乗客案内 『郵船図会』
| 資料番号 | 00005 |
|---|---|
| 情報所有館 | 日本郵船歴史博物館 |
| 特徴 | 1901年東陽堂発行の「風俗画報」239号臨時増刊。日本郵船の貨客船、春日丸と加賀丸に記者が乗船し、船内の様子や当時まだあまり知られていなかった西洋式の習慣やマナーを、カラーイラストを交え日本人向けに紹介している。船室の内装から乗客の服装にいたるまで、明治中期の船旅の様子を窺い知ることができる貴重な書である。 年代:1901年 |
| 資料番号 | 00005 |
|---|---|
| 情報所有館 | 日本郵船歴史博物館 |
| 特徴 | 1901年東陽堂発行の「風俗画報」239号臨時増刊。日本郵船の貨客船、春日丸と加賀丸に記者が乗船し、船内の様子や当時まだあまり知られていなかった西洋式の習慣やマナーを、カラーイラストを交え日本人向けに紹介している。船室の内装から乗客の服装にいたるまで、明治中期の船旅の様子を窺い知ることができる貴重な書である。 年代:1901年 |
| 資料番号 | 00006 |
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| 情報所有館 | 日本郵船歴史博物館 |
| 特徴 | 天洋丸は、東洋汽船のサンフランシスコ航路用に1909年4月22日竣工し、1926年に第二東洋汽船へ移籍、同年、同社と日本郵船の合併により継承された、わが国初の1万トン超(総トン数13,402)の大型船。タイムベルは通常30分ごとに鳴らして時刻を知らせ、4時間後には8つ鳴らしこれを8点鐘と呼び、船員の当直の交代を知らせる時や非常時に使われた。 年代:1909年 |
| 資料番号 | 00007 |
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| 情報所有館 | 日本郵船歴史博物館 |
| 特徴 | 旭日と富士山を背に画面外に飛び出すよう走るのは、欧州航路強化のため建造された8,500トン級の賀茂丸である。画面右上に、2週1回の運航予定、下部には、ロンドン街のシルエットをバックに寄港地と船会社、日本郵船ロンドン支店の住所が書かれている。簡潔に画面配置された文字とモチーフから想起される欧州航路イメージは、瞬間的に人目を惹き内容がすぐさま把握できるポスターの機能を十分に備え、日本海運の発展の喧伝に申し分ない、イギリスの荷主と旅客に向けた大型の英語版ポスター。 リトグラフ サイズ:152.3cm×102cm 年代:1908年頃 |
| 資料番号 | 00008 |
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| 情報所有館 | 日本郵船歴史博物館 |
| 特徴 | 浅野総一郎により1896年6月2日に創立された東洋汽船は、1898年12月15日サンフランシスコ航路を開設する。この英語版ポスターは、東洋汽船の社旗である富士を逆さにした扇型を髣髴させる画面であり、鉛筆での下書きのうえ彩色されるが塗り残しも多く未完成であることが伺える。黄色に着彩されたファンネル、船体が一部白に塗られていることから画面中央に航行するのは日本丸。画面右側に日本丸・香港丸・亜米利加丸の三姉妹船が見立てとして描かれ、それぞれ手には東洋汽船の社旗も持っている。サンフランシスコ航路開設にかける東洋汽船の意気込みが感じられるポスターである。年代:1897~1898年頃 |
| 資料番号 | 00009 |
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| 情報所有館 | 日本郵船歴史博物館 |
| 特徴 | 日本郵船と紡績業者の連合団体である大日本紡績連合が、インドから輸入する綿花運送について1905(明治38)年1月25日に締結した契約書。日露戦争に伴い、日本郵船はほとんどの社船を政府に徴用され、船腹不足のため孟買(ボンベイ)航路を一時休止せざるを得ない状態であった。このため綿花の安定輸送を目的とし、海運同盟間にあったイギリスP&O汽船、オーストリア・ロイド社、イタリア航運会社三社の船を利用すること、綿花の輸送量が多い場合、外国船社に交渉し傭船をできる旨などが記されている。 年代:1905年 |
| 資料番号 | 00010 |
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| 情報所有館 | 日本郵船歴史博物館 |
| 特徴 | 氷川丸で使用されていた六分儀。2つの物標の角度や天体の角度などを測る光学機器。全円を六分割した円弧の枠をもっているのでこの名が付いている。 製造:株式会社玉屋商店 年代:1946年 |
| 資料番号 | 00001 |
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| 情報所有館 | 樫尾俊雄発明記念館 |
| 特徴 | 世界初の純電気式小型計算機です。341個のリレー素子を用いて計算をおこないました。今日の電卓と同じ10キー式を採用。 発売時の価格は485、000円でした。年代:1957年 *樫尾俊雄発明記念館の見学は要予約。 |
| 資料番号 | 00002 |
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| 情報所有館 | 樫尾俊雄発明記念館 |
| 特徴 | リレー(継電器)式で最初のプログラム機能付き計算機です。6ビット58ステップの命令を6枚の歯車(歯数60、入れ替え可能)であらかじめプログラムしておくことが可能でした。歯車の歯の有無で0又は1の判断をさせてプログラムを組む仕様で、官庁・大学の研究室に多く採用されました。年代:1962年 |
