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日野 ルノー PA62型 Hino Renault Model PA62

資料番号 00069
情報所有館 トヨタ博物館
特徴 現在はトラックやバスなど重量車両の生産で知られる日野自動車がフランスのルノー公団と技術提携を行ない、1953年からルノー4CVの生産を開始。愛嬌のあるスタイルやRR駆動の優れた操縦性、コンパクトなサイズからタクシーにも多く採用された。さらにこの国産化によって得た技術は独自の設計でコンテッサ900(1961年発表)や1300(1964年発表)を生み出す結果となり、わが国のモータリゼーションに大きな役割を果たした。 1962年
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トヨペット クラウン RS型 Toyopet Crown Model RS

資料番号 00070
情報所有館 トヨタ博物館
特徴 海外と技術提携か盛んに行なわれるなかで、トヨタは純国産方式を押し通し、1955年トヨペットクラウンRS型を発表。当初から自家用車として設計されたRS型は、あらゆる意味において国産車のモータリゼーションの出発点であったし、わが国の自動車業界へも大きな自信を与えた。デザインは当時のわが国の実状に適応した巧みなもので、乗り心地や耐久性など、すべてがバランスされた純国産車として話題を集めた。 1955年
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トヨペット クラウン RSD型 Toyopet Crown Model RSD

資料番号 00071
情報所有館 トヨタ博物館
特徴 RS型クラウンをベースにラジオ、温水ヒーター、電気式時計、ティンテッドウインドウ、ホワイトウォールタイヤ、フォグランプなど豪華装備を加え、オーナーカーとしたモデルがRSD型であった。わが国の人々が一般的に持っていた高級車に対するイメージをものの見事に実現したことは、ひとつの社会現象を生み出し、世を挙げてデラックス化の時代へ突入させることになったのである。 1955年
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トヨペット マスター RR型 Toyopet Master Model RR

資料番号 00072
情報所有館 トヨタ博物館
特徴 RS型クラウンと同時に発売されたマスターは、RH型スーパ-の発展型としてスタイルを一新、シャシーも改良された。性能はRS型とほとんど同じであったが、営業車向けであることから前輪懸架は固定車軸とされ、耐久性を向上させたほか、広めの客室を確保。限られたスペースのなかで合理的なデザインを特徴としていた。その後、RS型が営業車としても認められたことから1956年11月に姿を消したが、以後、これをベースとした商業車マスターラインが生産に移された。 1955年
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ダットサン 112型 Datsun Model 112

資料番号 00073
情報所有館 トヨタ博物館
特徴 英国オースチン車の国産化によって海外の先進技術を吸収しつつあった日産自動車(株)が1955年に発表した110型車は、戦前から発展しつづけたオールド・ダットサンの完成に達したモデルと言える。112型車はそのマイナーチェンジモデルである。斬新なデザイン、操縦性、居住性等の設計技術が評価され、第2回「毎日産業デザイン賞(1956年)」を受賞した。 1956年
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トヨペット コロナ ST10型 Toyopet Corona Model ST10

資料番号 00074
情報所有館 トヨタ博物館
特徴 すでにクラウンで成功をおさめていたトヨタも、1954年タクシー業界からの要請もあって小型車の開発を迫られた。その頃、国民車構想からのUP10型(パブリカ)の計画は進められていたが、膨張した小型車市場に対して、急きょ発売したのが初代コロナST10型である。 1957年
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フライング フェザー Flying Feather

資料番号 00075
情報所有館 トヨタ博物館
特徴 その名のとおりの超軽量車で「最も経済的なクルマを」という設計者、富谷龍一氏の思想を具体化して住江製作所が1954年に発表。きわめて合理的なスタイリングや必要最少限のメカニズムを持ち、機能的なトランスポーターとして、野心作ではあったが、残念ながら1955年に200台足らずつくられたのみに終わった。おそらく、徹底した合理主義が、当時の人々にはまだ理解されなかったのであろう。 1955年
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フジキャビン 5A型 Fujicabin Model 5A

資料番号 00076
情報所有館 トヨタ博物館
特徴 フライングフェザーと同じ設計者により、富士自動車(当時、日産自動車系のエンジンメーカー)は当時としては画期的なFRPのフルモノコック構造の3輪キャビンスクーターを送り出した。空冷単気筒2サイクルエンジンを備えたボディは、わずか130kgで最高速度は時速60キロ。限られたスペースを生かした室内や空力的なボディデザインなど革命的な試みではあったが、FRPの製作技術がこれに伴わず、わずか85台製作されただけであった。 1955年
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ダイハツ ミゼット DKA型 Daihatsu Midget Model DKA

資料番号 00077
情報所有館 トヨタ博物館
特徴 戦後しばらくの間も、自動車が公共的な乗り物であったわが国で、本来の大衆化は商業車からはじまったといってもよい。そして、それを決定づけたのが1957年に発売した3輪車ミゼットといえるだろう。安価かつ扱いやすく、しかも軽免許で乗れることから爆発的なブームを巻き起こし、3輪車の代名詞にまでなったのである。初代のDKA型はキック式スターターやバーハンドルなどモーターサイクルに近いが、いたるところにコストダウンや合理化の努力がみられる。 1959年
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スズライト SL型 Suzulight Model SL

資料番号 00078
情報所有館 トヨタ博物館
特徴 スズライトは、メーカーベースでつくられた本格的な軽自動車のパイオニアであった。小型乗用車と変わらない装備を持ち、これを開発するに当たって参考とした欧州の小型車ロイトが2ストロークエンジンと前輪駆動方式であったことと商用車にした場合の荷室確保を考えて、スズライトも他社に先がけてFF方式を採用。このSL型はリアに大きなドアを持った商用ライトバンで小型ながらも充分なスペースを確保してある。 1957年
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スバル360 K111型 Subaru 360 Model K111

