志野香合
| 資料番号 | 00036 |
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| 情報所有館 | 那覇市立壺屋焼物博物館 |
| 特徴 | 香合は香を一時的に貯えておくための器で、陶磁器製のものは練香を入れて用いる。身の底部を除いて白色の長石釉が掛けられている。ふたの表面には褐色の釉薬で12方に放射状に線模様が絵付けされている。一部はあわせめの目印とするためか、身の部分にもつながっている。底部に「日」と銘が入っている。箱のふた表面に「志野香合 日出武」と墨書されている。【安藤日出武作】 |
| 資料番号 | 00036 |
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| 情報所有館 | 那覇市立壺屋焼物博物館 |
| 特徴 | 香合は香を一時的に貯えておくための器で、陶磁器製のものは練香を入れて用いる。身の底部を除いて白色の長石釉が掛けられている。ふたの表面には褐色の釉薬で12方に放射状に線模様が絵付けされている。一部はあわせめの目印とするためか、身の部分にもつながっている。底部に「日」と銘が入っている。箱のふた表面に「志野香合 日出武」と墨書されている。【安藤日出武作】 |
| 資料番号 | 00037 |
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| 情報所有館 | 那覇市立壺屋焼物博物館 |
| 特徴 | 口縁が外側に反った平茶碗である。器の外面には口縁から胴部にかけて刷毛で白色粘土がぬられている。高台内には「彌弌」の刻印が押されている。「彌」の字を除く器全体に乳白色の釉薬が掛けられている。内面には淡紅色の斑紋がみられる。箱のふた表面に「刷毛目茶盌 彌弌作」と墨書されている。楠部彌弌(1897~1984)は京都市生まれの陶芸家。1946年の日展発足に関わり、以降、同展を中心に活動を展開した。【楠部彌弌作】 |
| 資料番号 | 00038 |
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| 情報所有館 | 那覇市立壺屋焼物博物館 |
| 特徴 | 香をたくのに使う器である。磁器の白い素地に呉須と呼ばれる青い顔料で下絵付けする染付の技法で文様が表現されている。作品正面には梅文が、その背面には竹文が描かれている。底部には「悠」と銘が記されている。付属品として銀製の火屋が付いている。火屋には透かし彫りにより松の文様が施されており、香炉の梅・竹とあわせて「松竹梅」のモチーフが表現されている。箱のふた表面に「梅染付香爐 悠」と墨書されている。近藤悠三(1902~1985)は京都市清水生まれの陶芸家。1977年に国指定重要無形文化財「染付」の保持者(人間国宝)に認定されている。【近藤悠三作】 |
| 資料番号 | 00039 |
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| 情報所有館 | 那覇市立壺屋焼物博物館 |
| 特徴 | 口縁がつば状の皿である。器の内面には白濁色の釉薬をかけ、模様にする部分にロウを置いて、その上から鉄砂釉を掛けている。蝋抜絵により山と托鉢の巡礼者の図柄が表現されている。この図柄は作者が陶器の文様としてよく用いたものである。縁は無釉。外面には褐色の釉を掛け、その上から鉄砂釉を掛けている。高台内には白濁色の釉薬が施されており、また「BL」の文字が褐色の釉で記されている。「BL」は作者バーナード・リーチのイニシャル。バーナード・リーチはイギリスの陶芸家。富本憲吉、柳宗悦、濱田庄司らと親交を深め、沖縄・壺屋では濱田庄司とともに何度か滞在し、陶芸制作を行った。【バーナード・リーチ作/1950年】 |
| 資料番号 | 00040 |
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| 情報所有館 | 那覇市立壺屋焼物博物館 |
| 特徴 | 香を一時的に貯えておくための器。ふたの表面は中心から3方向にかけて液状の白色粘土が刷毛で波状にぬられている。ふた、身ともに全体に釉薬が掛けられている。ふたの表面と身の内側と外面胴部は黄土色に発色しており、ふたの裏面と身の腰部および底部は灰濁色に発色している。箱のふた裏面に「19BL53」と墨書されている。「BL」は作者バーナード・リーチ(1887~1979)のイニシャルである。【バーナード・リーチ作/1953年】 |
| 資料番号 | 00001 |
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| 情報所有館 | 生物系特定産業技術研究支援センター 農業機械化研究所資料館 |
| 特徴 | 牛馬の歩行を回転動力に変換する装置。岡山県邑久郡豊村の奥山鹿吉による1902(明治35)年の発明。太い木製主軸を垂直に立て、これを中心に上部に16~24本の腕木を傘型に張り出し、その先端をY字型とし、これに動力伝達用のロープをかける。傘の直径は3m内外で、大型では6mに及ぶ。主軸のやや下方に、長さ1.5~2.1mの曳木をつけ、これを牛馬にひかせて回行させ、傘からのロープで脱穀機や籾摺機を運転する。明治末期から普及し、1921(大正10)年には岡山県下だけでも12,000台の普及をみた。年代:1902年 |
