コッパース炉模型
| 資料番号 | 00051 |
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| 情報所有館 | GAS MUSEUMがす資料館 |
| 特徴 | 東京ガス末広工場に、1936年(昭和11)に建設されたコッパース式複式コークス炉をモデルに製作された、1/30の大きさの模型。その後製作された東京ガスのコークス炉は、この炉をモデルに改良を加え、独自に設計して建設された。 |
| 資料番号 | 00051 |
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| 情報所有館 | GAS MUSEUMがす資料館 |
| 特徴 | 東京ガス末広工場に、1936年(昭和11)に建設されたコッパース式複式コークス炉をモデルに製作された、1/30の大きさの模型。その後製作された東京ガスのコークス炉は、この炉をモデルに改良を加え、独自に設計して建設された。 |
| 資料番号 | 00001 |
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| 情報所有館 | 日産ヘリテージコレクション |
| 特徴 | ダットサンとは、1914年(大正3年)に快進社が「ダット1号車」を製造したことから由来します。DAT(ダット)は快進社の出資者3人のイニシャルから取られ、その後、DATの「息子」を意味する「DATSON」になります。しかし、「SON」は「損」を連想させるため、発音が同じで太陽を意味する「DATSUN(ダットサン)」になりました。ダットサンは日産自動車の主に小型車に使われ、日本のみならず、海外でも親しまれるブランド名になりました。ダットサン12型フェートンは、記念車庫の中でももっとも古いモデルです。フェートンとは、折りたたみ式の幌を持つ4人乗りのオープンカーで、サイドウインドウを持たないクルマ…年代:1933 |
| 資料番号 | 00002 |
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| 情報所有館 | 日産ヘリテージコレクション |
| 特徴 | 現在の日産自動車は、1933年(昭和8年)12月に設立された「自動車製造株式会社」などを経て、翌1934年(昭和9年)に日産自動車株式会社と改称した時点でスタートします。いよいよ本格的なベルトコンベアによる自動車の生産に取り組みます。横浜市に設立された新工場において、1935年(昭和10年)に最初に生産されたのがこのダットサン14型ロードスターです。日産自動車による大量生産のスタートという画期的なモデルである14型には、722cc・15馬力の新エンジンが搭載されています。2人乗りのロードスターボディのデザインを手がけたのは、自動車の名エンジニアとして名を馳せた富谷龍一氏です。グリルの上に置か…年代:1935 |
| 資料番号 | 00003 |
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| 情報所有館 | 日産ヘリテージコレクション |
| 特徴 | 1936年(昭和11年)5月に登場したダットサン15型フェートンです。フェートンとは、4人乗りセダンを幌付きにした4人乗り仕様です。搭載エンジンは1935年に登場した14型と同じ722cc(7型)で、排気量こそ同じですが、圧縮比を5.2から5.4に上げることで、16馬力と1馬力向上させています。現在でこそクルマにとって1馬力は大きなパワーアップには感じられないかもしれませんが、当時では着実な進化といえるものです。エクステリアでは、ラジエーターグリルの左上に四角いバッヂが付いたのが15型の特徴です。さらに、ボンネット真横にあるルーバーのデザインも14型のシンプルな縦縞のものから、5つ連なるよう…年代:1936 |
| 資料番号 | 00004 |
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| 情報所有館 | 日産ヘリテージコレクション |
| 特徴 | 1936年(昭和11年)にデビューした15型ロードスターは、後席のない2人の乗りのロードスターであるため、リヤエンドが丸く落ち込んだフォルムが特徴です。搭載するエンジンの排気量は、14型と同じ722ccで、15型フェートンと同様に圧縮比が5.2から5.4に引き上げられ、最高出力が14型の15馬力から16馬力に1馬力向上しています。15型フェートンと同様に、ラジエーターグリルの四角いバッヂとボンネットの開閉式のように見える真横のルーバーが特徴的です。また、法律が改正されたことにより、この15型からスペアタイヤがトランクの外に固定できるようになり、積載量の向上が図られました。年代:1936 |
