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66kV  1×300mm2 OFLLケーブル 大師線 (筍形サンプル)

資料番号 00931
情報所有館 電気の史料館(休館中)
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22kV 3×150mm2 HZケーブル (筍形サンプル)

資料番号 00932
情報所有館 電気の史料館(休館中)
特徴 22kV3芯150mm2 H形紙絶縁クロロプレン防食ケーブルである。 (Hochstadter type Lead and neopren sheathed cable) 導体上に絶縁紙を巻き、その上に金属遮蔽テープを巻いた線芯3芯を、撚添えジュートと共に撚り合わせた上に金属帯を巻き付け、乾燥浸油して鉛被を施した上にクロロプレン防食をしたものである。導体を扇形としてケーブル外径を小さくしている。 Hケーブルは、ベルトケーブルの欠点を補うため芯線絶縁層の上に金属テープを巻いたもので、1913年(大正2年)に発明され、我が国では1926年(大正15年)より製造された。 このケーブルは発明者のドイツ人Hochstadter氏の頭文字をとってHケーブルと名付けられた。 Hケーブルは、SLケーブルに比して外径が小さくなるが、電気的ストレスはかからないとはいえ撚添部を持っているためケーブルの通電による温度上昇に起因し油の粘度が下がり、高低差がある部分で絶縁油の流下が起こり、絶縁性能がやや不安定な嫌いがあるため、使用区分を限定しながらも比較的多く使われた。しかしながら、近年はCVケーブルに殆ど置き変わっている。 なお、Hケーブルの防食ケーブルは鉛被の腐食防止のためのもので、昭和20年代後半から 使用された。
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22kV 3×100mm2 鋼帯鎧装SL紙ケーブル (文鎮形サンプル)

資料番号 00933
情報所有館 電気の史料館(休館中)
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66kV  1×300mm2 OFLLケーブル 大師線 (文鎮形サンプル)

資料番号 00934
情報所有館 電気の史料館(休館中)
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東京電燈株式会社 熱海変電所 日本最古 66kV 単心 126.7mm2 油浸紙ケーブル (文鎮形サンプル)

資料番号 00935
情報所有館 電気の史料館(休館中)
特徴 66kV 単芯 126.7mm2 OF(Oil Filled)ケーブルである。 1928年(昭和3年)に当時の東京電燈株式会社が熱海変電所に我が国初に布設した国産ケーブルである。 当時、熱海変電所に布設された66kVケーブルは、容量3000kVA 亘長445m 2回線で1回線がOF式で残りの回線はH型ソリッド式であった。ケーブル布設ルートは高低差136m、下部で最大31度の急勾配部を含む傾斜地で中間に接続部をおいて、 直接埋設された。 絶縁体厚さは16.5mm、鉛被厚3.3mm(ケーブル外径65mm)で、充填絶縁油は粘度の高いものが使われた。また、鉛被補強層として硅鋼線φ2mm及び硅銅テープ0.8mmの2種類が使われた。 このケーブルは、その後66kV以上の地中送電ケーブルの主役となったOF(油浸絶縁)ケーブルの原型となった他、布設技術ともに当時としては、世界的に画期的なものであった。 送電、ケーブル、サンプル、一号機,電力ケーブル
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ヒューム管

資料番号 00936
情報所有館 電気の史料館(休館中)
特徴 日本電力(1919~1942年)で地中ケーブルの管路として使用されたヒューム管。
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66kVケーブルヘッド

資料番号 00937
情報所有館 電気の史料館(休館中)
特徴 1928(昭和3)年、東京電燈熱海変電所で導入された日本最初の66kV地中ケーブルのケーブルヘッド。
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66kV単心紙ケーブル中間接続部

資料番号 00938
情報所有館 電気の史料館(休館中)
特徴 1928(昭和3)年、東京電燈熱海変電所で導入された日本最初の66kV地中ケーブルの中間接続部。 当時、熱海変電所に布設された66kVケーブルは、容量3000kVA 亘長445m 2回線で1回線がOF式で残りの回線はH型ソリッド式であった。ケーブル布設ルートは高低差136m、下部で最大31度の急勾配部を含む傾斜地で中間に接続部が設置された。 本接続部のケーブル金属シースと接続部銅管との接続方式は、現在と変わらない鉛工であるが、銅管と銅管の接続は現在のフランジ接続とは異なる鉛工となっている。また、コネクタ取付位置も現在は上下に配置しているが同一方向の配置となっている。 この接続部は、その後66kV以上の地中送電ケーブルの主役となったOFケーブルの中間接続部の原型となった。 国産単芯OFケーブル。
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東京電燈のマンホール蓋