資料番号 00079
情報所有館 トヨタ博物館
特徴 もともと航空機メーカーであった中島飛行機の技術が生かされたスバル360は、わが国初期の軽自動車としてもっとも成功した一台であろう。モノコック構造のボディと、トーションバーによるサスペンションは軽自動車とは思えない広い室内スペースを持ち、快適な乗り心地を実現していたのである。発売当初の価格は42.5万円.これをのぞけば国民車構想の条件を満たすものとして、絶大な人気を博したのである。 1958年
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マツダ R360クーペ KRBB型 Mazda R360 Coupe Model KRBB

資料番号 00080
情報所有館 トヨタ博物館
特徴 1960年、スズライト、スバルに続いて東洋工業(現マツダ)も軽自動車の市場にR360を送り込んだ。軽自動車に4サイクルや本格的なAT(2速)を採用するなど画期的なメカニズムを備え、まるでスポーツカーのようなスタイルを限られた枠のなかでコンパクトにまとめあげたことは大いに注目された。キャロルにバトンタッチする1966年まで生産された。 1960年
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パブリカ UP10型 Publica Model UP10

資料番号 00081
情報所有館 トヨタ博物館
特徴 国民車構想に合わせる意味で発表したトヨタパブリカは、最初から大衆向け実用車としての極めて合理的なフォーマットを踏襲したもので、技術的にもスタイリングにおいても注目できるものであった。ところが、高級志向か強まりはじめたニーズとは噛み合わず、商業的には予想外であった。ちなみに車名は-般から公募されたもので、PublicとCarの合成語である。 1961年
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三菱500 A11型 Mitsubishi 500 Model A11

資料番号 00082
情報所有館 トヨタ博物館
特徴 国民車構想に対応して新三菱自動車(現三菱自動車)が出した回答は三菱500であった。このクラスでは格安ともいうべき39万円で売り出され、発表は1959年秋のモーターショー。価格をのぞけば、ほぼ国民車構想を満たしていた。この価格を実現するための徹底した合理主義は、インテリアの装備やアクセサリーなどを犠牲にはしたが、メカニズムを優先した高い実用性も持っていた。 1961年
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パブリカ UP10S型 Publica Model UP10S

資料番号 00083
情報所有館 トヨタ博物館
特徴 できるかぎり忠実に国民車構想に基づいたトヨタパブリカも、時流に合わせて高級化がはかられた。1963年6月にはラジエターグリルやホイールキャップがメッキされ、サイドモールを追加したデラックスを発表。さらに同年10月にはオープンモデルを発表することになる。セダンのルーフ部をソフトトップに変更した4座コンバーチブルは、当時のオープンスポーツとはまったく異なった性格を持ち、手軽にオープンエアを楽しめることから話題を集めた。 1963年
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トヨペット クラウン RS-L型 Toyopet Crown Model RS-L

資料番号 00084
情報所有館 トヨタ博物館
特徴 高級化が項点に達した大型車に代わって、経済的な小型車に目が向けられはじめた米国市場への進出を1957年3月に決定。10月には自工と自販の共同出資による現地法人米国トヨタを設立してクラウンを送り込んだ。実際にはパワー不足や高速での操安性などが指摘され、1960年12月には主力をランドクルーザーに移したが、輸出トヨタの第一歩だったのである。このRS-L型は、ごく初期に輸出された数少ない1台である。 1958年
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トヨペット コロナ PT20型 Toyopet Corona Model PT20

資料番号 00085
情報所有館 トヨタ博物館
特徴 急増する小型車市場で苦戦を強いられたコロナPT10型の陰で着々と開発が進められたPT20型(ニューコロナ)は、オーナーカーとしての自信作であった。カンチレバーの後輪懸架がもたらす乗り心地のよさやティーザーキャンペーンを、わが国で初めて展開するなど話題を呼んだ。 1960年
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ニッサン セドリック 30型 Nissan Cedric Model 30

資料番号 00086
情報所有館 トヨタ博物館
特徴 1960年に発売されたこの車は、オースチンの優れた技術を完全に吸収、さらにエンジン、シャシー、ボディ等すべての面にわたって新しく設計され、G型エンジン、71馬力、最高速度130km/hの高速安定性を誇り、また縦4灯のヘッドランプがスタイリング上の大きな特徴であった。車名はバーネットの名作「小公子」の主人公セドリックにちなみ、強く、正しく、美しい少年の代名詞として広く親しまれた。 1960年
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トヨペット コロナ RT20型 Toyopet Corona Model RT20

資料番号 00087
情報所有館 トヨタ博物館
特徴 1961年3月に発表されたコロナRT28型は、ボディ各部を強化してPT20型のトラブルを改善、強力なエンジンも搭載されていた。さらに信頼感を回復するためのTVコマーシャルやレースヘの参加(第1回日本GPのC-5クラスで1、2、3位)を行ない、しだいに耐久性と性能を実証していったのである。また、ちょうどこの頃、ティアラと名を変えた1900ccの輸出仕様を生産するなど本格的な海外市場への進出もはじまっていた。 1961年
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日野 コンテッサ PC10型 Hino Contessa Model PC10

資料番号 00088
情報所有館 トヨタ博物館
特徴 ルノー公団との技術提携の成果をいかして生まれた日野ルノーは順調な発展をつづけ、1961年4月には独自の設計によるコンテッサ900を発表。ルノー4CVの技術を生かしているもののボディスタイルは一新され、コンテッサ(伯爵夫人)の名にふさわしいスポーツセダンであった。駆動方式はRRで軽快な運動性能、素直なエンジン、小柄なボディなどスポーティな性格を持ち、1963年の第1回日本GPでは、GTクラスで優勝した。 1961年
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