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繭標本43

資料番号 00092
情報所有館 福島県立博物館
特徴 明治になると、ヨーロッパや中国を原産とする蚕種が入るようになり、これらと日本種を交配し、より品質のよい蚕品種を作り出す試みが行われるようになった。明治38年には外山亀太郎が蚕における雑種強勢(交雑第一世代が親より優れた性質を持つ現象)を発見、政府は原蚕種製造所(後の蚕業試験場)を設立し、この研究を推進した。こうした一代限りの交雑種の利用は大正に入ると急速に普及し、蚕品種の生産性も格段の進歩をみることとなり、様々な奨励品種も誕生した。資料はスリランカ産繭の標本。製作年代:不明
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繭標本44

資料番号 00093
情報所有館 福島県立博物館
特徴 明治になると、ヨーロッパや中国を原産とする蚕種が入るようになり、これらと日本種を交配し、より品質のよい蚕品種を作り出す試みが行われるようになった。明治38年には外山亀太郎が蚕における雑種強勢(交雑第一世代が親より優れた性質を持つ現象)を発見、政府は原蚕種製造所(後の蚕業試験場)を設立し、この研究を推進した。こうした一代限りの交雑種の利用は大正に入ると急速に普及し、蚕品種の生産性も格段の進歩をみることとなり、様々な奨励品種も誕生した。資料はパキスタン産繭の標本。製作年代:不明
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繭標本45

資料番号 00094
情報所有館 福島県立博物館
特徴 明治になると、ヨーロッパや中国を原産とする蚕種が入るようになり、これらと日本種を交配し、より品質のよい蚕品種を作り出す試みが行われるようになった。明治38年には外山亀太郎が蚕における雑種強勢(交雑第一世代が親より優れた性質を持つ現象)を発見、政府は原蚕種製造所(後の蚕業試験場)を設立し、この研究を推進した。こうした一代限りの交雑種の利用は大正に入ると急速に普及し、蚕品種の生産性も格段の進歩をみることとなり、様々な奨励品種も誕生した。資料は中国産繭の標本。製作年代:不明
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繭標本46

資料番号 00095
情報所有館 福島県立博物館
特徴 明治になると、ヨーロッパや中国を原産とする蚕種が入るようになり、これらと日本種を交配し、より品質のよい蚕品種を作り出す試みが行われるようになった。明治38年には外山亀太郎が蚕における雑種強勢(交雑第一世代が親より優れた性質を持つ現象)を発見、政府は原蚕種製造所(後の蚕業試験場)を設立し、この研究を推進した。こうした一代限りの交雑種の利用は大正に入ると急速に普及し、蚕品種の生産性も格段の進歩をみることとなり、様々な奨励品種も誕生した。資料はイラン産繭の標本。製作年代:不明
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繭標本47

資料番号 00096
情報所有館 福島県立博物館
特徴 明治になると、ヨーロッパや中国を原産とする蚕種が入るようになり、これらと日本種を交配し、より品質のよい蚕品種を作り出す試みが行われるようになった。明治38年には外山亀太郎が蚕における雑種強勢(交雑第一世代が親より優れた性質を持つ現象)を発見、政府は原蚕種製造所(後の蚕業試験場)を設立し、この研究を推進した。こうした一代限りの交雑種の利用は大正に入ると急速に普及し、蚕品種の生産性も格段の進歩をみることとなり、様々な奨励品種も誕生した。資料は台湾産繭の標本。製作年代:不明
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繭標本48

資料番号 00097
情報所有館 福島県立博物館
特徴 明治になると、ヨーロッパや中国を原産とする蚕種が入るようになり、これらと日本種を交配し、より品質のよい蚕品種を作り出す試みが行われるようになった。明治38年には外山亀太郎が蚕における雑種強勢(交雑第一世代が親より優れた性質を持つ現象)を発見、政府は原蚕種製造所(後の蚕業試験場)を設立し、この研究を推進した。こうした一代限りの交雑種の利用は大正に入ると急速に普及し、蚕品種の生産性も格段の進歩をみることとなり、様々な奨励品種も誕生した。資料は韓国産繭の標本。製作年代:不明
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繭標本49

資料番号 00098
情報所有館 福島県立博物館
特徴 明治になると、ヨーロッパや中国を原産とする蚕種が入るようになり、これらと日本種を交配し、より品質のよい蚕品種を作り出す試みが行われるようになった。明治38年には外山亀太郎が蚕における雑種強勢(交雑第一世代が親より優れた性質を持つ現象)を発見、政府は原蚕種製造所(後の蚕業試験場)を設立し、この研究を推進した。こうした一代限りの交雑種の利用は大正に入ると急速に普及し、蚕品種の生産性も格段の進歩をみることとなり、様々な奨励品種も誕生した。資料はユーゴスラビア産繭の標本。製作年代:不明
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蚕棚の柱

資料番号 00099
情報所有館 福島県立博物館
特徴 蚕棚は、蚕を飼育するために木や竹を組んで作った棚で、当該資料はその柱。各段に蚕籠を差し入れて、その上で蚕を飼育した。養蚕規模の拡大とともに、従来の平飼いではなく、蚕室を効率的かつ立体的に利用するために考案された。製作年代:不明
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催青器