資料番号 00939
情報所有館 電気の史料館(休館中)
特徴 東京電燈のマンホール蓋は戦後も引き続き使用され、1970年頃まではよく見られた。中央円形部に東京電燈のマークがデザインされている。 東京電燈株式会社(明治19年7月開業、昭和17年3月解散)が所有していたマンホール蓋で、昭和40年代半ばころまでは都区内の旧東京市15区内(現在の港区、新宿区四谷・牛込、文京区小石川・本郷、台東区下谷、浅草、江東区本所・深川、中央区日本橋・京橋、千代田区麹町・神田)でかなり見られ、現在でも希に見ることがある。中央円形部に東京電燈マークがデザインされている。 東京都区内に敷設されている東京電力地中送電線用マンホール蓋(配電単独設備は含めない)は約13500個(平成12年12月現在)が存在し、この中には昭和26年5月の東京電力発足時以前の東京電燈・東京市電等から引き継いだ蓋も含まれており、これらの蓋は道路工事やマンホール改修工事等に伴って新しい規格仕様のものに取り替えられているが、時代の流れと変遷を染み込ませて所々で現役として立派に役割を果たしつづけている。ちなみに、日本国内電力会社の地中送電用マンホール蓋の歴史は、ある文献によるとケーブル敷設方式は直埋め方式であったものが、大正時代の初期から管路方式が次第に普及され始めたとされている。
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日本電力のマンホール蓋

資料番号 00940
情報所有館 電気の史料館(休館中)
特徴 日本電力は関西地方を中心に事業を展開していたが、1929(昭和4)年に東京の一部への電気供給権を獲得したため,当時は東京でも同社のマンホールが見られた。 日本電力(大正10年6月創業、昭和17年4月関東配電株式会社に統合)が所有していたマンホール蓋で、大正14年に東京府豊多摩郡(現在の新宿・渋谷・目黒区方面)に限っての電力供給許可を受け、昭和4年9月には東京府南葛飾郡(現在の江東・墨田区方面)、南足立郡(現在の足立・葛飾区方面)、北豊島郡(現在の荒川・北区方面)の供給権を獲得し、電力事業を行っていた。現在の東京電力渋谷変電所の位置には日本電力の変電所が存在し、この変電所から旧サッポロビール工場(現在の恵比寿ガーデン)方面への地中ケーブルが敷設されていたようで、この旧ビール工場近くの渋1号マンホールに使用されていた鉄蓋で平成2年頃現在の規格品に取り替えられた。なお、渋1号マンホールは恵比寿ガーデンの建設工事の関係で撤去され現在は存在していない。
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「東力」のマンホール蓋

資料番号 00941
情報所有館 電気の史料館(休館中)
特徴 大正時代末、東邦電力が関東進出の足がかりとして創立した東京電力(略称、東力)は関東を舞台に東京電燈と激しい需要家争奪戦を繰りひろげたが、1928(昭和3)年、東京電燈に吸収合併された。 旧東京電力(東力:大正14年3月創立、昭和3年4月東京電燈株式会社に合併)が所有していたマンホール蓋で、大正15年に東京府南葛飾郡(現在の江東・墨田区方面)、北豊島郡(現在の荒川・北区方面)、南足立郡(現在の足立・葛飾区方面)への供給権を獲得し、昭和2年からこの地域への送電を開始した。この蓋は開閉用のトッテがあるのが特徴で、 東京電力江東電力所近くの国道14号線に架かる松代橋左岸の上り線側歩道に設置されていた城8号マンホールに使用されていたが、平成7年頃の道路工事に伴いマンホールとともに撤去された。 このマンホールは昭和のはじめ頃建設されたものと推測される。
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東京市電気局のマンホール蓋

資料番号 00942
情報所有館 電気の史料館(休館中)
特徴 東京市電気局は1911(明治44)年に発足、電気軌道事業(いわゆる市電)と電気供給事業を行った。マンホール蓋中央円形部に電気局のマークがデザインされている。
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東京電力のマンホール蓋

