業は、1887年(明治20年)に山葉寅楠が浜松の小学校にあった壊れたオルガンの修理に成功し、オルガン製作を決意したのがきっかけ。このオルガンは、山葉寅楠によって製作された現存する最古のものの一つと考えられる。鍵盤の上のプレートには、「山葉製造」「MANUFACTURED BY YAMABA」の文字が見られる。創業当時は「YAMAHA」ではなく、「YAMABA」と記されていた。年代:1880年代後半
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箱根越えレリーフ

資料番号 00002
情報所有館 ヤマハ株式会社イノベーションロード
特徴 現在のヤマハ株式会社の創業者である山葉寅楠は、1887年(明治20年)に浜松で、飾り職人をしていた河合喜三郎と協力しオルガンを完成させた。そして、その出来栄えの評価を受けるため東京の音楽取調所(東京芸術大学音楽部の前身)へ持ち込んだ。 当時はまだ浜松から東京まで鉄道が通じておらず、箱根山を越える際には天秤棒で担いだとも伝わる。このレリーフは、会社創立30周年記念行事のひとつとして本社内に建立された寅楠銅像の台座に埋め込まれていたもの。銅像は第二次世界大戦中に供出され現存しない。年代:1929年
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自働演奏ピアノ

資料番号 00003
情報所有館 ヤマハ株式会社イノベーションロード
特徴 空気式の自働演奏ピアノ。自動ではなく、自働の字が当てられている。演奏で発音させるタイミングに穴を開けたロール紙を取り付け、ペダルを踏むと、ロール紙を巻いていくのと同時にふいごで空気が送られ、鍵盤機構に繋がっているバーの穴とロール紙の穴が一致したところで空気が流れることによって鍵盤機構を動かし、発音する仕組みだった。後年はモーターが取り付けられて完全な機械式の自動演奏ピアノとなる。個人宅や学校、教会、店舗などに普及した。年代:1913年
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航空機用木製プロペラ

資料番号 00004
情報所有館 ヤマハ株式会社イノベーションロード
特徴 日本楽器製造株式会社(現在のヤマハ株式会社)は、木工技術と合板技術が注目され、航空機用木製プロペラを受注、1921年に製造を開始した。プロペラ開発で培った製造技術や工作機械が、後のオートバイ製造への礎となった。本体横に「大正14年11月 日本楽器會社製作」の刻印がある。製番/155 木製・胡桃材 年代:1925年
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オートバイYA-1

資料番号 00005
情報所有館 ヤマハ株式会社イノベーションロード
特徴 日本楽器製造株式会社(現:ヤマハ株式会社)が開発したオートバイ。1954年8月に試作車を完成させ、1955年2月にYA1型ヤマハ125ccとして発売、えんじ色のスリムな車体から、“赤トンボ”の愛称で呼ばれた。1955年7月の第3回富士登山オートレースや同年11月の第1回浅間高原全日本耐久ロードレースで上位を独占し、高い走行性能を実証。 同年7月、オートバイ部門を独立し、ヤマハ発動機株式会社を設立した。年代:1955年
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