| 資料番号 | 00005 |
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| 情報所有館 | 日産ヘリテージコレクション |
| 特徴 | 1937年(昭和12年)4月に登場した16型セダンです。後席を備えるため、2人乗りロードスターよりもボクシーなフォルムなのが特徴です。そのため、全長もロードスターよりも長く、居住性の高さが外観からもうかがえます。ラジエーターグリルがより繊細なデザインになり、サイドルーバーのメッキモールの付く位置が、中心付近から上下の縁に囲まれたものに変わっています。また、フード先端のマスコットとダットサンのエンブレムもデザインが変更されました。搭載するエンジンは、15型フェートンやロードスターなどと同じ722ccの7型で、最高出力も同値の16馬力です。1937年は日中事変を受けて、軍需からトラックの増産が増…年代:1937 |
| 資料番号 | 00006 |
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| 情報所有館 | 日産ヘリテージコレクション |
| 特徴 | 日中戦争下の1938年(昭和13年)にデビューを果たしたダットサン17型セダンは、タフで経済性に優れ、日本中で大いに活躍しました。エクステリアデザインは、前年に登場したダットサン16型セダンを踏襲しています。フロントグリル中央を貫くように、太めの縦バーが入っているのが特徴です。純綿や純毛が不足していた時代背景もあり、インテリアはシンプルに仕上げられています。搭載されるエンジンは、サイドバルブ(SV)の722ccで、16馬力という最高出力も16型と同数値です。この年はドイツで初の国民車となるフォルクスワーゲン・ビートルが誕生しており、当時の先進国では、第二次大戦前のモータリゼーションが高まりつ…年代:1938 |
| 資料番号 | 00007 |
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| 情報所有館 | 日産ヘリテージコレクション |
| 特徴 | 1937年(昭和12年)3月に、「ニッサン」ブランドの生産が始まりました。ニッサン70型乗用車は、その記念すべき最初のモデルです。このモデルはアメリカ、グラハム・ページ社の設備を買い取って国産化したもので、ボディサイズは当時のフォードやシボレーとほぼ同じでした。自動車先進国のアメリカの技術を吸収し、日本の自動車産業を自立させようという意図も込められています。このセダンは5人乗りと7人乗りがあり、さらに、幌屋根のフェートンもバリエーション展開されていました。ニッサン70型乗用車の登場により、小型車は「ダットサン」、大型車は「ニッサン」と、2つブランド名が使い分けられることになります。年代:1938 |
| 資料番号 | 00008 |
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| 情報所有館 | 日産ヘリテージコレクション |
| 特徴 | 1937年(昭和12年)3月に、70型から「ニッサン」ブランドの生産が始まりました。当時、自動車先進国であったアメリカのグラハム・ページ社から設備などの譲渡を受けてスタート。ニッサンバンも、「ニッサン」ブランドの最初の1台に入ります。この車両は「三越」の文字からも分かるように、商品搬送用として三越が使用していました。驚くことに、1939年(昭和14年)から、1965年(昭和40年)頃まで現役で活躍していました。タフな作りと実用性の高さを証明しています。搭載されていたエンジンは、3670cc・85馬力の直列6気筒で、必要十分なパワーを誇りました。また、日本初のセミキャブオーバースタイルも好評…年代:1939 |
| 資料番号 | 00009 |
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| 情報所有館 | 日産ヘリテージコレクション |
| 特徴 | 「たま」の名は、戦前の立川飛行機が開発した電気自動車にまでさかのぼります。地名から採用された車名(ブランド名)は、たま電気自動車、たま自動車、そしてプリンス自動車工業へいう変遷を経て、日産自動車に移ります。たま電気自動車が登場した1947年(昭和22年)は、戦後直後だけに物資や食料だけでなく、深刻な石油不足に見舞われていました。しかし、電力供給過剰ぎみといえるほど余裕があるため、政府は電気自動車の生産を奨励します。こうした時代に誕生したたま電気自動車は、第1回電気自動車性能試験でカタログ性能を上回る航続距離96.3km、最高速度35.2km/hを記録し、高く評価されました。1950年(昭和2…年代:1947 |