| 資料番号 | 00002 |
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| 情報所有館 | 生物系特定産業技術研究支援センター 農業機械化研究所資料館 |
| 特徴 | 熱効率の高い輸入発動機。農林省農産課が、国産石油発動機改良上の参考品として1928(昭和3)年ころパリのシトロエン工場から購入。本機は特殊なリンク機構によって、吸込・圧縮・爆発・排気のピストン行程長が異なる差動を行なう珍しい発動機で、熱効率を試算すると約35%となり、当時の揮発油発動機としては記録破りの値。回転数1,300rpm、正味馬力4.0(3kW)、燃料消費量(毎時毎馬力)173gとされている。年代:1928年 |
| 資料番号 | 00003 |
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| 情報所有館 | 生物系特定産業技術研究支援センター 農業機械化研究所資料館 |
| 特徴 | 利用末期の日本式改良型畜力用犁。1920(大正9)年ころ、農林省農事試験場技師が考案改良した。農業の基本である大地の掘り起こしに畜力を用いる起源については諸説多いが、我が国でも2000年に近い。農林省農産課は赤羽飛行機製作工場に委託して100台製作し、全国各府県に2台ずつ送った。この犁に模して製作された犁も用いられた。年代:1920年 |
| 資料番号 | 00004 |
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| 情報所有館 | 生物系特定産業技術研究支援センター 農業機械化研究所資料館 |
| 特徴 | 国産初期の歩行動力耕耘機。1952~53(昭和27~28)年ころの久保田鉄工所(現:クボタ)製。発動機はクボタ式 CHC型5~6馬力(3.75~4.5kW)、回転数1,000~1,200rpm。試験用のために、ハンドルの下に力量測定装置が付いている。輸入・国産を問わない歩行型動力耕耘機の普及が、順次、畜力に取って代わった。耕耘作業部機構は現在、歩行用・乗用を問わず大半がロータリ式であり、その最も初期の形式である。年代:1952年 |
| 資料番号 | 00005 |
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| 情報所有館 | 生物系特定産業技術研究支援センター 農業機械化研究所資料館 |
| 特徴 | 縦2軸のスクリュが同期回転し、土を切削耕耘する方式の歩行動力耕耘機。古川農機具工業株式会社(石川県金沢市)製。1955~1965(昭和30)年代に全国的に利用された。本機は軽量小型、低重心で安定性が良い。畦際耕うんの際にはスクリュ刃軸を移動することができ、その前後方向傾斜角も調節できる。スクリュ式耕耘機構は、高速作業には不適であるが砕土性能が高く、根菜類の栽培に適しているとされ、現在も一部で用いられている。年代:1960年 |
| 資料番号 | 00006 |
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| 情報所有館 | 生物系特定産業技術研究支援センター 農業機械化研究所資料館 |
| 特徴 | 純国産、初の乗用可能なトラクタ。1951(昭和26)年、石川島芝浦機械が開発・生産した。リヤエンジンの三輪タイプで旋回性に優れ、作業機はミッドマウント(腹装式)で視認性が良い。特に水田車輪装着による高速代掻き作業や腹装モーアによる牧草刈取り作業、また左右に装着した左反転と右反転プラウによる往復耕耘作業に威力を発揮した。さらに本体前部を取り外し、ハンドルと耕耘ロータリを装着して歩行型耕耘機としても使えるユニークな機構である。北海道・東北、特に酪農地帯で使用され、生産台数は1951(昭和26)年から1958(昭和33)年まで477台を数えた。年代:1951年 |
| 資料番号 | 00007 |
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| 情報所有館 | 生物系特定産業技術研究支援センター 農業機械化研究所資料館 |
| 特徴 | 実用にも供された人力田植機。二反田春三(広島県)の考案による1955(昭和30)年ころの試作品。成苗用2条植で、把手を押せば中央にある径60cmの走行車輪が回転して前進し、この車輪軸に付いている苗送り機が運動して、成苗が前方に出てくる。そのとき、同じく車輪軸に付いている植付爪が動いて成苗を植えつける。田植機開発の先駆。年代:1955年 |
| 資料番号 | 00008 |
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| 情報所有館 | 生物系特定産業技術研究支援センター 農業機械化研究所資料館 |
| 特徴 | 我が国最初の市販人力田植機。カンリウ工業(長野県塩尻市)が1965(昭和40)年に発売し、各地で使用された。手押しにより走行車輪から動力を得て帯苗を連続的に送り出し、6枚の切断刃を持つ「植爪車」で帯苗の切断・植え込みを行う。ポリシート折込み育苗の土付き帯苗(短冊苗とも言う) を用いる方式。1968(昭和43)年には動力式が発売された。作業能率10a当たり2.5~3時間。年代:1965年 |
| 資料番号 | 00009 |