資料番号 00100
情報所有館 福島県立博物館
特徴 炭火や石油ランプの熱を利用して温湿度を調整し、蚕の卵の孵化を促進させる道具。卵は孵化するころになると青みを帯びるため、これを催青ということから、この名がついた。明治18年に農務局蚕病試験場で使われたのが最初といわれ、それまでは気候にまかせて自然に孵化するのを待っていた。しかし、養蚕が大規模化するにつれ、蚕種屋が孵化したものを養蚕農家に配布したり、共同での飼育が行われるようになると、個人が催青を行う必要はなくなり、次第に使われなくなっていった。製作年代:不明
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繭標本入れ

資料番号 00101
情報所有館 福島県立博物館
特徴 明治になると、ヨーロッパや中国を原産とする蚕種が入るようになり、これらと日本種を交配し、より品質のよい蚕品種を作り出す試みが行われるようになった。明治38年には外山亀太郎が蚕における雑種強勢(交雑第一世代が親より優れた性質を持つ現象)を発見、政府は原蚕種製造所(後の蚕業試験場)を設立し、この研究を推進した。こうした一代限りの交雑種の利用は大正に入ると急速に普及し、蚕品種の生産性も格段の進歩をみることとなり、様々な奨励品種も誕生した。製作年代:不明
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上蔟かご(角座)

資料番号 00102
情報所有館 福島県立博物館
特徴 蚕を飼うための蚕籠の一種。地方により、円形、楕円形、長方形など形は様々で、竹製だけでなく藁製のものもある。蚕棚とよばれる棚に差し入れて、その上で蚕を飼う。製作年代:不明
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温度養蚕論

資料番号 00103
情報所有館 福島県立博物館
特徴 著者の田口留兵衛は伊達郡梁川村(現在の伊達市梁川町)に生まれた蚕種製造家。田口家は代々養蚕家として知られており、家法として温暖飼育を行っていた。留兵衛は蚕室を暖めるための炉を設けることで、飼育日数を28日に短縮することに成功。これを温暖育と名づけ、その普及を図った。後に同じ梁川の中村善衛門が蚕当計を考案し、容易に適温を得ることができるようになったことで、温暖育を確実に実践できるようになった。これが当地の養蚕発展に大きく寄与したことから、留兵衛は温度養法元祖と称された。製作年代:明治5年
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福島県の蚕糸業

資料番号 00104
情報所有館 福島県立博物館
特徴 『福島県之蚕糸業』(福島県蚕業取締所、大正元年九月)、 『福島県之蚕糸業』(福島県蚕業取締所、大正二年九月)、『蚕糸業法規』を合本したもの。製作年代:大正~明治時代
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奥州流養蚕早見双六

資料番号 00105
情報所有館 福島県立博物館
特徴 養蚕における一連の過程をすごろくにして表したもの。作者の中井閑民は伊達郡梁川村(現在の伊達市梁川町)の人物で、梁川養蚕の祖とも呼ばれ、『養蚕精義』のような技術書も著した。字の読めない農民にも判りやすいよう、挿絵の多いすごろくを考案したといわれる。製作年代:不明
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蛾輪

資料番号 00106
情報所有館 福島県立博物館
特徴 雌蛾に卵を産み付けさせる紙を種紙という、この時、複数の蛾の混入を防ぐために産卵範囲を制限する目的で使用する道具。 普通1枚の種紙には28の枠が用意されており、1つ1つの枠に合うように蛾輪を置く。 そこに交尾した雌の蛾を入れて産卵させた。 製作年代:不明
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繭標本50

資料番号 00107
情報所有館 福島県立博物館
特徴 明治になると、ヨーロッパや中国を原産とする蚕種が入るようになり、これらと日本種を交配し、より品質のよい蚕品種を作り出す試みが行われるようになった。明治38年には外山亀太郎が蚕における雑種強勢(交雑第一世代が親より優れた性質を持つ現象)を発見、政府は原蚕種製造所(後の蚕業試験場)を設立し、この研究を推進した。こうした一代限りの交雑種の利用は大正に入ると急速に普及し、蚕品種の生産性も格段の進歩をみることとなり、様々な奨励品種も誕生した。製作年代:不明
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蚕当計

資料番号 00108
情報所有館 福島県立博物館
特徴 蚕を飼育する蚕室の温度管理に使われた道具。現在の福島県伊達市の養蚕農家、中村善右衛門が体温計に着想を得て嘉永2年(1894)に考案したとされる。従来は農家の勘に頼ってきた温度管理を改め、科学的な養蚕を可能にした。製作年代:不明
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催青枠

資料番号 00109
情報所有館 福島県立博物館
特徴 催青とは、蚕の卵を人工的に孵すこと。催青枠は蚕の卵が産みつけられた種紙を並べて孵化させるための枠。製作年代:不明
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元治元年蚕種相場書

資料番号 00110
情報所有館 福島県立博物館
特徴 元治元年(1864)の蚕種の相場表。製作年代:元治元年(1864)
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蚕種紙製造者人印

資料番号 00111
情報所有館 福島県立博物館
特徴 蚕種紙とは、蚕の卵が産みつけられた紙のことで、蚕種製造業者によって製造された。幕末にはヨーロッパで蚕の伝染病が蔓延したこともあり、盛んに輸出されるようになった。しかし、ケシの種などを貼り付けて販売するような悪徳業者も現れたため、これを取り締まり品質維持に努めるために、明治5年には蚕種原紙規則が制定されて免許制となった。この折、福島県福島市にも売捌所が設立されている。蚕種紙には製造業者の商標や蚕品種名、馬や養蚕神の像が描かれることが多い。資料はそうした製造業者の印の一つ。
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