| 資料番号 | 00003 |
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| 情報所有館 | 樫尾俊雄発明記念館 |
| 特徴 | リレー計算機でわが国の計算機市場を牽引していた当社が最初に発売した電卓です。電卓では初となるメモリー機能を装備していました。年代:1965年 |
| 資料番号 | 00004 |
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| 情報所有館 | 樫尾俊雄発明記念館 |
| 特徴 | 初めてソフトウェア方式によるプログラム機能を備えた電卓です。演算・記憶素子にはトランジスタと磁気コアを使用。プログラムは30ステップ。置数以外の12個のキーにそれぞれ数字をプログラム命令として対応させているほか、2ステップの命令を加え、計14種類の命令を使って計算手順を覚えさせることができました。年代:1967年 |
| 資料番号 | 00005 |
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| 情報所有館 | 樫尾俊雄発明記念館 |
| 特徴 | 大画面ドット表示で任意の関数グラフや統計グラフを表示することが可能なプログラム関数電卓。米国では、数学教育界で学生の数学能力を高めるために、関数電卓を学校に採用する制度を制定するきっかけとなった製品です。年代:1985年 |
| 資料番号 | 00006 |
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| 情報所有館 | 樫尾俊雄発明記念館 |
| 特徴 | 厚さわずか0.8mmという薄型化技術の結晶といえるカード電卓です。1チップLSI、液晶、ソーラーバッテリーなどをすべてフィルム化することで、薄型化を実現。その革新性とスタイリッシュなフォルムから、米国のニューヨーク近代美術館に永久保管されています。年代:1983年 |
| 資料番号 | 00001 |
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| 情報所有館 | 門司電気通信レトロ館 |
| 特徴 | 1896年(明治29年)から、これまでのガワーベル電話機に変わり、より高感度のデルビル送話機を用いた電話機で、1965年(昭和40年)ごろまで使用された。製造年:1905年。製造会社等:NIPPON ERECTRIC CO,LTD TOKYO JAPPN。 |
| 資料番号 | 00002 |
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| 情報所有館 | 門司電気通信レトロ館 |
| 特徴 | 機能等はデルビル磁石式壁掛電話機(大)と同様。製造年:1954年。製造会社等:熊本電気通信工作工場。 |
| 資料番号 | 00003 |
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| 情報所有館 | 門司電気通信レトロ館 |
| 特徴 | 1897年(明治30年)初めての卓上電話機(机の上などに置ける)として登場。甲号の特徴は、日本で最初に「送受話」(話すところと聞くところ)が一体となり、実用価値が増した。同時に装飾品としてのデザイン面にも配慮がされている。製造年:1952年。製造会社等:九州電気通信資材部工作工場。 |
| 資料番号 | 00004 |
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| 情報所有館 | 門司電気通信レトロ館 |
| 特徴 | 1897年(明治30年)甲号と同時に登場。送受話器が別になっているだけで、他の部品は甲号と同様。製造年:不明。製造会社等:熊本電気通信工作工場。 |
| 資料番号 | 00005 |
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| 情報所有館 | 門司電気通信レトロ館 |
| 特徴 | 1899年(明治32年)2月、東京ー大阪間の長距離電話回線の完成により、長距離通話用として ソリッドバック電話機が採用された。当時、長距離通話の利用者は、年額6円の付加使用料を支払い長距離通話加入者(お客様)となることが必要であった。製造年:不明。製造会社等:不明。 |
| 資料番号 | 00006 |
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| 情報所有館 | 門司電気通信レトロ館 |
| 特徴 | 同上。展示品製造年:不明。製造会社等:不明。 |
| 資料番号 | 00007 |
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| 情報所有館 | 門司電気通信レトロ館 |
| 特徴 | 1903年(明治36年)京都の共電式交換機導入に伴い採用された。腕金の先端に送話器をつけた格好が“ガチョウの首”に似ていることから“グースネック”と呼ばれた。展示品製造年:1906年。製造会社等:NIPPON ERECTRIC CO,LTD TOKYO JAPPN。 |
| 資料番号 | 00008 |
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| 情報所有館 | 門司電気通信レトロ館 |
| 特徴 | 1907年(明治40年)に登場。主に構内交換機(PBX)の内線用(構内の中での電話機どおしの通話)として普及した。製造年:不明。製造会社等:不明。 |