計数・調剤匙
| 資料番号 | 00021 |
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| 情報所有館 | 中冨記念くすり博物館 |
| 特徴 | 計数匙は丸薬を数える匙で、調剤匙は粉末を量る匙。計数匙の素材は木やべっ甲などがあり、丸薬をすくうと、穴の数だけ粒数が計れる。調剤匙は黄銅製が多く、匙の形状はさまざま。年代:江戸末期~明治初期 |
| 資料番号 | 00021 |
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| 情報所有館 | 中冨記念くすり博物館 |
| 特徴 | 計数匙は丸薬を数える匙で、調剤匙は粉末を量る匙。計数匙の素材は木やべっ甲などがあり、丸薬をすくうと、穴の数だけ粒数が計れる。調剤匙は黄銅製が多く、匙の形状はさまざま。年代:江戸末期~明治初期 |
| 資料番号 | 00022 |
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| 情報所有館 | 中冨記念くすり博物館 |
| 特徴 | コリヤナギの枝(皮)で編まれた籠。撥水・防カビ作用があるコリヤナギの枝は、昔から衣類などを収納するための籠、お弁当入れの素材として使われている。配置売薬業者の多くは、五段重ねの柳行李を用いた。大きさの違う五つの籠には、上から一段目に配置帳やそろばん・財布など、二段目には得意先への土産品、三段目と四段目には新しい薬、五段目には回収した古い薬を入れた。重ねた柳行李は風呂敷包みにし、重さ20キロ以上にもなるそれを背負って行商した。年代:江戸末期~明治期 |
| 資料番号 | 00023 |
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| 情報所有館 | 中冨記念くすり博物館 |
| 特徴 | 薬を預けた得意先で、用いてもらう薬入れ(薬の保管箱)。箱型のものの他に紙袋もあった。箱の素材は厚手の紙や木(桐)などで出来た抽斗式のもので、どの面にも売薬業者名、薬品名などがくっきりと記されている。預け袋は売薬人が持ち運ぶのにかさばらず、少量の薬を預けておくのに適していた。袋の表には売薬業者名に薬品名が、裏には配置した年月日、数量を書き込む欄がある。売薬人は得意先を訪れた際、預け箱や預け袋の中身を確認して、薬代の請求、薬の交換や補充などを行った。年代:江戸末期~明治期 |
| 資料番号 | 00024 |
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| 情報所有館 | 中冨記念くすり博物館 |
| 特徴 | 得意先の子どもたちに渡した土産で、紙製の風船。立方体で、各面には薬の広告などの絵柄が刷られている。折り畳んだ状態の紙風船はかさばらないので、行商時、何枚も束ねて持っていくことが出来た。年代:昭和中期 |
| 資料番号 | 00025 |
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| 情報所有館 | 中冨記念くすり博物館 |
| 特徴 | 顧客管理台帳で、得意帳、配附帳、配置簿などとも呼ばれた。富山では懸場帳とも呼ばれていた。得意先1軒につき、見開き1ページ。そこに得意先名(配置先の名前)、家族構成、家の位置、預けている薬品名、その数などが記録された冊子で、地域別、または配置担当者別に綴られていた。薬を消費した数、その代金の領収まで記録しておくことで、正確な顧客管理が出来た。売薬業を引退する時や経営難になった時など、同業者の間では、この配置帳は売買の対象となった。配置帳を売り渡すということは得意先を譲るということになるので、高価で取引がなされた。年代:1885年 |
| 資料番号 | 00026 |
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| 情報所有館 | 中冨記念くすり博物館 |
| 特徴 | 江戸時代、売薬人をはじめ、他国(他藩)へ行く時に携帯した手形。旅行許可券と身分証明書を兼ねた現在のパスポートにあたるもので、町役人や寺などが発行。これを関所や番所などで提示することで、他藩へ入ることが許された。年代:1864年 |
| 資料番号 | 00027 |
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| 情報所有館 | 中冨記念くすり博物館 |
| 特徴 | 筆と墨壺が備わった昔の筆入れ。売薬人をはじめ、さまざまな商人たちの必需品だったが、万年筆の普及と共に姿を消した。年代:江戸末期 |
| 資料番号 | 00028 |
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| 情報所有館 | 中冨記念くすり博物館 |
| 特徴 | 売薬の行商許可証で、身分証明書も兼ねていた。こちらの鑑札は、佐賀県三養基郡役所が発行したもの。年代:1915年 |
| 資料番号 | 00029 |
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| 情報所有館 | 中冨記念くすり博物館 |
| 特徴 | 配置売薬の得意先(行商権のこと)を売渡した証文。この証文とともに、配置帳、得意先に関する情報、権利一切が引き渡される。得意先の情報を記録した配置帳は、売薬人にとっては貴重な財産で、売買、譲渡のほか、質入れや抵当にすることもできた。この証文には、当地(佐賀県鳥栖市田代)の売薬業者、扇屋勘右衛門が松隈要七へ筑後羽犬塚(現在の福岡県筑後市)近くの得意先200軒を売り渡したということが記されている。年代:1860年 |
