指描唐草文双耳壺
| 資料番号 | 00016 |
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| 情報所有館 | 那覇市立壺屋焼物博物館 |
| 特徴 | 口縁に緑釉が、外面全体に透明釉が施されている。外面は白化粧が施されているが、乾く前に指でふき取られ、唐草模様が描かれている。肩には2つ耳が付けられている。【金城次郎作1960年代末~1970年代】 |
| 資料番号 | 00016 |
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| 情報所有館 | 那覇市立壺屋焼物博物館 |
| 特徴 | 口縁に緑釉が、外面全体に透明釉が施されている。外面は白化粧が施されているが、乾く前に指でふき取られ、唐草模様が描かれている。肩には2つ耳が付けられている。【金城次郎作1960年代末~1970年代】 |
| 資料番号 | 00017 |
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| 情報所有館 | 那覇市立壺屋焼物博物館 |
| 特徴 | 口縁に緑釉が施されている。外面全体に魚と海老が様々な模様とともに線彫りで描かれており、文様部分は青と飴色の釉薬で彩色されている。【金城次郎作/1970年代前半】 |
| 資料番号 | 00018 |
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| 情報所有館 | 那覇市立壺屋焼物博物館 |
| 特徴 | 外面胴部に線彫りで魚が描かれている。盛り付けの技法で装飾された部分にコバルト釉が、口縁部に緑釉がぬられている。底部は焼成の際に裂けたようで、セメントによる補修が行われている。金城次郎は焼成中に破損した作品も補修を加えて販売することがあった。破損品を安価に市場にだすということは琉球王府時代から行われており、金城次郎もその系譜を引き継いでいる。作家性を重視する現代陶芸の立場から強く批判されたこともある。ただ、市場に出さなかった失敗品もあり、一部の傷や破損より、焼成による全体の雰囲気が優先されたと考えるべきであろう。多少の破綻をいとわない焼成が独特の迫力を生み出している。【金城次郎作/1960年代】 |
| 資料番号 | 00019 |
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| 情報所有館 | 那覇市立壺屋焼物博物館 |
| 特徴 | 外面全体に白化粧と透明釉が施され、口縁から頚部にかけて緑釉が掛けられている。肩と腰部には2本筋の線模様がそれぞれ施され、胴部には掻き落としの技法で唐草文様が描かれている。掻き落としとは、文様のまわりを削り、浮き彫りに見せる技法である。【金城次郎作/1970年代初頭】 |
| 資料番号 | 00020 |
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| 情報所有館 | 那覇市立壺屋焼物博物館 |
| 特徴 | 外面は口縁から底部まで飴釉が掛けられている。内面は中央に花の文様が、その周りを取り囲むように市松文様が線彫りで施され、全体が三彩で色づけされている。フルーツなどを盛るための鉢であろう。壺屋焼の伝統的な形ではなく、戦後期の壺屋焼の主要な買い手であった米軍関係者を意識した作品と考えられる。当時の壺屋では、米軍関係者向けの土産品や西洋の生活様式にあった製品も多く作られていた。【金城次郎作/1952年】 |
| 資料番号 | 00021 |
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| 情報所有館 | 那覇市立壺屋焼物博物館 |
| 特徴 | 模様にする部分にロウを置いてその上から釉薬を掛ける蝋抜という技法により、外面及びふたの表面に笹の図柄が表現されている。壺屋の伝統的な技法ではなく、親交のあった濱田庄司が好んで使った技法で、金城次郎が新しい技術技法を取り入れたことを示す作品である。琉球電信電話公社総裁でもあり、また沖縄民藝協会を支えた人物の1人でもある新里善福の旧蔵作品。【金城次郎作/1960年代後半】 |
| 資料番号 | 00022 |
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| 情報所有館 | 那覇市立壺屋焼物博物館 |
| 特徴 | 魚、海老、貝と金城次郎が得意とした海の柄の全てが外面全体に線彫りで描かれている。魚は細身の胴部を巡るように描かれ、立体であることを充分に活かした画面の構成になっている。口縁及び文様は飴と青色の釉薬で彩色されている。外面胴部には透かし彫りで花の模様が表現されている。琉球電信電話公社総裁でもあり、また沖縄民藝協会を支えた人物の1人でもある新里善福の旧蔵作品。新里からの直接の注文で作成されたと考えられる。「電気スタンド」は1960年代の沖展出品目録中に名前が確認できる。【金城次郎作/1960年代後半】 |
