カラーリバーサルフィルム フジクロームASTIA100(アスティア) 略称RAP
| 資料番号 | 00067 |
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| 情報所有館 | フジフイルム スクエア 写真歴史博物館 |
| 特徴 | フジクロームVelvia,PROVIAに比べて色相は標準的な彩度で、滑らかなで豊かな階調が特長。究極の肌色再現性を目指し、女性ポートレートには最適である。また、軟調な階調再現を活かした、しっとりした自然風景の撮影にも愛用された。2003年にはフジクロームASTIA100Fにモデルチェンジした。年代1997年 |
| 資料番号 | 00067 |
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| 情報所有館 | フジフイルム スクエア 写真歴史博物館 |
| 特徴 | フジクロームVelvia,PROVIAに比べて色相は標準的な彩度で、滑らかなで豊かな階調が特長。究極の肌色再現性を目指し、女性ポートレートには最適である。また、軟調な階調再現を活かした、しっとりした自然風景の撮影にも愛用された。2003年にはフジクロームASTIA100Fにモデルチェンジした。年代1997年 |
| 資料番号 | 00068 |
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| 情報所有館 | フジフイルム スクエア 写真歴史博物館 |
| 特徴 | 遮光性のある封筒状の紙パック内に封入した4×5インチのフィルムを専用のホルダーに装てんして撮影するシステム。従来の暗室内でシートフィルムホルダーにフィルム装てんする必要が無く、日中でフィルム装てんし撮影が可能となる。撮影後はそのまま、現像所に現像を依頼することができる。1992年にフジクロームVelviaを発売し、以後PROVIA,ASTIA,プロネガNS160等シリーズを拡充した。専用ホルダー一つで何枚も撮影ができ、しかも日中装てんが可能な便利性で風景写真家から圧倒的な評価を得た。年代1992年 |
| 資料番号 | 00069 |
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| 情報所有館 | フジフイルム スクエア 写真歴史博物館 |
| 特徴 | 英国、J・リザーズ社製のポータブル木製乾板写真用カメラ。艶出しされたマホガニー材の本体からベローズ(蛇腹)を引っ張り出す形式で、ラック&ピニオンのフォーカシング機構。カメラフロントはライズ・シフトのアオリが可能で、空気作用によるボシュロム製のシャッターにF7.7のレンズが装着されている。年代1895年頃 |
| 資料番号 | 00070 |
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| 情報所有館 | フジフイルム スクエア 写真歴史博物館 |
| 特徴 | 英国、サンダーソン・カメラワークス製のポータブル木製乾板写真用カメラ。本体からベローズ(蛇腹)を引っ張り出す形式で、ラック&ピニオンのフォーカシング機構。カメラフロントはティルト、ライズ、シフトのアオリが可能で、独のC・P・GOERZ社のシャッターが装着されている。蓋部にはファインダーが装備され目測での距離合わせも可能。年代1909年頃 |
| 資料番号 | 00071 |
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| 情報所有館 | フジフイルム スクエア 写真歴史博物館 |
| 特徴 | 英国、ロンドン・ステレオ スコーピック社製の木製ロールフィルムカメラ。精密機械と言うより、工芸品の様に美しい形のカメラである。100年以上の前のカメラだが、120ロールフィルムを使用する6×9センチ判のカメラで、現在も撮影が可能である。KOILOS社の空気作用によるシャッターは最高速1/300秒。Zeissの110ミリ、F8レンズが装着されている。年代1907年 |
| 資料番号 | 00072 |
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| 情報所有館 | フジフイルム スクエア 写真歴史博物館 |
| 特徴 | 独、シュタインネック・カメラワークス社製の腕時計カメラ。レンズはf=12.5ミリ、F2.5が装着されて、5.5ミリ径の丸い写真が8コマ撮影できる、当時の珍しいスパイカメラである。年代1949年 |
