赤絵草花文茶碗
| 資料番号 | 00009 |
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| 情報所有館 | 那覇市伝統工芸館 |
| 特徴 | 仁王窯2代目小橋川永昌の作品。赤土に白土を化粧掛けし透明釉をかけたもので、温かさと素朴さが人の心をなごませるものである。その温かい白色の地に沖縄で産出する顔料で季節にとらわれることなく草花文様の赤絵を描いたもので、高台は竹しぶが施され調和のとれた味わいのある作品である。年代:1960年代 |
| 資料番号 | 00009 |
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| 情報所有館 | 那覇市伝統工芸館 |
| 特徴 | 仁王窯2代目小橋川永昌の作品。赤土に白土を化粧掛けし透明釉をかけたもので、温かさと素朴さが人の心をなごませるものである。その温かい白色の地に沖縄で産出する顔料で季節にとらわれることなく草花文様の赤絵を描いたもので、高台は竹しぶが施され調和のとれた味わいのある作品である。年代:1960年代 |
| 資料番号 | 00010 |
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| 情報所有館 | 那覇市伝統工芸館 |
| 特徴 | 人間国宝宮平初子の作品。首里の織物の技法の一つである、首里花織の技法で織られている。4枚綜絖を使用した緯浮花織の手法。着用する人の幸を祈り、四葉のクローバーをモチーフとした作品。全通柄で袋帯仕立てである。年代:2002年 |
| 資料番号 | 00011 |
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| 情報所有館 | 那覇市伝統工芸館 |
| 特徴 | 製作者、浦崎康賢の作品。手縞は杢糸を用いた多彩な格子柄の中に緯絣が配されたもの、かつては上流、士族の衣服として着用されていた。 |
| 資料番号 | 00012 |
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| 情報所有館 | 那覇市伝統工芸館 |
| 特徴 | 琉球漆器の技法のひとつ螺鈿は、夜光貝を加工し文様に切り、貼って漆を塗り研ぎ出して仕上げます。貝は薄くなる程美しい七色の妖しい色を呈します。接着の違いで薄貝の技法は沖縄の気候で可能となりました。 |
| 資料番号 | 00013 |
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| 情報所有館 | 那覇市伝統工芸館 |
| 特徴 | 現代の名工嘉手納並祐の作品。沖縄独自の加飾法、堆錦でできた東道盆である。琉球漆器の代表的な形式のひとつで、正月や祝事の際に料理を盛る盆のこと。かつては、宮中で行われる宴会などで使われ、もちろん王侯貴族だけが使える、豪華で贅沢な漆器だった。 |
| 資料番号 | 00014 |
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| 情報所有館 | 那覇市伝統工芸館 |
| 特徴 | 技能保持者の金城唯喜の作品。沈金は塗り上った面に刀やのみで文様を彫り、漆を擦り込んで金箔を押し込み、文様以外の金箔を拭きとって仕上げる技法です。 |
| 資料番号 | 00015 |
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| 情報所有館 | 那覇市伝統工芸館 |
| 特徴 | 描いた下絵を渋紙に貼り、細かい文様から彫っていく。この時「ルクジュウー」を紙の下にあてがい、下絵に沿ってシーグ(小刀)で突彫りします。この技法は、手彫のあたたかさを感じさせ、さらには立体感を与えるという紅型の特徴でもあります。また紗を張ることで型紙を強くします。型染の多くは一枚の型紙を使い、模様を繰返し染めていきます。 |
| 資料番号 | 00016 |
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| 情報所有館 | 那覇市伝統工芸館 |
| 特徴 | 型紙の下にルクジューをあてがい、下絵にそってシーグ(小刀)で突彫りします。この技法は、手彫のあたたかさを感じさせ、さらには立体感を与えるという紅型の特徴でもあります。打抜き錐(きり)は染地型の地など施される「アラレ」(霰)と呼ばれる小乳を彫る際に使用する道具で丸型と四角がある。 |
| 資料番号 | 00017 |
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| 情報所有館 | 那覇市伝統工芸館 |
