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九州電力知名風力発電所向け風力発電設備の翼

資料番号 00012
情報所有館 三菱重工長崎造船所史料館
特徴 上側の風車翼は昭和57年(1982)鹿児島県沖永良部島知名町に建設された風力発電設備のもので、翼は翼根部の固定 翼と先端部の可動翼からなり、可動翼にヘリコプターの中古翼を使用することによって、開発期間の短縮とコスト低減を計った。定格出力300kWは当時日本 最大で、風力発電の実用化に先駆的役割を果たした。展示品は、使用された翼3本中の1本で、翼の長さ16.1mである。運転開始:昭和57年11月、運転 終了:平成4年(1992)2月。なお、下側の風車翼は出力250kW用量産タイプのもので、全体がFRP製で翼の長さ14mである。また、手前の展示品 は250kWタイプのナセル部分で翼は3枚である。 年代:1982
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立神第2船台ガントリークレーンの鉄骨柱

資料番号 00013
情報所有館 三菱重工長崎造船所史料館
特徴 長崎造船所立神船台に一部残っていた第2船台のガントリークレーンは、平成16年4月に大部分解体された。昭和11年 (1936)に設置されて以来、戦艦武蔵を始め数々の名船、名艦を建造し、とくに戦後は昭和31年から51年までに長崎造船所が通算で15回年間進水量世 界一となったことに貢献し、造船所のシンボルでもあった。展示品はそのガントリークレーンの一部である。 年代:1936
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史料館(旧木型場)

資料番号 00014
情報所有館 三菱重工長崎造船所史料館
特徴 三菱重工業(株)長崎造船所史料館は、長崎造船所が日本の近代化に果たした役割を永く後世に残そうと、昭和60年 (1985)10月に開設。史料館に利用されている赤煉瓦の建物は明治31年(1898)7月、三菱合資会社三菱造船所の鋳物工場に併設の木型場として建 設されたもので、三菱重工業株式会社発祥の地長崎造船所に現存する最古の建物である。 年代:1898
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ハルデス煉瓦(こんにゃく煉瓦)

資料番号 00015
情報所有館 三菱重工長崎造船所史料館
特徴 長崎鎔鉄所の建物・煙突・塀などに使用した赤煉瓦。安政4年(1857)頃、向島地区の窯で製造された日本最初期の赤煉 瓦。年代:1857年頃
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竣工間近い長崎製鉄所(銅版画の写真)

資料番号 00016
情報所有館 三菱重工長崎造船所史料館
特徴 ポンペ著「日本における5年間」に掲載された、万延元年(1860)の長崎製鉄所の工場建設中の銅版画の写真。 この 翌年に長崎製鉄所が竣工した。 年代:1860
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創業100年を迎えた昭和32年(1957)の長崎造船 所(写真)

資料番号 00017
情報所有館 三菱重工長崎造船所史料館
特徴 長崎造船所は、創業100年となる昭和32年(1957)、前年に続いて進水量世界一と なった。その後は昭和36年及び昭和40~51年と通算15回、進水量世界一となった。 年代:1957
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工部省時代の鬼瓦

資料番号 00018
情報所有館 三菱重工長崎造船所史料館
特徴 明治12年(1879)に完成した第1ドックのポンプ小屋の鬼瓦で、工部省の「工」の字が入っている。長崎造船所は明治 4年から17年まで工部省所管であり、この頃は官営長崎製鉄所と言われた。 年代:1880年頃
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三菱マークの鬼瓦

資料番号 00019
情報所有館 三菱重工長崎造船所史料館
特徴 三菱経営に移ってからの鬼瓦は、最初は細長い菱形を三つ組み合わせた三菱マークから、次第に正三角形を2つ合わせた菱形 になり、現在の三菱マークへと変化していった。 年代:明治中期
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文久元年(1861)頃の長崎製鉄所鍛冶職の人たち(写 真)

資料番号 00020
情報所有館 三菱重工長崎造船所史料館
特徴 長身のオランダ人指導員(左端)と日本の鍛冶職人達の写真。長崎製鉄所の最初の工場が完成した頃 の写真で、日本人は全員チョンマゲを結っている。 年代:1861年頃
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明治初年の長崎製鉄所(写真)

資料番号 00021
情報所有館 三菱重工長崎造船所史料館
特徴 官営長崎製鉄所と呼ばれた明治初年の写真で、海岸には修理船を接岸する岸壁があり、起重機が据え付けられている。 年代:明治初年
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第1ドック(ロシア軍艦入渠中)(写真)