| 資料番号 | 00023 |
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| 情報所有館 | 那覇市立壺屋焼物博物館 |
| 特徴 | 遺骨を入れるための箱(蔵骨器)である。沖縄では蔵骨器のことを厨子(ジーシ)、または厨子甕(ジーシガーミ)と呼び、壺屋では戦前・戦後を通して数多く製作された。籾殻を混ぜ込んだ土を使い、独特の凹凸や亀裂をともなった表情が表面に現れている。この土で焼成された焼物は保水性がないため、戦後は傘立てや植木鉢にも利用された。本作品は伝統的な厨子の形とは異なり、シーサーをかたどっている。【金城次郎作/1973年】 |
| 資料番号 | 00024 |
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| 情報所有館 | 那覇市立壺屋焼物博物館 |
| 特徴 | 口縁が外側に反った茶碗である。器の内面は液状にした白色粘土を掛け、透明釉を施している。口縁近くにはロクロを回しながら白化粧土と透明釉をはぎとった線文様がみられる。また口縁から見込みにかけて数ヵ所に褐色の釉薬が流し掛けられている。外面は液状の白色粘土を掛け、そのうえから褐色の釉薬を施している。胴部には三本指で波状に釉を掻き取った文様が表現されている。口縁から胴部には数ヵ所に緑釉が施されている。高台、高台内は無釉。作者が壺屋で工房を構えている頃に製作した器であるとされる。箱のふたに裏面に「指描茶盌 次郎」と墨書されている。【金城次郎作/1960年代後半】 |
| 資料番号 | 00025 |
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| 情報所有館 | 那覇市立壺屋焼物博物館 |
| 特徴 | 口縁がやや内側にすぼまった茶碗である。素地を成形したあと、直接釉薬が施されている。登り窯での焼成時に窯変して発色している。高台、高台内、高台脇は無釉。作者が壺屋で工房を構えている頃に製作した器であるとされる。箱のふた裏面に「窯変茶碗 金次」と墨書されている。【金城次郎作/1960年代後半】 |
| 資料番号 | 00026 |
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| 情報所有館 | 那覇市立壺屋焼物博物館 |
| 特徴 | 半筒形の茶碗である。内面と外面は腰部まで白色の長石釉がたっぷりと掛けられている。白色の釉下には鉄釉で松の文様が絵付けされている。絵付けは日本画家の奥村土牛(1889~1990)によるもので、作品の背面には「土牛」のサインが入っている。高台内および高台脇は無釉。高台脇には「斗」と銘が刻まれている。作者の雅号「斗出庵」を表すものである。箱のふた表面には「志野茶垸 大萱 豊蔵斗」と墨書がある。岐阜県可児市の大萱で作られたものであろう。荒川豊蔵(1894~1985)は岐阜県多治見市生まれの陶芸家。1955年に国指定重要無形文化財「志野」「瀬戸黒」の保持者(人間国宝)に認定されている。【荒川豊蔵作】 |
| 資料番号 | 00027 |
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| 情報所有館 | 那覇市立壺屋焼物博物館 |
| 特徴 | 半筒形の茶碗である。内面と外面は腰部まで淡黄色の釉薬が掛けられている。作品正面にあたる部分がもっともよく発色している。高台内および高台脇は無釉。高台脇には「斗」と銘が刻まれている。作者の雅号「斗出庵」を表すものである。箱のふた表面には「黄瀬戸茶垸 大萱 豊蔵斗」と墨書がある。岐阜県可児市の大萱で作られたものであろう。【荒川豊蔵作】 |
| 資料番号 | 00028 |
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| 情報所有館 | 那覇市立壺屋焼物博物館 |
| 特徴 | 口縁がすぼまった形の茶碗。無釉である。高台脇には櫛状の道具で複数の線模様を表現する櫛描の技法で線模様が施されている。また、「斗」と銘が刻まれている。作者の雅号「斗出庵」を表すものである。箱のふた表面に「信楽風茶垸 豊蔵斗」と墨書されている。【荒川豊蔵作】 |
| 資料番号 | 00029 |
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| 情報所有館 | 那覇市立壺屋焼物博物館 |