| 特徴 | 摺込み用の刷毛は頭髪を使って作られている。よく乾燥した山原竹(琉球竹)の中に10cm以上の頭髪を糸で二つ折りにして、竹の穴に引っ張り込み、固定し、毛先を5mmほど残して切った上で、軽く火であぶって揃える。刷毛の大きさも、竹の大きさに合わせ、大、中、小と作る。 |
| 資料番号 | 00018 |
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| 情報所有館 | 那覇市伝統工芸館 |
| 特徴 | 糊袋(ヌイブクロ)は、筒引きや糊伏せに使う道具である。厚手の木綿を二枚合わせにして袋縫いしたもので、筒先に竹口か金口を固定して取り付ける。筒引きは、風呂敷(両面)や、舞台幕などを主に描いたが、線の強弱をつけるため、筒口を、大・中・小と用意して取り替えて使う。竹の先を焼いた炭で、生地に大まかに下絵を描き、布の四方を竹で張り、筒引きする。型よりも制約が少ないので、職人の絵心や感性が最も如実に表れる。 |
| 資料番号 | 00019 |
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| 情報所有館 | 那覇市伝統工芸館 |
| 特徴 | 伝統工芸士新垣栄用の作品。荒焼とは焼締めの陶器のことを言います。この作品はタックワサァー(盛付)という技法を使い龍が盛り付けられている。この龍は厳しい表情で威嚇している作品に仕上げられている。 |
| 資料番号 | 00020 |
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| 情報所有館 | 那覇市伝統工芸館 |
| 特徴 | 琉球ガラス工芸の現代名工の大城孝栄の作品。緑の色ガラスを元玉に使い、銀箔を巻き付けたあと窯の中で波柄を描き透明ガラスを巻き付けた花器です。飾り花器として堂々たる品格を漂わせています |
| 資料番号 | 00001 |
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| 情報所有館 | 所沢航空発祥記念館 |
| 特徴 | 1934(昭和9)年にアメリカのノースアメリカン社によって設計され、世界33ヶ国で15,117機も使用された中間練習機のベストセラーである。古い設計の機体だが、機体や操作装置の改良、新型電子機器の搭載などによって、頑丈で信頼度の高い中間練習機に生まれ変わっている。日本には1955(昭和30)年に輸入され、自衛隊で10年間にわたってパイロット養成に使用された。練習機としての役割を終えた機体は、救難捜索機として活躍していたが、1969(昭和44)年に全機とも現役から退いている。展示されている機体は、かつて航空自衛隊で活躍していた“T‐6G”のうちの1機である。自衛隊からの貸与。年代:1949 |
| 資料番号 | 00002 |
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| 情報所有館 | 所沢航空発祥記念館 |
| 特徴 | 世界で初めてシングルローターヘリコプターの飛行を成功させたイゴール・シコルスキーが製作した中型実用ヘリコプター。1949(昭和24)年に原型機が初飛行し、本格的な実用多用途ヘリコプターとして15年間に1,281機製作されて、軍用、民間用として世界中で活躍した。日本では三菱重工業(株)によってライセンス生産され、運送用、航空・海上救難用として自衛隊に66機導入された。これにより、ヘリコプターによる災害派遣、離島・僻地からの緊急患者輸送などが本格化することになった。また、全日空などが民間機として旅客・貨物輸送用に使用するなど、初期のヘリコプターとしては最も成功した機種となった。自衛隊からの貸与。年代:1953 |
| 資料番号 | 00003 |
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| 情報所有館 | 所沢航空発祥記念館 |
| 特徴 | 1959(昭和34)年、陸上自衛隊が研究用としてアメリカのパイアセッキ社(のちのバートル社)から購入した大型輸送ヘリコプター。原型機は1952(昭和27)年に初飛行に成功している。日本最初の大型ヘリコプターとして、主に航空救難活動に使用され、その年に東海地方を襲った伊勢湾台風では、災害派遣に大活躍した。その時、当時の皇太子殿下(現在の天皇陛下)が、皇室としては初めて本格的にヘリコプターに搭乗し、災害地の状況を空中から視察された。展示機は、当時使用された“V‐44”の1機である。航空自衛隊にも10機の“H‐21B”(“V‐44”の軍用型)が導入され、航空救難用として使用された。自衛隊からの貸与。年代:1959 |