| 資料番号 | 00010 |
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| 情報所有館 | 日産ヘリテージコレクション |
| 特徴 | セダンのたま電気自動車が登場した1947年(昭和22年)に、たま貨物車も東京電気自動車からデビューを果たします。セダン、トラックともに電気自動車とガソリン車を設定していました。セダンは4名定員でしたが、トラックである貨物車は多くの荷物を載せるカーゴスペースがあるぶん、キャビンは2人乗りです。このガソリン車は、直列4気筒の760ccエンジンを搭載。ちなみに、電気自動車の方は一充電当たり65kmの走行が可能で、現在の電気自動車と遜色のない航続距離を誇りました。大きなフロントライトが目を惹く愛くるしいフロントマスクは、セダンと同じです。年代:1947 |
| 資料番号 | 00011 |
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| 情報所有館 | 日産ヘリテージコレクション |
| 特徴 | このダットサンスポーツが登場する前年、1951年(昭和26年)5月に、直列4気筒860cc・20馬力の新エンジンを積んだ新型乗用車(DB-2型)と新型トラックが発売されました。そして、翌1952年1月、DB-2型と同じ強力なパワーユニットを搭載したシャシーに、太田祐一氏のデザインした斬新なボディを載せたダットサンスポーツ(DC-3型)をリリース。スマートなエクステリアのデザインと、最高速80km/hを誇る軽快な走りが好評を博しましたが、1954年(昭和29年)までの50台という限定生産でしたので、希少価値の高いスポーツモデルです。後のフェアレディ、フェアレディZへと続く、ダットサン(ニッサン…年代:1952 |
| 資料番号 | 00012 |
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| 情報所有館 | 日産ヘリテージコレクション |
| 特徴 | 戦後初の乗用車であるダットサン・スタンダードセダン(DA型)のバトンを受け、1948年(昭和23年)3月に登場したデラックセダン(DB型)です。スタンダードセダン(DA型)は、シャシーやエンジンは戦前の設計を引き継ぎ、ボディのみ生産しやすいように直線基調のデザインに変更していました。このデラックスセダン(DB型)は、シャシーこそDA型からのキャリーオーバーですが、ボディをアメリカ的で斬新な流線型スタイルに一新しています。デビュー当初は、エンジンもDA型と同じ722ccでしたが、1950年(昭和25年)9月登場のDB-2型になると、シャシーを補強し、860cc・20馬力に排気量を拡大。さらに、…年代:1953 |
| 資料番号 | 00013 |
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| 情報所有館 | 日産ヘリテージコレクション |
| 特徴 | 1952年(昭和27年)に日産自動車は、イギリス、オースチン社と技術提携を結びます。戦後はGHQにより乗用車生産が制限されていましたが、1949年(昭和24年)10月に乗用車生産が解禁され、国の日本の自動車産業をもり立てていこうという意図もありました。また、ダットサンは小型車であったため、ひとまわり大きい乗用車を生産する必要もありました。そして、1953年(昭和28年)4月からA40サマーセットサルーンのノックダウン生産を開始。オースチン社を提携相手に選んだ理由は、当時アメリカ市場で輸入車ナンバーワンだったからでした。4月4日に鶴見オースチン工場で1号車がオフライン、5月8日には都内で通産大…年代:1953 |
| 資料番号 | 00014 |
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| 情報所有館 | 日産ヘリテージコレクション |
| 特徴 | 日産自動車は1966年(昭和41年)にプリンス自動車工業と合併しますが、プリンス自動車工業の富士精密工業時代に発売されたのが、プリンスセダンデラックスです。1952年(昭和27年)3月に発表されました。明仁親王殿下の立太子礼にちなんで“プリンス”と命名され、その後“プリンス”は社名、ブランド名、そして自動車販売店(ディーラー)名として残っていきます。1954年(昭和29年)、東京日比谷で開かれた第1回全日本自動車ショウ(後の東京モーターショー)で当時の皇太子殿下(今の天皇陛下)の目にとまります。記念車はその皇太子殿下がご愛用されたとても貴重な車両です。最高出力は45馬力、最大トルクは10…年代:1954 |