| 特徴 | 口縁がすぼまった形の茶碗である。器の内面と外面は高台脇近くまで黒釉が掛かっている。作品正面にあたる部分には乳白色の釉薬が施されており、斑文状に発色している。高台内、高台、高台脇は無釉。高台内には作者の雅号「栩庵」の一字「栩」の刻印が押されている。箱のふた表面に「黒唐津 宗麿作茶盌 唐九郎」と墨書されている。石黒宗麿(1893~1968)は富山県射水郡作道村(現:射水市)生まれの陶芸家。1955年に国指定重要無形文化財「鉄釉陶器」の保持者(人間国宝)に認定されている。【石黒宗麿作】 |
| 資料番号 | 00030 |
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| 情報所有館 | 那覇市立壺屋焼物博物館 |
| 特徴 | 口縁が大きく開いた平茶碗である。内面と外面は口縁から腰部まで黒釉が施されている。高台内および高台脇は無釉。高台内に作者の雅号「栩庵」の一字「栩」の刻印が押されている。箱のふた裏面に「石黒宗麿作 黒釉茶盌 卯一」と墨書されている。墨書は清水卯一氏筆。清水卯一(1926~2004)は京都市生まれの陶芸家。1985年に国指定重要無形文化財「鉄釉陶器」の保持者(人間国宝)に認定されている。【石黒宗麿作】 |
| 資料番号 | 00031 |
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| 情報所有館 | 那覇市立壺屋焼物博物館 |
| 特徴 | 半筒形の茶碗である。内面と外面は腰部まで白色の長石釉が掛けられている。外面の胴から腰部には数ヵ所鉄釉で絵付けされた斑模様があり、褐色に発色している。高台内、高台、高台脇は無釉である。高台脇には、「一ム」と銘が刻まれている。箱のふた表面に「志野茶盌 一無斎」と墨書されている。一無斎は作者加藤唐九郎の雅号である。加藤唐九郎(1898~1985)は愛知県春日井群水野村(現:瀬戸市)生まれの陶芸家。1919年から瀬戸系古窯の調査研究を行う。1952年に織部焼で国の無形文化財有資格者に認定されている。【加藤唐九郎作】 |
| 資料番号 | 00032 |
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| 情報所有館 | 那覇市立壺屋焼物博物館 |
| 特徴 | 口縁が外側に反った形の茶碗である。器の外面胴部には斑文状に、内側の口縁部には筆描きで、鉄釉による絵付けがみられる。焼成により褐色に発色している。内面と外面腰部まで釉薬が施されている。高台内、高台、高台脇は無釉。箱のふた表面に「絵唐津茶盌 一無斎」と墨書されている。一無斎は作者の雅号である。【加藤唐九郎作】 |
| 資料番号 | 00033 |
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| 情報所有館 | 那覇市立壺屋焼物博物館 |
| 特徴 | 口縁部に注口を作った片口形の水指で、茶釜へ水を注ぐ器として作られたものであろう。内面と外面は腰部まで乳白色の釉薬がたっぷりと掛けられており、ところどころ斑状に発色している。見込みに褐色の釉薬で「小」と絵付けされている。高台内および高台脇は無釉。高台内に「小」と銘が刻まれている。ふたは黒漆の塗物である。箱のふた表面に「絵斑唐津 片口水指 小十」と墨書されている。西岡小十(1917~2006)は佐賀県唐津市生まれの陶芸家。古唐津の技法を研究し、絵斑唐津や梅華皮唐津の技法を再現した。【西岡小十作】 |
| 資料番号 | 00034 |
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| 情報所有館 | 那覇市立壺屋焼物博物館 |
| 特徴 | 口縁が外側に反った茶碗で、壺屋焼の上焼の製法で作られている。外面胴部は九面削って面取りし、上絵具で絵付けされている。赤い絵具で面取りの縁を描き、そのなかを赤・緑・黄色の絵具で彩色している。箱のふた裏面に「庄司作 琉球窯 赤絵面取茶盌 晋作識」と墨書されている。作者が来沖した際に壺屋で制作した器であるとされる。濱田庄司(1894~1978)は神奈川県川崎市に生まれ、益子で制作活動を展開した陶芸家。1918年に初めて沖縄を訪問して以来、壺屋を訪れては作陶し、壺屋の陶工に多大な影響を与えた。1955年に国指定重要無形文化財「民芸陶器」の保持者(人間国宝)に認定されている。【濱田庄司作/1970年頃】 |
| 資料番号 | 00035 |
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| 情報所有館 | 那覇市立壺屋焼物博物館 |
| 特徴 | 半筒形の茶碗である。内面と外面は腰部まで白色の長石釉がたっぷりと掛けられている。高台脇には作者の名前の一字「日」が銘として刻まれている。箱のふた表面に「志野茶盌 日出武」と墨書されている。安藤日出武(1938~)は岐阜県多治見市生まれの陶芸家。志野を志し、桃山時代の太平古窯跡の近くに築窯。2003年に岐阜県重要無形文化財保持者「黄瀬戸」に認定されている。【安藤日出武作】 |