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| 情報所有館 | 生物系特定産業技術研究支援センター 農業機械化研究所資料館 |
| 特徴 | エンジン搭載型初期田植機。ヤンマー農機(現:ヤンマー)、1970(昭和45)年製。最初の実用田植機に用いられた帯苗から、現在のマット苗に移行する中間形式と言える「ひも苗」田植機。1株分の苗は苗ひもを適切な長さに切断して得られる。ひも苗の育苗は、短冊苗より省力的であるものの、マット苗に比較してなお複雑であり、次第にマット苗に転換した。価格171,000円。作業能率10a当たり1~1.5時間。年代:1970年 |
| 資料番号 | 00010 |
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| 情報所有館 | 生物系特定産業技術研究支援センター 農業機械化研究所資料館 |
| 特徴 | 利用末期の手押し式水稲中耕除草器。昭和初期、農林省農事試験場技師が鴻巣試験地の工場で製作。「除草」は、田植え・稲刈りほど期間集中せず、加重ではないものの最も長期間にわたり必須な作業であった。本機は稲株の根際までも中耕・除草しうるように、従来の爪車の幅を半分にし、稲株をまたいで使用するようにした。昭和40年代の除草剤の普及により、除草作業は格段に省力化された。年代:1930年 |
| 資料番号 | 00011 |
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| 情報所有館 | 生物系特定産業技術研究支援センター 農業機械化研究所資料館 |
| 特徴 | 普及型人力手押し刈り取り機。関農具商会(岡山県津山町)製。1925(大正14)年の農林省委託大日本農会の稲麦刈取機の設計図面の懸賞募集に入選、つづいて大正15年の刈取機懸賞募集に入選した。前部の搬送部から送り込まれてくる稲稈は、1枚の鎌状固定刃で刈り取られ、後部の収納箱に収容され、レバー操作により放出される。人力用刈取機は、多くの篤農家・野鍛冶により、様々な形式が開発・利用され、我が国における本格的な圃場農作業機械化の嚆矢となった。年代:1925年 |
| 資料番号 | 00012 |
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| 情報所有館 | 生物系特定産業技術研究支援センター 農業機械化研究所資料館 |
| 特徴 | 刈り取った稲束をハンドリング単位に束ねる人力結束作業機。大正末~昭和初期、五光技研工業株式会社(愛媛県)製。作物の収穫、具体的には稲の刈り取りとハンドリングは最も重労働であり、人力に依存する時代にも多くの工夫が行われた。誘導アームにより刈り倒し集束した稲稈を抱きかかえ込むようにハンドルを閉じると、縄捻鉤(なわねじりかぎ)と嵌込軸が作用して縄を捻り、嵌め込んで直径5~15cmに結束する。昭和中期のバインダ(稲刈り取り結束作業機)のメカに採用されたが、コンバインの普及により、結束作業行程そのものが消滅した。年代:1925年 |
| 資料番号 | 00013 |
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| 情報所有館 | 生物系特定産業技術研究支援センター 農業機械化研究所資料館 |
| 特徴 | 一説によれば数千年に渡り利用された脱穀用具。古く中国より伝来。「からさお」、「めぐり棒」、「くるり捧」などとも呼ばれ、竹の柄の先端に横木をわたし、この横木に回転できるようにした堅木(または竹を編んだもの)を取り付け、筵(むしろ)に麦類・豆類・菜種、脱粒性の良い品種の稲などを敷き広げ、これを上からたたいて脱穀・脱莢(だっきょう)する。脱穀は収穫・刈取りに次ぐ重要にして加重な作業である。なお脱粒性の良くない一般的な稲には扱箸が用いられた。 |
| 資料番号 | 00014 |
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| 情報所有館 | 生物系特定産業技術研究支援センター 農業機械化研究所資料館 |
| 特徴 | 普及末期モデルの千歯稲扱。窪添之助(大阪府堺市)が1902(明治35)年に扱歯の並びを彎曲させ、作業効率を上げて特許を得た。千歯は元禄期に竹製の扱歯で考案されたと伝えられ、漸時扱箸を駆逐し、明治中期から鉄製扱歯が普及した。日本農具製造株式会社(神戸市)で量産、当時の価格は3円で、1911(明治44)年の年産5万挺。朝鮮、南アメリカ、フィリピンにも販売し、同年、帝国農会主催の全国農具展覧会で4等賞受賞。千歯は神事等、少量の脱穀機として現在も一部で用いられている。年代:1902年 |
| 資料番号 | 00015 |
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| 情報所有館 | 生物系特定産業技術研究支援センター 農業機械化研究所資料館 |
| 特徴 | 現存する最古の足踏み回転脱穀機。福永章一(山口県佐波郡牟礼村)によって考案され1911(明治44)年に特許第19621号を得ている。その後、1913(大正2)年に山口県を除く地での製作販売の権利を西谷繁雄(東京)に譲渡し、西谷が改良を加え、西谷・福永式として販売した。脱穀機の登場によって千歯は消滅に向かう。年代:1911年 |