資料番号 00943
情報所有館 電気の史料館(休館中)
特徴 1960年代なかばまで使用されていた東京電力の旧規格のマンホール蓋。中央円形部に旧東電マークがデザインされている。 東京電力旧規格のマンホールは、蓋センターのデザインが「稲妻マークと東電」「六万ボルト地中送電線」「東京電力地中電線路」「稲妻マーク」と変遷しており、「稲妻マークと東電」は昭和35年頃まで、「六万ボルト地中送電線」は昭和28~35年頃まで、「東京電力地中電線路」昭和35~45年頃までにそれぞれ製作され、「稲妻マーク」は昭和45年から現在の「TEPCOマーク」の適用された昭和63年まで東電規格として製作され使用されている。
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角形マンホール蓋

資料番号 00944
情報所有館 電気の史料館(休館中)
特徴 初期には角形のマンホール蓋が少なくなかったが、作業時にマンホール内に落としやすいこと、破損しやすいことなどから次第に円形が標準になっていった。これは、東京市電気局(1911~1942年)のものと推測される。 現在の地中送電用マンホール蓋の形状は円形が標準となっているが、当時は矩形のものが多かったようである。矩形の蓋は取り扱いにくく、開閉作業時にマンホール内に落としケーブルを損傷する恐れがあり、また破損し易い等から、円形か蓋が標準となった。 東京市電気局(明治44年8月発足、昭和17年4月電気供給事業を関東配電株式会社に統合)
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煉瓦マンホール(レプリカ)

資料番号 00945
情報所有館 電気の史料館(休館中)
特徴 ・マンホールは地中線の点検や保守のために地中に設けられた設備である。地中線の布設に管路引込式が採用されるようになるのは大正時代に入ってからであるが、マンホールの設置が始まったのもまたその頃と推定される。展示品は、1925(大正14)年に作られた煉瓦造りのマンホールのレプリカで、現物は東京・浅草で現在も使用されている。
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地中線接続用工具 オイル鍋

資料番号 00946
情報所有館 電気の史料館(休館中)
特徴 ・10mm、20mm幅等小幅のオイルペーパー(絶縁紙)を温めてペーパー内の湿気を除去するために使用した。 厚さ1.2mmの銅版製の鍋で、絶縁油を8分目程度入れ120℃以上の温度にならないよう油温管理するとともに、内部にごみ等が入らないよう使用時以外は蓋をする等配慮した。 地中線の接続と工具 22kV地中線ケーブルの接続作業に使われていた接続工具である。一部のものは現在も使用されている。 接続の主な作業 ●導体の接続 22kV以下のケーブルの導体の接続は半田付け方式で行われた。 導体を銅スリーブで接続し、炉にかけた半田鍋で溶かした半田を半田杓子でスリーブ上にかけて密着させた。路上で溶解した高温な半田をマンホール内におろしての作業なので慎重に行われた。 ●絶縁被覆 オイル鍋にオイルペーパーを入れて暖め、ペーパーの湿気を除去し、胴体の上に巻いて絶縁した。 ●鉛被覆 ケーブル接続部を密閉するために、鉛管で被覆した。接続部に鉛管をかぶせてドレッサーで接続ケーブルの鉛被へ円錐状になるようかしめ、トーチランプで半田付けした。
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地中線接続用工具 五徳

資料番号 00947
情報所有館 電気の史料館(休館中)
特徴 地中線の接続と工具 22kV地中線ケーブルの接続作業に使われていた接続工具である。一部のものは現在も使用されている。 接続の主な作業 ●導体の接続 22kV以下のケーブルの導体の接続は半田付け方式で行われた。 導体を銅スリーブで接続し、炉にかけた半田鍋で溶かした半田を半田杓子でスリーブ上にかけて密着させた。路上で溶解した高温な半田をマンホール内におろしての作業なので慎重に行われた。 ●絶縁被覆 オイル鍋にオイルペーパーを入れて暖め、ペーパーの湿気を除去し、胴体の上に巻いて絶縁した。 ●鉛被覆 ケーブル接続部を密閉するために、鉛管で被覆した。接続部に鉛管をかぶせてドレッサーで接続ケーブルの鉛被へ円錐状になるようかしめ、トーチランプで半田付けした。
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地中線接続用工具 ファイヤーポット(炉)