| 資料番号 | 00073 |
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| 情報所有館 | フジフイルム スクエア 写真歴史博物館 |
| 特徴 | 仏、セカム社製の万年筆型カメラ。万年筆型のクリップがついているので、胸のポケットに納めて持ち歩ける。専用のカートリッジに16ミリフィルムを使用して、10×10ミリの画面を18枚撮影することが可能。ファインダー部分にあたる金属板を操作することで、フィルム送りとシャッターチャージを行う。レンズはF6.3、シャッター速度は約1/30秒の単速。年代1955年 |
| 資料番号 | 00074 |
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| 情報所有館 | フジフイルム スクエア 写真歴史博物館 |
| 特徴 | 写真鏡は写真が発明される以前に、写った画像をトレースし、絵を描く道具として活用された光学機器である。カメラ・オブスキュラ(写真鏡)はラテン語で「暗い部屋」の意味で、現在の写真機(カメラ)の語源となっている。本写真鏡は日本最古のものと推察され、本体外装は赤褐色の漆を塗った一閑張りで、雲龍模様が描かれている。大きさは縦40×横26×高さ21.5センチの長方形の箱とレンズの部分で構成されている。レンズを通った像は箱の後半分に45度の傾斜で装着された鏡に反射して、上部の焦点面に像を結び、その焦点面に薄い紙を置いてトレースできる構造である。年代 江戸時代後期 |
| 資料番号 | 00075 |
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| 情報所有館 | フジフイルム スクエア 写真歴史博物館 |
| 特徴 | 「横浜写真」とは外国人の土産用として幕末から明治20年代頃までに、主に横浜で販売されていた彩色写真帳である。写真帳には日光、鎌倉、富士山、京都等の名所、風景や芸者、人力車等の日本独特の風俗が一冊約50枚程度の写真が台紙に貼られている。横浜以外にも開港された長崎や神戸でも販売されていたが、当時、最も大きな港である横浜に多くの写真店、写真館が存在していたため、外国人は横浜で購入する写真を「横浜写真」と呼んでいた。現在では約150年前の日本の風景、風俗が観賞することができ、写真の持つ記録性、保存性の価値が評価されている。年代 幕末から明治20年代 |
| 資料番号 | 00076 |
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| 情報所有館 | フジフイルム スクエア 写真歴史博物館 |
| 特徴 | スライドフィルム(ガラス乾板)を暗くした室内で大きく投影する光学機器。多くの人々に一度に同じ画像を見せることができる特性は、映画を始めとする後の映像文化に発展して行くことになる。構造的にはスライドフィルム(ガラス乾板)を投影レンズによって拡大映写する装置で、光源にはろうそくや灯油が使用された。その為、熱を逃がす通風口(煙突)が上部に設けられている。本品は英国のカルティン・ランターンで本体は艶出しされたマホガニー材。鋼板のはまった二つの側面にガラス窓の付いた扉が付いている。年代1880年頃 |
| 資料番号 | 00077 |
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| 情報所有館 | フジフイルム スクエア 写真歴史博物館 |
| 特徴 | 1833年に英国のウィリアム・ジョージ・ホーナーが発明した動く絵の玩具で、世界中に広がり大流行した。円筒に縦のスリットを設け、円筒内に動きが連続した静止画を貼り付ける。円筒を回転させるとスリットから見る静止画は人間の眼の残像現象で、動画として見ることができる。円筒を大きくすれば、動画の数を増やすことができ、後に発明される映画の基礎となった。年代1840年頃 |
| 資料番号 | 00078 |
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| 情報所有館 | フジフイルム スクエア 写真歴史博物館 |
| 特徴 | カードを重ねて閉じた本を親指ではじくと、中に描かれたアニメーションが動きだすフリップ・ブックと呼ばれる、いわゆるパラパラ漫画は、幼い頃に誰でも体験したことであろう。この原理をもう少し装置化し、営業用娯楽機として「キノーラ」と呼んで販売した。動きが連続した100枚程度の静止画カードの端面を円柱に貼り付ける。クランクで円柱を回転させると静止画カードが連続した動きに見える。この装置も後の映画へと発展することになる。年代1900年頃迄 |
