26,828 件中 9161-9180件を表示
資料画像

引き札4

資料番号 00040
情報所有館 雪印メグミルク酪農と乳の歴史館
特徴 大正2年(1913年)頃の福島県東白川郡塙町「愛生舎 永山牛乳店」の引き札。
資料画像

引き札5

資料番号 00041
情報所有館 雪印メグミルク酪農と乳の歴史館
特徴 明治31年(1898年)頃の飯坂牛乳合資会社の引き札。
資料画像

引き札6

資料番号 00042
情報所有館 雪印メグミルク酪農と乳の歴史館
特徴 明治40年(1907年)頃の飯坂牛乳合資会社の引き札。
資料画像

引き札7

資料番号 00043
情報所有館 雪印メグミルク酪農と乳の歴史館
特徴 明治40年(1907年)頃の「八幡宮内 長生堂」の引き札。馬上は乃木大将の英姿。
資料画像

海底地球儀

資料番号 00001
情報所有館 赤穂市立海洋科学館・塩の国
特徴 直径1.8mの海底地球儀。山脈や海嶺、海溝を表現し、世界の地勢を立体的に表しています。また、自転によって各国のリアルタイムを伝えています。(1987年制作)
資料画像

塩のおもしろ科学館

資料番号 00002
情報所有館 赤穂市立海洋科学館・塩の国
特徴 「塩の用途」「体の中の塩の働き」「塩の正体」「塩の道」「製塩の歴史」「現在の製塩」「世界の塩資源」「岩塩標本21点」「巨大岩塩(直径90cm、高さ101cm、重さ1.42トン)」を展示解説しています。(1987年制作)
資料画像

塩づくり体験館

資料番号 00003
情報所有館 赤穂市立海洋科学館・塩の国
特徴 塩の国に復元されている流下式塩田で採れたかん水(濃い海水)で自然塩の塩づくり体験ができる。所要時間約30分。(1987年設置)
資料画像

揚浜式塩田

資料番号 00004
情報所有館 赤穂市立海洋科学館・塩の国
特徴 日本海沿岸や太平洋沿岸の干満の差の小さいところで行われた形態で、天然の砂浜を塩田としてかん水(濃い塩水)を得る方法です。 この方法では、海水を汲み上げて塩浜にまくのに厳しい肉体労働が必要でしたが、古代以降に各地で行われていました。 塩の国で復元している揚浜は、自然揚浜に土留めの堤防を作った汲塩浜といわれるさらに進歩したもので、海水干満の時間に影響を受けないで操業ができる揚浜系塩田です。この方法は日本海沿岸で明治末期まで残っていました。(1987年復元設置)
資料画像

入浜式塩田

資料番号 00005
情報所有館 赤穂市立海洋科学館・塩の国
特徴 入浜式塩田は、揚浜式塩田を発展させたもので、江戸時代になって瀬戸内海沿岸を中心に大きく発展した。塩田は、デルタや入江に大規模な防潮堤を築いてその内側につくり、地盤面を干満差の中間位にして、そのまわりに溝(浜溝)をつくり、この溝に満潮時の海水を導入しておきます。溝の海水は、毛管現象によって砂(散砂)に上昇し、太陽熱と風力によって水分を蒸発させ、さらに何回かのひきかえす作業によってさらに蒸発させます。できたかん砂を塩田30坪(10m四方)に1台の割合で設置された沼井に入れ、浜溝から海水を汲み入れて塩分を溶出させ、かん水をつくります。このかん水を煮つめて結晶塩をつくります。(1987年復元設置)
資料画像

流下式塩田

資料番号 00006
情報所有館 赤穂市立海洋科学館・塩の国
特徴 流下式塩田は、粘土を張った流下盤と枝条架と呼ばれる竹の小枝(孟宗竹)で編んだ立体濃縮装置とが併用されたもので、昭和27年頃から採用されました。海から取水した海水を流下盤に流し、太陽熱によって水分を蒸発させます。さらにこの海水を枝条架の最上段の戸井から流し、風力(乾燥空気)により水分を蒸発させ濃縮海水をつくり、せんごう工場へ送ります。この方法は、入浜式塩田にくらべて生産能力が高く労力も少なくてすみ、しかも年間を通して平均的に塩を生産することが可能になり、農業的な製塩法が工場的な製塩法に変わったもので、この工場的な製塩法は、さらにイオン製塩法に発展しました。(1987年復元設置)
資料画像