資料番号 00948
情報所有館 電気の史料館(休館中)
特徴 ・半田鍋・コンパウンドの溶解、オイルペーパーの温め、半田ごての焼き付け等に使用し燃料には木炭を使用していた( ~昭和40年代、現在はガスバーナーを使用) 木炭は一回の接続作業で1/2~1/3俵を使用した。 ・上部より200mmの位置に木炭を乗せるロストル、半田コテ焼き付け用の上窓口、通風用の下窓口、内側上部にはコンパウンド缶を乗せる台金を溶接したものを備えている。 ・作業工程に合わせて半田鍋→オイル鍋→半田こて→コンパウンド缶等作業を進める上で機能的な役割を果たしたが、この役割を果たすために、接続作業の進み具合を見ながらタイミングよく準備していく、手元作業員の労苦の積み重ねを忘れることは出来ない。 ・火の粉や灰が接続作業しているところに飛散しないよう、ファイヤーポットは必ず風下に置くことも要領のひとつだった。 地中線の接続と工具 22kV地中線ケーブルの接続作業に使われていた接続工具である。一部のものは現在も使用されている。 接続の主な作業 ●導体の接続 22kV以下のケーブルの導体の接続は半田付け方式で行われた。 導体を銅スリーブで接続し、炉にかけた半田鍋で溶かした半田を半田杓子でスリーブ上にかけて密着させた。路上で溶解した高温な半田をマンホール内におろしての作業なので慎重に行われた。 ●絶縁被覆 オイル鍋にオイルペーパーを入れて暖め、ペーパーの湿気を除去し、胴体の上に巻いて絶縁した。 ●鉛被覆 ケーブル接続部を密閉するために、鉛管で被覆した。接続部に鉛管をかぶせてドレッサーで接続ケーブルの鉛被へ円錐状になるようかしめ、トーチランプで半田付けした。 地中送電,地中線,建設・工事概要
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箱根水力電気会社(神奈川県) 塔之沢線鉄塔

資料番号 00949
情報所有館 電気の史料館(休館中)
特徴 ・1909(明治42)年に箱根水力電気会社が箱根町に建設した塔之沢水力発電所 (出力3300kW)の電力を、横浜の保土ヶ谷変電所まで亘長58km、電圧44kVの2回線で送電した鉄塔で、アメリカの設計技術により建設された。従来、送電線には木柱が使われ、河川横断部などで部分的に鉄塔が用いられていたが、全線にわたって鉄塔が採用されたのは、この塔之沢線が最初であった。当時、日本では鉄塔、碍子、電線等の材料は主にアメリカより輸入し外国に依存して建設してきた。 ・鉄塔番号/塔之沢線No.37 ・鉄塔重量/1540kg ・鉄塔高さ/14.68m(地上高) ・碍子/60号ピン碍子 ・電線/硬銅より線(HDCC)55mm2
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鬼怒川水力電気(栃木県) 鬼怒川線バンザイ鉄塔

資料番号 00950
情報所有館 電気の史料館(休館中)
特徴 ・1911(明治44)年に鬼怒川水力電気が栃木県の鬼怒川温泉に建設した下滝水力発電所(出 力37500kW)の電力を、東京市電へ供給するため、尾久変電所まで亘長124km、電圧66kVの2回線で送電した鉄塔。アメリカの設計技術により国産材料を用いて建設された。用地補 償の軽減のためになるべく幅員(最外側電線間の幅)を狭くすることや、電線の正三角形の配置を維持することなどから特殊な形の設計となり、人間がバンザイをした形に似ていることから「バンザイ鉄塔」と呼ばれた。 ・1918年にはこの送電線を使って,世界初の電力線搬送通信の実運用試験が行われた。 ・鉄塔番号/鬼怒川線No.865 ・鉄塔重量/2324kg ・鉄塔高さ/13.40m (地上高) ・碍子/60号ピン碍子 ・電線/硬銅より線(HDCC)200mm2 ・明治時代、鉄塔、バンザイ鉄塔、送電線、支持物、アメリカ、架空線、鬼怒川、送電
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