| 資料番号 | 00079 |
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| 情報所有館 | フジフイルム スクエア 写真歴史博物館 |
| 特徴 | ステレオ・スコープの原理は、初期の写真術であるダゲレオタイプやカロタイプを使って実験が繰り返されたが、思うような立体感を得るには至らなかった。1849年、スコットランドのダニエル・ブリュースターによって発明された「ステレオ・スコープ」は湿板写真以降、ようやく「立体」に見合う写真を見ることができた。1860年代には世界各地の風景や建物を撮影したステレオ写真が販売され、爆発的なブームを呼んだ。本ステレオ・テーブル・ビュアーはクルミ材の台付きビュアーで高さが51センチ。ビュアー内部には50枚のステレオグラムが収納され、取っ手の回転によって連続してステレオ写真を観賞することができる。年代1865年 |
| 資料番号 | 00080 |
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| 情報所有館 | フジフイルム スクエア 写真歴史博物館 |
| 特徴 | 英国はマンチェスターのW・I・チャドウィツク社製のステレオカメラで、本体は艶出しされたマホガニー材。携帯性を考慮して、折り畳みができる持ち運びに便利な構造である。感光板のサイズは10.8×16.5センチで、J・H・ダルメイヤによって発明された風景写真用レンズはロータリー式の絞りが付いている。年代1885年 |
| 資料番号 | 00001 |
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| 情報所有館 | ニッスイパイオニア館 |
| 特徴 | 1910年、国司浩助は当時最も進歩したトロール船建造のため渡英した。1911年、ニッスイ(田村汽船漁業部)は英国で建造し日本に回航した新式のトロール船湊丸で事業を開始した。(契約書作成年1910年) |
| 資料番号 | 00002 |
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| 情報所有館 | ニッスイパイオニア館 |
| 特徴 | ニッスイ(共同漁業株式会社)のグループ企業である戸畑冷蔵で食品の冷凍技術の開発を進め、1930年にイチゴの冷凍方法の特許を取得し、現在の冷凍食品の端緒となった。 |
| 資料番号 | 00003 |
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| 情報所有館 | ニッスイパイオニア館 |
| 特徴 | 1921年、民間トロール船として日本で初めて、ニッスイ(共同漁業株式会社)の宇品丸、武蔵丸に無線電信装置が装備された。主・副装置ともに1,364 キロサイクルと500 キロサイクルの2種類の電波を発信することができ、火花式でかつ空中線電力は0.3キロワットだった。その後、数年を経ずしてトロール船全船に無線電信装置を装備した。 |
| 資料番号 | 00004 |
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| 情報所有館 | ニッスイパイオニア館 |
| 特徴 | 1933年、ニッスイ(共同漁業株式会社)は戸畑に無線基地局を開設した。出漁中に絶えず連絡を取り合えるため、海陸間の気象・海象などの情報交信により海難の予防に役立つとともに、沖からは漁獲状況、基地からは各地の魚価を交信して、生産と価格との調整ができるようになった。無線の活用により漁業の合理的経営が著しく進展した。 |
| 資料番号 | 00005 |
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| 情報所有館 | ニッスイパイオニア館 |
| 特徴 | 1927年、ニッスイ(共同漁業株式会社)は民間初のディーゼルトロール船釧路丸を建造した。 |
| 資料番号 | 00006 |
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| 情報所有館 | ニッスイパイオニア館 |
| 特徴 | 1930年、ニッスイ(共同漁業株式会社)は船内急速冷凍装置を開発し、八代丸ならびに5隻のディーゼルトロール船に設置した。これにより漁獲物の鮮度保持が画期的に高まり、商品として規格化が可能となり、市場へ計画的な供給が可能となった。 |