| 資料番号 | 00004 |
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| 情報所有館 | 所沢航空発祥記念館 |
| 特徴 | 自衛隊の前身、保安隊で使用されていた連絡機。1941(昭和16)年に設計され、第2次大戦末までに3,282機つくられた。第2次大戦では、アメリカ陸軍の連絡・観測機として第1線部隊で使用された。最前線近くの狭い飛行場でも離着陸することができたため、前線部隊の貴重な空からの目として活躍した。主翼は木製羽布張り、胴体は銅管溶接羽布張りと旧式の機体であるが、頑丈で操縦性に優れていた。日本には1953(昭和28)年にアメリカから35機供与され、パイロットの養成に使用された。戦後の航空部隊の再建に活躍したが、老朽化のため1956(昭和31)年に使用が打ち切られた。自衛隊からの貸与。年代:1953 |
| 資料番号 | 00005 |
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| 情報所有館 | 所沢航空発祥記念館 |
| 特徴 | 1960(昭和35)年に米陸軍が行った最初のLOH(軽観測ヘリコプター)の審査に合格し、1965(昭和40)年から量産された小型タービンヘリコプターの傑作、“ヒューズOH‐6”を、川崎重工業(株)がライセンス生産した機体である。LOHには、従来の固定翼の複座連絡機と小型観測ヘリコプターが持っていた全ての任務を果たすことが要求されたため、小型・軽量の機体ながら、高い機体強度、卓越した飛行性能、大きな搭載量、敵火器による損害の軽減などを実現している。また整備性等にも優れた機体である。日本でのライセンス生産は1968(昭和43)年に始まり、計170機が自衛隊および民間で使用された。自衛隊からの貸与。年代:1969 |
| 資料番号 | 00006 |
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| 情報所有館 | 所沢航空発祥記念館 |
| 特徴 | 川崎航空機の岐阜工場で組み立てられた戦後初の本格的国産機、“KAL‐I”を改良した連絡機で、1954(昭和29)年11月に初飛行した。全金属製の機体に前輪式引込脚をそなえた、近代的な飛行機だった。防衛庁の連絡機採用に応じて製作されたが、審査で“ビーチクラフトT‐34メンター”の改造型、“LM‐1”に破れたため、2機試作されただけで量産はされなかった。この試作機は、航空自衛隊と海上自衛隊に1機ずつ所属し、連絡機として使用されていた。実用的には未完成で、決して成功したとはいえない飛行機だが、後の航空産業の復興に大きな役割を果たした、意義深い機体である。自衛隊からの貸与。年代:1954 |
| 資料番号 | 00007 |
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| 情報所有館 | 所沢航空発祥記念館 |
| 特徴 | 初期の自衛隊で活躍していた初級練習機で、原型機は1948(昭和23)年12月に初飛行した。構造は従来の練習機に比べて高級で、前輪式引込脚や定速プロペラをそなえた全金属製低翼単葉機である。計器飛行に必要な装備も搭載しているため、初級の計器飛行訓練も可能であった。自衛隊には、1954(昭和29)年に輸入された20機と、富士重工業によってライセンス生産された126機の計146機が導入され、当時不足していたパイロットの教育に大活躍した。また、ライセンス生産を通して学んだアメリカ式生産技術の手法は、戦後の航空再建の原点となった。自衛隊からの貸与。年代:1954 |
| 資料番号 | 00008 |
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| 情報所有館 | 所沢航空発祥記念館 |
| 特徴 | 1956(昭和31)年に初飛行した中型タービンヘリコプターの傑作、“ベル204型”を改良した機種で、1961(昭和36)年から量産された。あらゆる用途に対応できるように設計されており、戦場での軽武装攻撃、補給品の輸送、患者護送、遭難者の捜索・救助などが可能であった。1962(昭和37)年には陸上自衛隊でも採用が決定したため、富士重工業(株)がライセンス生産を開始し、1972(昭和47)年までに91機生産した。展示機はこの時つくられた機体で、災害派遣などで活躍していた。この後も改良を重ねながら生産され続け、ライセンス生産機、民間機を含め1万機以上が世界中で活躍している。自衛隊からの貸与。年代:1961 |