| 資料番号 | 00030 |
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| 情報所有館 | 中冨記念くすり博物館 |
| 特徴 | 薬舗(店内)の前方に置くための木製看板。足がついており、床に立てて用いることが出来た。金・銀箔に朱や黒の漆塗り、繊細で巧みな彫刻などが施されたものが多い。一つの商品名を一枚の看板に示して販売促進力を強める、店の奥を覗かせない、そんな二つの役目を担っていた。店の格式を誇る象徴となるだけに、制作費用が掛けられた。こちらは佐賀県伊万里市の薬舗で使われていた置看板で、縦150cm、横130cm。彫刻部は全て金箔仕上げ。 |
| 資料番号 | 00031 |
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| 情報所有館 | 中冨記念くすり博物館 |
| 特徴 | 版を刷って作られた紙製の看板。薬舗(店内)に貼ることもあったが、主に旅先(行商の時)での宿場で用いた。宿の軒に紙看板を吊るすことで薬の宣伝となり、また、宿場の周辺の得意先に薬代を準備することを伝える役目も担った。紙製でしたので、軽量でかさばらないため、行商に携帯するには便利だった。年代:江戸時代 |
| 資料番号 | 00032 |
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| 情報所有館 | 中冨記念くすり博物館 |
| 特徴 | 生薬の保管袋を模った看板。江戸時代、生薬袋の形を看板としたのは薬種屋と砂糖屋だけだったことから、軒先に吊るした看板で、人はすぐに薬種屋を見つけることができた。紙製であったため、雨が降ると店内へ入れていた。年代:江戸時代の複製品 |
| 資料番号 | 00033 |
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| 情報所有館 | 中冨記念くすり博物館 |
| 特徴 | 乾燥した生薬を小分けして、保管しておくための箪笥。たくさんの小さな抽斗が備わっている。その抽斗に、一つずつ異なる生薬を納めていた。一つの箪笥に幾種もの生薬が保管できることから“百味”と名付けられたよう。年代:江戸末期~明治初期 |
| 資料番号 | 00034 |
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| 情報所有館 | 中冨記念くすり博物館 |
| 特徴 | 生薬を煮詰めるための釜(道具)。万金膏を造る時にも使用した。主原料を混ぜ合わせ、煮詰める際、出火しないようにするには技術を要した。時間を掛けて煮詰めてゆくが、専用の掻き混ぜ棒(大型のヘラ:長さ1.5mほど)を用いて混ざり具合を調整した。釜の直径は80cm。年代:昭和中期 |
| 資料番号 | 00035 |
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| 情報所有館 | 中冨記念くすり博物館 |
| 特徴 | 当地(佐賀県鳥栖市田代)で生まれた薬の中で代表格のもので、“延べ膏薬”“黒膏”とも呼ばれた貼りぐすり。大きさは、葉書よりやや小さめ。主成分の胡麻油や鉛丹(四酸化三鉛)を釜で煮つめ、その泥状の黒い膏薬を和紙に薄く伸ばして加工した。現在の白色貼付剤の前身。年代:昭和中期 |
| 資料番号 | 00036 |
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| 情報所有館 | 中冨記念くすり博物館 |
| 特徴 | 奇応丸はニンジン(人参)、ジンコウ(沈香)、ユウタン(熊胆)、ジャコウ(麝香)が配合された胃腸薬。極めて小さな粒の丸剤で、多くは金箔が施されている。室町時代の処方が残っているほど、古い歴史を持つ薬。万能薬として扱われることも多く、薬種商で盛んな各地で作られていた。年代:江戸末期~明治初期 |
| 資料番号 | 00037 |
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| 情報所有館 | 中冨記念くすり博物館 |
| 特徴 | 薬の原料を混ぜ合わせる機械。それぞれ種類の違う散薬(粉薬)をV字形の両面から入れ、一定時間回転させることで均等に混ざ合わせることが出来る。年代:昭和中期 |
| 資料番号 | 00038 |
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| 情報所有館 | 中冨記念くすり博物館 |
| 特徴 | 製剤で使われていた代表的な粉砕機で、くすりの原料を細かく砕くことのできた機械。太鼓形のドラムに、数個の磁器製のボール(団子くらいの球)とくすりの原料を入れ、ドラムの回転により落下するボールの衝撃で、原料を細かく砕いた。粉砕の力は、ドラムの回転速度、ボールの数や大きさ・重量によって違った。年代:昭和中期 |
| 資料番号 | 00039 |
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| 情報所有館 | 中冨記念くすり博物館 |
| 特徴 | 湯煎器。固形物や粉末を湯煎で溶かすことが出来る。年代:昭和中期 |
| 資料番号 | 00040 |
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| 情報所有館 | 中冨記念くすり博物館 |
| 特徴 | 薬品になる数種の原料を入れてすり潰し、均等に攪拌する(かき混ぜる)機械。昭和時代までは使われていた。製薬だけでなく、蒲鉾屋やお菓子屋などで用いるようになったところもあり、今も使っている店もあるという。年代:昭和中期 |