Lamborghini Countach LP400
| 資料番号 | 00007 |
|---|---|
| 情報所有館 | 四国自動車博物館 |
| 特徴 | 1971年ジュネーブショーにてランボルギーニ社(ヌオーヴァ アウトモービリ フェルッチオ ランボルギーニ SpA)のチーフエンジニア パオロ・スタンツァーニを中心とし、数々のスーパー・カーを世に送り出したカロッツェリア・ベルトーネのチーフデザイナー マルチェロ・ガンディーニのデザインによって黄色のカウンタックLP500(V型12気筒5000cc)が登場した。年代:1974 |
| 資料番号 | 00007 |
|---|---|
| 情報所有館 | 四国自動車博物館 |
| 特徴 | 1971年ジュネーブショーにてランボルギーニ社(ヌオーヴァ アウトモービリ フェルッチオ ランボルギーニ SpA)のチーフエンジニア パオロ・スタンツァーニを中心とし、数々のスーパー・カーを世に送り出したカロッツェリア・ベルトーネのチーフデザイナー マルチェロ・ガンディーニのデザインによって黄色のカウンタックLP500(V型12気筒5000cc)が登場した。年代:1974 |
| 資料番号 | 00008 |
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| 情報所有館 | 四国自動車博物館 |
| 特徴 | ランチアはフルビアの後、WRCで勝利するためのマシンが必要だった為ベルトーネと共同開発することになり 1972年に幾多の改良を行いプロトタイプとしてWRC(ツール・ド・コルス)に初参戦した。年代:1974 |
| 資料番号 | 00009 |
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| 情報所有館 | 四国自動車博物館 |
| 特徴 | トヨタが世界に誇る本格的なグランツーリスモとして、1965年の東京モーターショーでデビューした。ロングノーズ/ショートデッキの魅力的なスタイリングもさることながら、バックボーンフレーム構造や6気筒ツインカムエンジン、4輪ディスクブレーキ、マグネシウム・ホイールなどメカニズムにおいても高く評価されている。年代:1965 |
| 資料番号 | 00010 |
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| 情報所有館 | 四国自動車博物館 |
| 特徴 | 日本のモータリゼーションはこの車から始まったといっても過言ではない。 当時の日本のメーカーは、米国車などのノックダウン生産から自動車技術を学ぼうとしたが、トヨタは自社独自の技術開発でこのモデルを設計した。年代:1955 |
| 資料番号 | 00011 |
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| 情報所有館 | 四国自動車博物館 |
| 特徴 | 1962年のモーターショーで発表されたパブリカ・スポーツのプロトモデルをベースに、トヨタ系列のボディメーカー、関東自動車が企画して量産した2シーター・ライトウェイトカーである。年代:1965 |
| 資料番号 | 00012 |
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| 情報所有館 | 四国自動車博物館 |
| 特徴 | トヨタ・チーム・ヨーロッパ(TTE)のグループBカー、ワークスセリカは、’84年からの3連覇(ハットトリック)を収めた。しかもそのうち、1985年は1位、2位、4位と3台が上位入賞、’86年は1位、2位でゴールイン。2年連続で1位2位を独占し、いわゆる、”1-2フィニッシュ”を飾った。年代:1983 |
| 資料番号 | 00013 |
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| 情報所有館 | 四国自動車博物館 |
| 特徴 | 1989年6月11日ル・マン参戦。ドライバーは星野薫、鈴木恵一、Didier Artzet。 予選は27位で通過したものの、決勝では残念ながらリタイア。1992年以降のトヨタの快進撃が始まる夜明け前の1台であった。年代:1988 |
| 資料番号 | 00014 |
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| 情報所有館 | 四国自動車博物館 |
| 特徴 | トヨタ初の大衆車。「パブリカ」のネーミングは、発売に先行したキャンペーンとして車名公募が行われ、108万通の応募作のなかから選ばれた。パブリック・カーからの造語で、大衆車の慕開け時代を象徴するにふさわしいネーミングである。年代:1961 |
| 資料番号 | 00015 |
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| 情報所有館 | 四国自動車博物館 |
| 特徴 | 125ccワークスマシンのRC145同様に4バルブDOHC並列2気筒カムギヤトレーン駆動エンジンを搭載、最大出力は21.5ps/13,500rpmを誇る。タンクから続くシングルシート、足元を引き締めるマグネシウム製ドラムブレーキ、’60年代のホンダワークスマシンそのままのツインカムエンジン。すべてにおいて極限まで性能と軽量化を追求し、形作られた機能美あふれる造形である。年代:1962 |
| 資料番号 | 00016 |
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| 情報所有館 | 四国自動車博物館 |
| 特徴 | 1968年の東京モーターショーでデビュー。発表まもなく世界中のライダーから賛美を浴び、発売を待たずしてキング・オブ・ロードマシンの称号を与えられた。日本製オートバイの歴史の中で、もっとも大きな足跡を残した1台といえるであろう。年代:1969 |