釜屋

資料番号 00007
情報所有館 赤穂市立海洋科学館・塩の国
特徴 塩づくりは、かん水槽とつながっている「内あな」から、かん水を「刎ね釣瓶」で桶に汲みあげて、余熱を利用した「湯め鍋」に移してから釜に入れ、沸騰させることで結晶塩ができます。結晶塩を居出し場に移して苦汁を垂れさせ、塩が作られていました。現在は釜屋内にある鍋(2.4m×3m)に、流下式塩田(枝条架)で作られたかん水を入れて煮詰め、結晶塩をつくり、居出し場に移し余分な苦汁を抜いて塩(粗塩)をつくります。ここで作った塩は、入館記念として来館者に配付しております。また。毎週日曜日の午後1時30分頃には、釜焚きの実演をしています。(1987年復元設置)
資料画像

白沢像

資料番号 00001
情報所有館 内藤記念くすり博物館
特徴 中国の想像上の神獣。6本の角と9つの眼を持ち、 人語を解するという。麒麟(きりん)や鳳凰(ほうおう)と同様、徳のある治政者の時に出現し、病魔を防ぐ力があると信じられていた。こうしたことから、白沢の絵を持っていれば道中の災難や病気をまぬがれると、江戸時代の旅には欠かせない "お守り”となっていた。コレラ流行の時なども白沢の絵が売りに出され、人々はこれを身につけたという。 (江戸後期製作) 48×115cm
資料画像

経絡人形

資料番号 00002
情報所有館 内藤記念くすり博物館
特徴 中国医学は薬物療法と針灸医学の2本立てである。 「経絡」 という一種の循環路をエネルギーが流れているという考え方があり、その流れの滞ったところを 「経穴(ツボ)」 として、その点を刺激する一種の物理療法である。これはその経路が描かれた人形である。(江戸時代製作) 50cm
資料画像

伝シーボルトの薬箱

資料番号 00003
情報所有館 内藤記念くすり博物館
特徴 文政6年(1823)に、長崎のオランダ商館付医師として来日したドイツ人・シーボルトの持ち物といわれる薬箱である。残念ながら薬品はないが、外科道具が残されている。(江戸時代製作)
資料画像

人車製薬機

資料番号 00004
情報所有館 内藤記念くすり博物館
特徴 これは江戸時代に考案されたもので、大きな輪の中に人が2人入って足踏みをし輪を廻すと、歯車が連動し、石臼が廻り、薬草を粉にする仕組みの装置である。この装置は、大坂・江戸・京都・梅ノ木(滋賀県・栗東町) の薬屋にあり、評判であった。これは、その等倍のレプリカである。 ( 昭和時代製作)
資料画像

聴診器 トラウベ氏式

資料番号 00005
情報所有館 内藤記念くすり博物館
特徴 1819年フランスのラエンネックが紙を筒状に丸めて糸で縛り、膠(にかわ)で固めた聴診器を作った。これは片耳で聴くタイプのもので、後に木製のものが作られるようになった。(製作年不詳)  17cm
資料画像

体温計/木ケース入り

資料番号 00006
情報所有館 内藤記念くすり博物館
特徴 体温計は17世紀に開発されたとされるが、普及したのは19世紀にドイツのウンデルリッヒが病気の診断に体温測定が役立つことを発見してからである。この体温計は、普通は42℃まである目盛が44℃までつけられている。23×1.5cm
資料画像

神農像

資料番号 00007
情報所有館 内藤記念くすり博物館
特徴 古代中国の伝説上の帝王・神農が、草木をなめ、その効能を調べ、教えたという故事から、中国では、医薬の神様としてまつられている。わが国でも、古くからの医家ら薬屋を訪ねると、神農像がまつられているのを見ることができる。 (昭和時代製作) 35cm
資料画像

蒸気風呂

資料番号 00008
情報所有館 内藤記念くすり博物館
特徴 この風呂は蘭方医・江馬蘭斉が考案したもので、大きな樽を2つ重ね、下の桶で湯を沸かすとその蒸気が樽の中にこもる仕組みとなっている。梅毒、リウマチ、神経痛などの治療に用いたという。この風呂は、薬草風呂屋で実際に使われていたもので、蘭斉の時代から数えて3台目のものといわれている。(昭和時代製作) 249×76cm
資料画像

「精錡水」/岸田吟香

資料番号 00009
情報所有館 内藤記念くすり博物館
特徴 日本最初の液体目薬である。コルク栓のはまったガラス瓶には「精錡水」の文字が浮き彫りになっていて、このタイプはラベルが貼られる以前の古い形である。(明治時代製作)  7cm
26,828 件中 9161-9180件を表示