| 資料番号 | 00015 |
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| 情報所有館 | 日産ヘリテージコレクション |
| 特徴 | ダットサンセダン(110型)は、日産自動車が戦後初めての新設計を行い、1955年(昭和30年)1月に発表した4人乗り乗用車です。搭載エンジンは、サイドバルブ式という動弁機構をもった、直列4気筒・860ccのD10型で最高出力は24馬力。これにフロアシフトタイプの4速トランスミッションを組み合わせ、最高速度は85km/hでした。ボディサイズは、全長3860×全幅1466×全高1540mmですが、車体幅は現在の軽自動車とほぼ同一値です。外装はすべてのボディパネルをプレス成形することで、これまでにないモダンなものとなり、同年11月に実施されたマイナーチェンジで型式を112型としたモデルでは、ハーモ…年代:1956 |
| 資料番号 | 00016 |
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| 情報所有館 | 日産ヘリテージコレクション |
| 特徴 | 日本のモータリゼーションの成長とともに歩み、後にモータースポーツの世界でも数々の栄光を勝ち取った、名車スカイラインの初代モデルは、100円硬貨が生まれた1957年(昭和32年)の4月に登場しました。このモデルは、プリンスセダンの後継車として開発され、いまでいうプレミアムカーのジャンルに属します。また、東京・日比谷の宝塚劇場で、これまでにない盛大な発表会を催して、お披露目されたことも大きな話題になりました。フロントグリルやボディサイドにメッキを多用するなどして、存在感の高いデザインとしたボディに搭載されるGA30型エンジンは、直列4気筒OHVの1484ccで最高出力は60馬力。最高速度は当時の…年代:1957 |
| 資料番号 | 00017 |
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| 情報所有館 | 日産ヘリテージコレクション |
| 特徴 | 好評を博したダットサン(110型系)の後継車として、1957年(昭和32年)11月に登場したダットサン(210型)は、日産初のOHVという動弁機構を採用した直列4気筒988cc、34馬力の新エンジンを搭載。海外への輸出も意識して、フロントウインドウにカーブしたガラスを採用して、外国の高速走行にも対応させるなどしていました。その性能を広くアピールするために、1958年(昭和33年)8月20日-9月7日に開催された、オーストラリア一周ラリー「モービルガス・トライアル」に、2台の210型が挑みました。日産自動車は、このラリーが国際競技への初挑戦でしたが、この富士号は、19日間/1万6000kmを…年代:1958 |
| 資料番号 | 00018 |
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| 情報所有館 | 日産ヘリテージコレクション |
| 特徴 | 1958年(昭和33年)に行われたオーストラリア一周ラリー。富士号とともに、出場したもう1台の210型がダットサン桜号です。こちらも国際ラリーに初挑戦ながらAクラス4位に入賞。富士号とともに、海外へダットサンの名を知らしめるきかっけをつくり、その躍進ぶりはアメリカへもとどろき、同年3月には210型の北米への輸出が開始されます。大型車が主流の国で小さなダットサンが大きな注目を集めると同時に、対米進出の基礎をつくりあげました。ちなみに、2台が出走した豪州ラリーは、広大なオーストラリア大陸を右まわりに一周するもので、設定されたコース長1万6000kmは、当時の世界最長でした。しかし、あまりにも過…年代:1958 |
| 資料番号 | 00019 |
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| 情報所有館 | 日産ヘリテージコレクション |
| 特徴 | 走る実験室といえるオーストラリア一周ラリーで、大活躍を果たしたダットサン(210型)はその経験を活かし、またアメリカ市場でのニーズにも応えるべく、カラーテレビが登場した1958年(昭和33年)の10月にマイナーチェンジを実施して211型へと進化を遂げました。外観上はフロントグリルのデザインやウィンカーランプの形状、サイドモールの延長、リヤウインドウの面積拡大などが210型との主な相違点になります。また、211型では「世界水準をゆく乗用車」と、当時のカタログにも記されているように、走行性能を大幅に向上させているのも特徴的で、カーブでの走行安定性をアップさせるフロントスタビライザーの採用や、ステ…年代:1959 |