| 資料番号 | 00017 |
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| 情報所有館 | 四国自動車博物館 |
| 特徴 | 8つのヨーロッパ耐久ロードレースで7つの栄冠を獲得して凱旋したバイク。排気量941cc/最高出力115hp年代:1976 |
| 資料番号 | 00018 |
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| 情報所有館 | 四国自動車博物館 |
| 特徴 | 昭和20年代から30年代にかけて、高知市の鴨部に山崎内燃機関研究所というバイクメーカーがあった。小さな工場から生み出されるバイクの性能は、当時の国内バイクの標準レベルを越えていた。昭和20年代の初めにエンジンを全て自社製としたその技術自体も評価されるものであろう。年代:1953 |
| 資料番号 | 00019 |
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| 情報所有館 | 四国自動車博物館 |
| 特徴 | 国産初のスクーターS-1を生み出した旧中島飛行機(現在の富士重工業)は、群馬県太田と東京三鷹にあった工場で生産をおこなっていた。 |
| 資料番号 | 00020 |
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| 情報所有館 | 四国自動車博物館 |
| 特徴 | 1955年5月に発表された「国民車育成要綱案」に基づき、富士重工業が軽自動車の枠の中で実現させたのがこのスバル360である。年代:1961 |
| 資料番号 | 00001 |
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| 情報所有館 | 京セラファインセラミック館 |
| 特徴 | ブラウン管の電子銃の電極を支持する絶縁部品。ブラウン管の電子銃はテレビの性能を左右する最も重要な部品であったが、その組立工程はグリッドなどの金属部品を加熱軟化したガラスに差し込んで固定することで進められた。国産テレビの初期はケルシマ管と呼ばれるU字形のフォルステライト管に粉末ガラスを詰め、溶融した部品が使用されたが、当時輸入に頼っていたこの部品を国産化したものである。年代:1959 |
| 資料番号 | 00002 |
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| 情報所有館 | 京セラファインセラミック館 |
| 特徴 | ブラウン管の電子銃の組み立てに使用された絶縁管。肉厚が0.2ミリと薄く、外径公差が厳しく、純アルミナを要求する難しい製品仕様であった。成形が困難な上に、純アルミナは耐熱性が高く、従来フォルステライトを焼成した炉では焼結しないため、Mo線を発熱体にした水素雰囲気炉を組み立て、焼結できるようにした。年代:1959 |
| 資料番号 | 00003 |
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| 情報所有館 | 京セラファインセラミック館 |
| 特徴 | マイクロモジュールに使われるアルミナ基板。マイクロモジュールは1958年頃に米・RCA社で開発された集積回路の前ぶれとも呼ぶべき小型回路で、7.8ミリ角のセラミック基板にトランジスタや抵抗、コイルを組み込み、これを立体的に重ねることで高密度化したものである。米・IBM社が開発したSLT回路用の基板として、これを使った同社の戦略商品であった「システム/360」シリーズに使われた。年代:1966 |
| 資料番号 | 00004 |
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| 情報所有館 | 京セラファインセラミック館 |
| 特徴 | 皮膜抵抗の基板や芯体として利用されたフォルステライト部品。フォルステライトは電気絶縁材料として優れた特性を持つほか、焼成した焼き肌が滑らかになるため、皮膜抵抗の基板や芯体としてよく利用された。当時一般的であった磁器芯体に比べて抵抗値の安定性が高く、これを用いた固定抵抗器が各種家電製品や通信機器用途を中心に多く生産された。年代:1959 |
| 資料番号 | 00005 |
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| 情報所有館 | 京セラファインセラミック館 |
| 特徴 | テレビが量産化されるようになるにしたがって、国産化当初に使われた、ブラウン管の電子銃の支持部品であるU字ケルシマに代替して使われるようになったガラス製絶縁部品。硬質の硼珪酸ガラスの粉末を棒状に成形して焼結させたものであるが、ガラス棒の一部を過熱したときに熱ショックで破壊しないように、熱膨張係数の小さいガラスを使い、また、クラックの進行を止めるために独立気孔をたくさん残して焼結させることが特徴である。1961年以降2004年まで息長く生産された。年代:1961 |
| 資料番号 | 00006 |
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| 情報所有館 | 京セラファインセラミック館 |
| 特徴 | 1950から60年代に能動部品の花形であった真空管は真空容器の絶縁体としてガラスを利用していたが、アルミナやフォルステライトなどの絶縁特性と強度に優れたセラミックスに代替することによって、より小型、強靭で、長寿命化、高信頼性化が実現された。新幹線などに使われる電力用シリコン整流器の外囲器や電子レンジ用のマグネトロンの外囲器などに始まり、後年にはクライストロンなどの送信管や粒子加速器など大型真空装置にもセラミックスが使われるようになった。年代:1967 |