資料番号 00022
情報所有館 三菱重工長崎造船所史料館
特徴 長崎造船所の最初の乾ドックである立神地区の第1ドックは、明治3年(1870)に長崎造船所長、平野富次郎により建 設着工されたが翌年、工部省所管になり平野富次郎が辞職したため工事が中断。明治7年、フランス人技師ワンサン・フロランの指導のもとに工事再開し明治 12年竣工。長さ140m、7000総トンの船が修理可能な、当時、東洋最大のドック。左方、煙突のある建物はポンプ室。 年代:1880
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工部省長崎造船局拝借願

資料番号 00023
情報所有館 三菱重工長崎造船所史料館
特徴 明治17年(1884)7月7日、郵便汽船三菱会社(三菱本社の前身)は政府より工部省所管の長崎造船局を借受け、長崎 造船所と改称して造船事業への展開を開始した。三菱重工業は、長崎造船所の経営を始めたこの日を創立日としている。拝借願は明治17年6月12日に提出さ れ、同年6月24日付で7月7日から25年間の貸渡しが認められたが、借用期間中の明治20年6月7日に払下げが承認され三菱社の所有となった。 年 代:1884
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長崎造船所御払下願

資料番号 00024
情報所有館 三菱重工長崎造船所史料館
特徴 明治20年(1887)4月25日、三菱社(郵便汽船三菱会社を改称)は、明治17年以来拝借中の長崎造船所を価格45 万9千円、50年賦で払下げ願いたいとの願い書を政府に提出した。これに対して政府は同年6月7日、この申し出を承認し、長崎造船所は三菱社の所有となっ た。年代:1887
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三菱工業予備学校設立沙汰書

資料番号 00025
情報所有館 三菱重工長崎造船所史料館
特徴 明治32年(1899)、長崎造船所第二代所長 荘田平五郎によって三菱工業予備学校が設立された。日本の最初期の職工 学校で、設立当時は、4年間の義務教育を終了した10歳からの生徒をここで5年間教育し、技能とともに英語、数学、製図、造船工学、機械工学といった知識 を習得させ、工場のキーマンとして育成した。 年代:1899
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明治18年(1885)の飽の浦造機工場(写真)

資料番号 00026
情報所有館 三菱重工長崎造船所史料館
特徴 三菱が経営を始めた頃の長崎造船所、50トン起重機(右端)や機械工場が新設されている。 年代:1885
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貨客船「夕顔丸」進水(写真)

資料番号 00027
情報所有館 三菱重工長崎造船所史料館
特徴 第4番船「夕顔丸」は三菱高島炭坑社向け貨客船で、明治20年(1887)5月に竣工した。長崎造船所で建造した最初の 鉄製汽船で、日本初の軟鋼製ボイラを装備、 長崎大浦の三菱炭坑社と高島・端島間の連絡船として75年間もの長期間就航した。昭和37年(1962)3月最終航。解体時、船体外板の過半と船室の内外 および機関の一部などが建造当時のままであったことは、工事の確実、入念さを証明するものであった。206総トン、水線長28m、330馬力、8ノット、 乗客定員514名。起工:明治18年11月、進水:明治20年2月。 年代:1887
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貨客船「夕顔丸」操舵輪

資料番号 00028
情報所有館 三菱重工長崎造船所史料館
特徴 第4番船「夕顔丸」は人力操舵であったため直径約1.4mの大型の操舵輪が装備されていた。 年代:1887
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貨客船「常陸丸」(写真)

資料番号 00029
情報所有館 三菱重工長崎造船所史料館
特徴 第99番船「常陸丸」は日本郵船向け貨客船で、欧州航路に就役した。大きさ、速力、機関出力等すべての面で、日本の造船 史上画期的な船で、日本の造船技術の進歩を世界に示したものであった。この船の建造で設計技術、工作技術及び建造設備が飛躍的に充実した。日露戦争で陸軍 御用船となり、明治37年(1904)6月、玄海灘でロシア艦隊の攻撃を受けて戦没した。6,172総トン、水線長136m、3,847馬力、14.2 ノット。起工:明治29年12月、進水:明治31年4月、竣工:明治31年8月。 年代:1898
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貨客船「常陸丸」用3連成往復動式蒸気機関(写真)

資料番号 00030
情報所有館 三菱重工長崎造船所史料館
特徴 第99番船「常陸丸」には国産最大級の往復動蒸気機関2台が搭載され、合計出力3,847馬力。 年代:1898
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第3ドック(客船「地洋丸」入渠中)(竣工の頃の写真)

資料番号 00031
情報所有館 三菱重工長崎造船所史料館
特徴 明治38年(1905)3月に竣工した第3ドックは、長さ220mで30,000重量トンまでの船が入渠できる当時東 洋最大のドック。昭和30年代に拡張されて、長さ277m、95,000重量トンまでの船が入渠可能となり現在も稼動中。入渠しているのは第191番船 「地洋丸」、明治41年竣工の客船。 年代:明治末期
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